7 御伝鈔 下巻 第三段「弁円済度」 意訳

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御伝鈔 意訳 下巻 第三段「弁円済度」

『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ-』東本願寺出版部より 


 親鸞さま は、常陸(ひたち)の国(くに)にあって、
「ただ ひとえに 阿弥陀如来の本願に 自分の人生 の すべて を まかせ南無阿弥陀仏の教え に 導かれて、明るい、生き生きとした私 に 生まれ変わる」
という 体験 を 人々に 語られましたが、その教え を 疑い そしる など という人 は 少なく、ほとんどの人は、その 教え を 心 から 喜び 苦難の生活 に 立ち向かって いきました。
 だが、この世の中には、そんな 簡単に 救いの門 を くぐれる人 ばかりとは かぎりません。常陸(ひたち)の国に 弁円(べんねん)という山伏(やまぶし)の修行者が おりました。偉い修行者 と いうことで まわりの人々の尊敬を 一身に 集めていたのですが、親鸞さま の ところへ、念仏の教え を 聞こう と 集まる人 が 多くなるにつれて、恨みを 抱くようになり、最後には、親鸞さま を 殺害しよう と まで 思いつめ、親鸞さま の 動向を うかがうよう に なったのです。
 そのころ 親鸞さま は、念仏の教え を 説き弘めよう と、板敷山(いたじきやま)という深山(しんざん)の小路(こみち)を しばしば 往復しておられたので、弁円は そこに 待ち伏せして親鸞さま を つかまえよう と しましたが、いつも さまざまな邪魔が はいって、その目的を達することが できませんでした。そのうちに 人のうわさ を いろいろ聞いてみると、どうも親鸞という人は、自分が考えていたような人ではないらしいのです。そこで ためしに 一度 会ってみよう と 思い、思いきって 親鸞さま の すまい を 訪ねたところ、親鸞さま は 喜んで お会いに なりました。
 弁円が 親鸞さま の 尊いお顔 を はじめて 仰(あお)いだ とき、これは まことに不思議なこと で あるが、いままで 親鸞さま を 亡きもの に しようと
恨み 憎んでいた心 が 一度に 消え失せて、それどころか、
「なぜ こんな すばらしい人 を 殺害しよう など と いう 恐ろしいことを考えたのか」と、後悔の涙が こぼれてくるのでした。
 ややしばらくして、山伏弁円は、今まで つもり つもっていた恨み、憎しみの心の内 を ありのままに 親鸞さま に うちあけましたが、親鸞さま は、あまり 驚くようす も ありませんでした。
 弁円は、そこで、すぐさま、持っていた弓矢を折り、刀 や つえ を 投げ捨て、頭巾(ときん)をはずし、着衣(ちゃくい)をあらためて、南無阿弥陀仏の教え に 育てられる身 と なり、ついに 今まで 見失っていた 生き生きとした人生 に目覚めることが できたのです。これは ほんとうに不思議なことでした。後に 明法房(みょうほうぼう)と呼ばれるようになった、念仏者のお手本のようなお方は、この人のこと なのです。その名は、親鸞さま が おつけになったものです。