2025年 9月号 「他力」と言うは如来の本願力なり。

『教行信証』 行巻
『真宗聖典』改訂版p213 『真宗聖典』初版p193

 8月は猛暑と豪雨の月でした。7日の定例の日は大雨になったので御参詣は数人だろうと思っておりましたが いつもの方が お参りくださいました。ところが話を始めて 20分ほどに 皆さんの携帯が一斉になりだしたのです。小矢部川氾濫注意報、高齢者の避難指示、町内の川の氾濫警報 次々 はいりました。3度目には さすがに深刻な状況なのだろう と判断して早々に終わりに いたしました。結果的には被害はなかったようです。25日の定例は猛暑日になりました。秋風は いつ吹くのでしょうか。涼しい風が待ち遠しいのですが、それは すぐに冷風に変わってしまいます。
 「他力」と言うは如来の本願力なり」は『教行信証』の「行の巻」の後半が このことば から始められる という大切な位置に置かれた言葉です。「行の巻」とは「南無阿弥陀仏」という仏名を称えること、称名念仏が真実の行であるということを「大行は即ち無碍光如来の名を称するなり」と証(あか)しして いかれた一巻です。
 現在のお寺には、暑いから、寒いから、忙しいから。年取って身体に不調があるから と、さらに坊さんの言っていることが難しいから と近づかない人が増えています。ここで挙げられている理由のほとんど は 他人のせいですね。
 そのような生の在り方をしていると生活すべてが仏さまと無縁になっていきます。それが寺に足が向かない要因なのでしょうね。つぎのような言葉があります。

 悪と憍慢(きょうまん)と蔽(へい)と懈怠(けだい)のものは、以て此の法を信ずること難(かた)し。
 宿世の時、仏を見たてまつれる者、楽(この)んで世尊の教を聴聞せん。
 人の命、希に得べし。仏、世に在せども甚だ値(あい)い難(がた)し。
『真宗聖典』改訂版p173 『真宗聖典』初版p160

「他力本願では だめだ」と言った政治家や文化人がいました。親鸞聖人は「他力とは如来の本願力なり」と仰っています。人間の依頼心では決してありません。「他力本願では だめだ」と言っている人は「如来さまでは だめだ」と言っていることになります。つまり 仏さまよりも自分の方が上位にいる と思っている人です。世間の言葉で言えば傲慢無知(ごうまんむち)、傲岸不遜(ごうがんふそん)なのでありますが、そのことには気づいていません。

 本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし 「高僧和讃」 天親菩薩
『真宗聖典』改訂版p590 『真宗聖典』初版p490

 本願力とは本願の はたらき ですが、その働きに出遇うことを妨げるものが私たちの中にあります「煩悩、眼を障(さ)えて見ずと雖も大悲倦きこと無くして常に我を照らしたまう と いえり」正信偈。煩悩の眼を恥じず、自慢しているのは だれなのでしょうか。