宮城 顗(しずか) 「人と生まれて」 同朋選書32
10月に なりました。今年の猛暑も少し柔らかくなってきたようです。例年ですと今月の中旬には立山連峰は白くなりはじめます。今年は どうなるでしょうか。平野部でも秋が始まりますが すぐに寒さが強まり「寒い、寒い」と愚痴るようになります。そんな越中路の10月と11月は報恩講の月です。あちら こちらの お寺で報恩講が勤められます。報恩講を詠んだ俳句に次のような句がありました。
小寺には小寺ながらに報恩講 矢野牛童
こんにやくの煮しめの艶や報恩講 井上雪 (煮しめのお斎も珍しくなってます。)
9月の末に、ある お寺の報恩講で、お話させていただきながら、ふと頭に浮かんできたことがありました。他宗の開山の祥月命日は どのように表し、どのように勤められているのだろうか? ということでした。
私たちの真宗の本山では親鸞聖人の祥月命日は「報恩講」です。ありがとうございます と 親鸞聖人から いただいている今 を感謝し語りあう集いです。他宗では「開山忌」「祖師忌」というようです。法然上人の浄土宗は御忌(ぎょき)会(え)というようです。真言宗では弘法大師は死んでは おられなくて、食事を運ぶぐらいですから御命日に云々ということはないようです。天台宗も最澄さんの御命日に特別ななことは無いようです。宗祖の御命日に「報恩」という集いをもっということは真宗の特長になります。報恩講が庶民に いきわたったのは 蓮如上人の時代になってからでしょう。御文で 抑(そもそも)、今月二十八日の報恩講は、昔年よりの流例たり。これによりて近国・遠国の門葉、報恩謝徳の懇志を はこぶ ところなり。二六時中の称名念仏、今古 退転なし。これ すなわち開山聖人の法流、一天四海の勧化、比類なきがいたすところなり。このゆえに、七昼夜の時節に あい あたり、不法不信の根機においては、往生浄土の信心、獲得せしむべきものなり。これ しかしながら 今月聖人の御正忌の報恩たるべし。しからざらん ともがらに おいては、報恩謝徳の こころざし なきに にたるものか。(「御文」4帖目8通 真宗聖典 初p824 再p991)
「往生浄土の信心」とは 宮城先生の「この身に いただいている いのちの深さと広がりの かぎりないことを、私たちに 明らかにしよう と されているのが、無量壽如来の本願で ございましょう」という ことばが、言い当てていてくださるのではないでしょうか。
この身に頂いている命が、私たちに本当に命の深さと広さに目覚めることが出来たかと問いかけている。その問いを受け止め 深める集い が 報恩講なのではないでしょうか。