宮城 顗 教行信証聞記1
年をとると時間の流れが速くなります。あれよ!あれよ!と思っているうちに師走となってしまいました。アメリカの大統領選挙と日本の兵庫県知事選挙の結果は、年寄りの田舎のボンさんにすぎない私には驚くべき結果でした。しかし、それはアメリカ国民が選んだのであり、兵庫県民が選んだのだという事実があります。しかし、他の生き方を認めないような空気が両方に流れているのではないのかということを感じさせられています。アメリカ第一主義は、アメリカさえよければいいのであれば、アメリカは世界の中で孤立してしまいます。兵庫県民が何を考えているのかは もうひとつ 理解できません。わが道を強引に進むこと、他の意見に従わない知事の姿勢が素晴らしいと県民が考えた結果だとすれば、知事は選挙後も、従前の道を「私は県民に肯定された」と歩み続けるでしょうね。
仏教には諸仏が おられます。仏教は一神教では ありません。浄土真宗は特に諸仏に重要な意味があります。阿弥陀仏の本願である、あらゆる衆生を助けたいという願い、経典では「十方の衆生、心を至(いた)し信楽して我が国に生まれんと欲(おも)うて、乃至(ないし)十念せん。若(も)し生まれずは、正覚(しょうがく)を取らじ。唯(ただ)五逆と正法を誹謗(ひぼう)せんをば除く。」(無量壽経 十八願)と説かれています。「あらゆる衆生の、わが国土に生まれたいと願い、わが名を称する者を我が国に生まれさせたい」という願いを、素晴らしい願いだ と称(たた)えて、その阿弥陀仏の願いが衆生に届くことを、自らも願いとする 諸々(もろもろ)の仏がおられる と説かれています。仏(ぶつ)と仏(ぶつ)と相(あい)念じあう世界 が説かれています。これは十七願に説かれています。諸仏称揚(しょうよう)の願 諸仏称名の願と名付けられています。仏さまとは、俺だけが正しいという世界 にはおられないのです。証明を求め、証明しあうのが仏様の世界なのですね。「仏仏相念(ぶつふつそうねん)」という言葉が、仏様がた の世界 をあらわしています。さらに、私を目覚めさせてくださった人をさえ、諸仏であった と受け止めることもあるのです。
「目覚める」という言葉は、とても大切な言葉だと思います。これまでの自分のもの の考え方 をひっくり返されるような体験をすることでしょうね。自分が間違いない と思っていたことが 間違いだった。と、気づかされた。そんな大変換がわが身に起きるのです。
宮城先生は このように言っておられます。
「仏一人ひとりの所証(しょしょう)は平等是(ぜ)一(いち)だけれども、それまでの、なぜ そういう願いをおこし、なにを手がかりに歩まれたのか という、その因縁は格別なのです。同じ世界を生きるのに それぞれの因縁による。そのことを身に明らかに頷いていくということが、今日いよいよ大事な問題になってくるのではないかと思います」『教行信証聞記』1 宮城顗選集10 法蔵館 p141
ここに他人の意見が聞ける、他人の存在を認めることができるという世界が、独善(どくぜん)、孤立から 人間が回復される立場がありえることが示されていると思います。