2019年 2月号 世の中に なにが苦し と 人問はば 御法を知らぬ人 と答へよ

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良寛 『良寛歌集』163p 日本古典全書 朝日新聞社

 「新年おめでとうございます」と言っていたかと思うとはや1カ月が過ぎてしまいました。今年もあと11カ月です。中味の無い時間は、いくら重ねてみても中味はありません。中味がありませんから、あっと言う間に過ぎてしまいます。変な譬えになりますが 預金ゼロの通帳 は 何回つけ込みをしても中味はゼロのなんです。例年に無く雪の少ない1月でした。雪が少ないことは老体には有り難いことです。しかし雪がこれほど少ないというのも天候不順ですから、梅雨期や台風シーズンにこのはね返りがくるのではないか と気がかりです。

 昨年の婦人会研修旅行は良寛さんの五合庵にまいりました。五合庵の前に立って、それぞれの感じ取ったことを言葉にはできなくても、自分が長い人生の中で問うことを忘れていたことを、何も持たないまま、貧のなかに生きた良寛さんの一生にふれることによって 何かを問いかけられた。と感じ取ってくれているようです。これは 姿の無い良寛さんの力(ちから) です。子供向けの良寛さん像とは また異なる良寛さんとの 出会い がありました。

 その良寛さんの歌が今月の言葉です。「世の中に なにが苦(くる)し と 人問はば 御法(みのり)を知らぬ人 と答へよ」(日本古典全書『良寛歌集』朝日新聞社 吉野秀雄編) 163p この場合の「苦しい」は どんな意味でしょうか。あれこれと辞書をひいてみると「胸が 痛い」「悩ましい」「心配である」「心づかいがされる」「難儀である」「いとわしい」という意味があるようです。そうすると「世の中に、なにが悩ましい、胸が痛いことか というと、 仏様の教えにふれようともしない人たちの姿だ」ということになるでしょうか。

 ご承知の「三帰依文(さんきえもん)」は「人身(にんじん)受(う)け難(がた)し、いますでに受く。仏法聞(き)き難(がた)し、いますでに 聞く、この身今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらに いずれの生(しょう)においてか この身を度(ど)せん」という言葉から始まっています。この「三帰依文」から響いてくるのは、人間に生まれることが出来た ということは、気づいてみれば まったく自分で選んだことではなかったのです。たまたま人間に生まれることができたのです。不思議にも人間に生まれることが出来たことの意味 とは、私が人間であることができた、この間に「この身を度す」ということであり、それ以外に 本当に人間に生まれた意味をみたしてくれるもの は 無いのです。ただ、それは 私たちが 私たちの知識を総動員させても見つけることが出来ない という大変に難しいことがらです。それを本当に明らかに見せて下さり、気づかせてくださり、受け取らせて下さるのは、真実を教えてくださる仏様の働き に出遇わなければできないのです。
 このようなことを短い言葉で示しているのが「三帰依文」ではないでしょうか。良寛さんが「悩ましいこと、胸が痛いこと」と言っておられるのは、私の思い にしか立とうとしないため、人間である身が本当に生きる意味を明らかにしてくれる言葉に出遇うことを拒否している人間の姿 ではないでしょうか。この姿は実は「邪見(じゃけん)驕慢(きょうまん)悪衆生(あくしゅじょう)」という『正信偈』の七言で言い当てられている人間の実相(じっそう)です。それを悲しんでいる良寛さんです。

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