上巻 第二段 吉水入室

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上巻 第二段 吉水(よしみず)入室(にゅうしつ)

聖運寺蔵『親鸞聖人御絵伝』


〈 御伝鈔 意訳 〉『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ-』東本願寺出版部より

 建仁(けんにん)元年(一二〇一)春、二十九歳となった親鸞さまは、二十年のあいだ身を置いた比叡(ひえい)の山(やま)に別れをつげて、決断して、比叡山のふもと吉水の禅房(ぜんぼう)で念仏の教えを説いていた法然上人を訪ねられたのです。
 自分の能力を絶対信頼し、一生懸命 命がけの修行に打ちこみ、さとりをひらいて国の宝となって世の人々を救おうとする伝統の仏教精神は、人間の理想として頭上に輝いていても、お釈迦さまがなくなられてからすでに二千年、あの生き生きと躍動(やくどう)する教えであった仏教が、いつのまにか、観念(かんねん)の世界で もてあそばれる理屈の学問になってしまい、仏道は、普通の日常生活に身を置いているものには さっぱりわからない、特別な能力を持った偉い人たちの難行(なんぎょう)の小路(しょうろ)となってしまっていたのです。仏教は、あらゆる人々が もれなく歩める道をあきらかにしたはずなのに、これは一体どうなってしまったのか。真剣に道を問おうとすればするほど、親鸞さまはその理想と現実の矛盾に苦しまなければなりませんでした。比叡山にいれば一流大学の学生として みんなから尊敬される。そんなぬくぬくとした場から とびだすなどということは大変なことであったが、親鸞さまは、どうしても ごまかして生きることができず、ついに難行の道に見切りをつけ、だれでも歩むことができる念仏の大道(だいどう)に向かうことになりました。
 浄土真宗の基礎をきずきあげた法然さまは、訪れた親鸞さまに向かって、奈良や比叡山の伝統的な仏教は、すでに形式化、観念化してしまい、今 現に悩み苦しむ民衆を救うものではなくなっていること、もはや、このすさみきった世の中をよみがえらせるものは、阿弥陀如来の本願から生みだされた南無阿弥陀仏のみ名(な)のほかにはない、ということを、納得のいくように、ていねいに教えられたので、親鸞さまは、感激して南無阿弥陀仏の教えに導かれて生きる身となり、すべての人々が無条件で生き生きとした明るい人生に立つことができる、他力の信心(どんな境遇もおかげさまでと、喜んで引き受けていける心)をいただかれる身となったのです。


〈 御伝鈔 原文 〉

建仁(けんにん)第三(だいさん)の暦(れき)、春のころ●(聖人二十九(く)歳●)隠遁(いんとん)のこころざしにひかれて●源空(げんくう)聖人の●吉水(よしみず)の禅房(ぜんぼう)に尋ね参りたまいき●是(これ)すなわち、世(よ)、くだり、人(ひと)、つたなくして●難行(なんぎょう)の小路(しょうろ)まよいやすきにより(ッ)て●易行(いぎょう)の大道(だいどう)におもむかんとなり●真宗紹隆(じょうりゅう)の大祖(たいそ)聖人●ことに宗(しゅう)の淵源(えんげん)を(ノ)つくし●教(きょう)の理致(りち)をきわめて、これをのべ給(たも)うに●たちどころに、他力摂生(せッしょう)の旨趣(しィしゅ)を受得(じゅとく)し●飽(あく)まで、凡夫直入(じきにう)の真心(しんじん)を(ノ)●決定(けッぢょう)し(↑)、ましましけり●