2022年 3月号 みずからの生涯の宗としてゆく道に目をひらくことができた、これが真宗に遇うた ということであろうと思います。

松原祐善  

 ドカ雪には ならなかつたものの二月は雪が降り続きました。消えては降り、消えかけては降る というタイプの雪に悩まされました。中旬頃から肩や胸に痛みが出て数日は夜中に目が覚めて眠れない夜が何度かあり嫌いな病院通いをしなればならなくなりました。雪は、お前は もはや老体なのだぞ。汝の身の事実を知れ!と教えてくれて消えていきました。

 高校生まで過ごした福井県の大野市は1メートルを超す大雪になっていると何度もテレビが放映しているのを見て松原先生の お寺が どうなっているのか心配になりました。連絡してみると お寺を守っておられる前坊守さんは「年寄りには どうすることもできない」と言っておられました。私と同年令ですから ご苦労が しのばれます。

 「ただ今の生の現実の中に自己の人生をして悔いなからしむる道をもとめなくてはならないのです。」これは松原祐善先生ご自身が難病で手の指が痺れて痛むなかで、リュウマチの手術をされた ご子息の祐一さんに お書きになった手紙の中にある言葉です。『汝自身を知れ』p188―同朋社― 昭和63年(傘寿記念出版)。続けて読んでみましょう。
 「もう北陸も鬱陶しい梅雨期になりました。私も両手の指が いっそう痛みますが、君のリュウマチの痛みに比すれば軽微だと思います」と書き出されている手紙です。「とくに難病のことだから、どうしても これからの半生は その病気と おつきあいをしてゆかねばなりません。その病気を友として、その病む身体をいたわってください。病む身体は もとより不如意のものですが、病気それ自体は善でもなければ、悪でもない、無記のものです。しかし、その苦痛を避けようとすれば苦悶いたします。自分だけどうして このような不治の病魔に襲われたのであろうか という不平不満がこぼれ、さらには この病気が自分の人生を台なしにしてしまった という愚痴がでて、ひそかに号泣せざるをえなくなるのです。ここに自分の人生を他の人びとの人生と比較することでなく、自分一人の生をしかも その一回きりの、再び繰り返すことのできないその生を凝視しなくてはなりません」と父親として息子の痛みを悲痛な思いで見つめながら、でも大切なことがあるのだよ と呼びかけておられます。
「ただいまの生の現実のなかに自己の人生をして悔いなからしむる道を求めなくては
ならないのです。それは自己が真実の自己に目覚めるという一事です。自己が自己になる。自己が現実の境遇をそのままに明るく信受できることです」と現実の身から学ぶことがあるのだ と いわれます。そして「病患具足の者と友から呼ばれた私ですが、病気を必ずしも不幸である とは受け取っては いません。お念仏は悪を善に転じ不幸を幸福に転じてくださる智慧の灯です」p189 と語っておられます。
 私も痛みで眠ることのできない数夜がありました。前記のように その痛みは お前の身の事実を知れ という呼びかけだったと聞こえてきたのです。

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