富山県南砺市福野 教願寺住職 釜田 哲男さんが、毎月出しておられる寺報「教願寺だより こころの通信」です。
この寺報を北國新聞さんがまとめて、三冊目になる
『よきひとの言葉3 浄土真宗への道しるべ』が出版されました! (発行日 2019年8月31日)
多くの方に読んでいただきたく、釜田さんから掲載を許可いただきました。
毎月 更新していきますので、「楽しみ」にしていただけたら、幸いです!!
- 余命すくなくなり この 日のひかりが しみじみ この ふく風が しみじみ この生き死にの波が しずかに うねりながら ひかりながら 「余命」
⦅榎本栄一⦆
NO328 2024年11月号「教願寺だより こころの通信」です - 無限の側(がわ)から言葉となって衆生を包(つつ)んだのが南無阿弥陀仏です。
⦅松原祐善⦆
NO327 2024年10月号「教願寺だより こころの通信」です - 人生の悲しみの深さが念仏の深さをしらすのである。
⦅正親含英⦆
NO326 2024年9月号「教願寺だより こころの通信」です - 朝露に浄土参りのけいこ哉
⦅小林一茶⦆
NO325 2024年8月号「教願寺だより こころの通信」です - 師の言葉は、すべての知識を超えた、心の内側にある何かを目覚めさせるものなのです。
⦅アントニー・デ・メロ⦆
NO324 2024年7月号「教願寺だより こころの通信」です - きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこう 毎朝 毎夕 拝読しながら しんらんさまの おこえが すどおりします ごめんなさい。
⦅宇野正一⦆
NO323 2024年6月号「教願寺だより こころの通信」です - 「今」 大切なのは かつてでもなく これからでもない 一呼吸 一呼吸の 今である。
⦅西田幾多郎⦆
NO322 2024年5月号「教願寺だより こころの通信」です - 宗教は己の生命を離れて存するのではない、その要求は生命其者の要求で有る。
⦅坂村真民⦆
NO321 2024年4月号「教願寺だより こころの通信」です - なむあみだぶつを、うることわ、なむあみだぶつのなせるなり。
⦅浅原才市⦆
NO320 2024年3月号「教願寺だより こころの通信」です - 人間は、いつまでも元気に長生きできれば、それでよいというものなのでしょうか。
⦅池田晶子⦆
NO319 2024年2月号「教願寺だより こころの通信」です - 只 静かに飯打ち食ひて、きる物多くきて、年よりて死ぬる事は、犬、鳥のなかにも さる物は多く候なり
⦅明恵⦆
NO318 2024年1月号「教願寺だより こころの通信」です - 信仰が本当に生きておるならば、かならず それは新しい生活を生み出す。
⦅和田 稠⦆
NO317 2023年12月号「教願寺だより こころの通信」です - 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふというは、自己をわするるなり、自己をわするるといふは、万法に証せらるゝなり。
⦅道元⦆
NO316 2023年11月号「教願寺だより こころの通信」です - この娑婆の人生に卒業はないのです。仏法聴聞に卒業はないのです。
⦅松原祐善⦆
NO315 2023年10月号「教願寺だより こころの通信」です - 人生は長さだけではない。幅もあれば、深さもある。その長さは、個人の一生、その幅さは人間の生活、その深さは長さ幅さの帰依となりたもう仏の命。
⦅金子大栄⦆
NO314 2023年9月号「教願寺だより こころの通信」です - この度なの生命は二度と持つとはできない。なんとなれば、この度の生命は浄土を開くという大きな異義をたたえているところの生命である。
⦅蓬茨祖運⦆
NO313 2023年8月号「教願寺だより こころの通信」です - この世の いのちだけが 存在ではないのですから この世のいのちを守るために 生きているわけではないのですから。
⦅神谷美恵子⦆
NO312 2023年7月号「教願寺だより こころの通信」です - 念佛に於いて佛は佛として現われ、われらも自身を見出すのである。
⦅金子大栄⦆
NO311 2023年6月号「教願寺だより こころの通信」です - 浄土は生と死の山坂を超えぬと無い。その山坂を超えてある。
⦅曽我量深⦆
NO310 2023年5月号「教願寺だより こころの通信」です - 現代人とは、自分は死なない、と思っている人のことなんです。
⦅養老孟司⦆
NO309 2023年4月号「教願寺だより こころの通信」です - さらさら流れる春の小川の水は、両手ですくった その中に何億何十億という微生物やミネラルを抱えています。
⦅土井善晴⦆
NO308 2023年3月号「教願寺だより こころの通信」です - 病苦は 人の心を耕す「すき」である。
⦅細川 宏⦆
NO307 2023年2月号「教願寺だより こころの通信」です - 信仰問題は一生の問題である。
⦅曽我量深⦆
NO306 2023年1月号「教願寺だより こころの通信」です - 人間には、自分自身に対して、ある大切な生き方を促す はたらきがある。如来の本願です。
⦅大江憲成⦆
NO305 2022年12月号「教願寺だより こころの通信」です - この いのち なんのために だれのために 人間を超えた問い 如来さまの問い かたじけなし 大悲招喚の勅命
⦅浅田正作⦆
NO304 2022年11月号「教願寺だより こころの通信」です - 大悲心に目覚める ということは、自分のあり方を初めて深く悲しむ ということです。
⦅宮城 顗⦆
NO303 2022年10月号「教願寺だより こころの通信」です - 我等のことを見抜き、知り抜いた上で、お説きになられた法というものがある。
⦅平野 修⦆
NO302 2022年9月号「教願寺だより こころの通信」です - 世の中に、悩みの無い人に幸せを感じている人はない。
⦅金子大栄⦆
NO301 2022年8月号「教願寺だより こころの通信」です - やがて崩れる足下 忘るなと 大地うごけり
⦅浅田正作⦆
NO300 2022年7月号「教願寺だより こころの通信」です - 身、随意なれば、仏法・世法、ともに おこたり、無沙汰・油断あり。
⦅蓮如⦆
NO299 2022年6月号「教願寺だより こころの通信」です - 本当の愚かさというのは、自分がおろかだということも知らない愚かさです。
⦅一楽 真⦆
NO298 2022年5月号「教願寺だより こころの通信」です - 国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚をとらじ。
⦅『無量寿経』本願の第一願⦆
NO297 2022年4月号「教願寺だより こころの通信」です - ただ今の生の現実の中に自己の人生をして悔いなからしむる道をもとめなくてはならないのです。
⦅松原祐善⦆
NO296 2022年3月号「教願寺だより こころの通信」です - みずからの生涯の宗としてゆく道に目をひらくことができた、これが真宗に遇うた ということであろうと思います。
⦅廣瀬 杲⦆
NO295 2022年2月号「教願寺だより こころの通信」です - たとえ朝咲いて夜散る花であっても、そのなかには無限のいのちがある。
⦅金子大栄⦆
NO294 2022年1月号「教願寺だより こころの通信」です - 再びは通らぬ 一度きりの 尊き道を いま あるいている
⦅木村無相⦆
NO293 2021年12月号「教願寺だより こころの通信」です - 仏の説法を聞かなければ自分に持っている願いがわかりません。
⦅蓬茨祖運⦆
NO292 2021年11月号「教願寺だより こころの通信」です - 偶然の生 ありがたき 必然の死 ありがたき
⦅木村無相⦆
NO291 2021年10月号「教願寺だより こころの通信」です - 浄土への願いが念仏を称えさせるのです。
⦅金子大栄⦆
NO290 2021年9月号「教願寺だより こころの通信」です - やり直しではない。生き直しをしないといけない時代がはじまっているのです。
⦅梶原敬一⦆
NO289 2021年8月号「教願寺だより こころの通信」です - 聞は身に たもち、思は心に たもつ。
⦅曽我量深⦆
NO288 2021年7月号「教願寺だより こころの通信」です - 古シ 泉ハ 新シ 水ハ
⦅柳 宗悦⦆
NO287 2021年6月号「教願寺だより こころの通信」です - 我、今帰する所なく 孤独にして同伴なし
⦅源信⦆
NO286 2021年5月号「教願寺だより こころの通信」です - 物質上の財宝だけを追うて働くことは、われ と わが牢獄を築くことになる。
⦅サン=テグジュペリ⦆
NO285 2021年4月号「教願寺だより こころの通信」です - そんなに情報集めてどうするの そんなに急いで何をするの 頭はからっぽのまま
⦅茨木のり子⦆
NO284 2021年3月号「教願寺だより こころの通信」です - 本願の念仏は、あくまでも、私が一人で生きられる力をあたえて下さるものです。
⦅米沢英雄⦆
NO283 2021年2月号「教願寺だより こころの通信」です - 長き夜や心の鬼が身を責める
⦅一茶⦆
NO282 2021年1月号「教願寺だより こころの通信」です - 生まるれば必ず死ありといふことを。死ぬことを若し欲はずは生まれぬにしかず。
⦅山上憶良⦆
NO281 2020年12月号「教願寺だより こころの通信」です - 南無阿弥陀仏というのは、合掌し礼拝する心の姿勢を言葉で表したのであります。
⦅正親含英⦆
NO280 2020年11月号「教願寺だより こころの通信」です - 生きるということは、自分の思い通りになることを生きるというのではありません。
⦅祖父江文宏⦆
NO279 2020年10月号「教願寺だより こころの通信」です - 人間は他人の死なら、どんな人の死にも驚かないが、自分の死だけには驚く虫のいい動物である。
⦅山田風太郎⦆
NO278 2020年9月号「教願寺だより こころの通信」です - 念仏は 仏法を凡夫の身につけしめるものである。
⦅金子大栄⦆
NO277 2020年8月号「教願寺だより こころの通信」です - 世の中の生死の道に つれ は なし ただ さびしくも独死独来
⦅一休⦆
NO276 2020年7月号「教願寺だより こころの通信」です - 私たちは、空気、水、食べ物、その食べ物が作られる自然条件、父母、祖先 その他 無数のつながりによって 生かされています。
⦅大井 玄⦆
NO275 2020年6月号「教願寺だより こころの通信」です - 人間が惨めさと呼ぶ「獣において自然なこと」とは なんでしょう。それは「死ぬ」ということです。
⦅門脇 健⦆
NO274 2020年5月号「教願寺だより こころの通信」です - 老いが身の あわれを誰に 語らまし 杖を忘れて 帰る夕暮
⦅良寛⦆
NO273 2020年4月号「教願寺だより こころの通信」です - 相語る 声うやうやし 道に逢う 角ある人と 角ある人との
⦅森 鷗外⦆
NO272 2020年3月号「教願寺だより こころの通信」です - 宗教とは自己というものが真に自己になる道であり、同時にまた人間というものが真に人間になる道である。
⦅西谷啓治⦆
NO271 2020年2月号「教願寺だより こころの通信」です - なむあみだぶつを、うることわ、なむあみだぶつ の なせるなり。
⦅浅原才一⦆
NO270 2020年1月号「教願寺だより こころの通信」です - 雨の日 には 雨の日の悲しみの日 には 悲しみの日のかけがえのない 大切な人生がある。
⦅浅原才一⦆
NO269 2019年12月号「教願寺だより こころの通信」です - 浄土真宗に帰しているからこそ、真実の信がない、ということが分かるのである。
⦅米沢英雄⦆
NO268 2019年11月号「教願寺だより こころの通信」です - 魔は煩悩に依って菩提を妨ぐるなり。鬼は病悪を起こす、命根を奪う。
⦅米沢英雄⦆
NO267 2019年10月号「教願寺だより こころの通信」です - ご恩徳をしる、今の私がここにあらしめられている ご恩徳。もっと言えば 教えを聞く身に育てていただき、 手を合わす身に育てていただいた。意味の分らない言葉であった念仏が、私の命としていただける身になるまで育てていただいた。その御恩徳の重さです。
⦅幡谷 明⦆
NO266 2019年9月号「教願寺だより こころの通信」です - 名号という如来の名告り、如来の呼びかけは、当然、そのなかに応答が求められております。それは一方的に名告り呼びかけるのではなくて、自ら我と名告り、汝と呼びかけることを通して、汝からの応答、返事を待ち続けておるものです。
⦅幡谷 明⦆
NO265 2019年8月号「教願寺だより こころの通信」です - 凡夫というは、無明煩悩われらが み に みちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと
⦅親鸞⦆
NO264 2019年7月号「教願寺だより こころの通信」です - 本願を信じ念仏をもうさば仏になる。そのほか、なにの学問かは往生の要なるべきや。
⦅歎異抄⦆
NO263 2019年6月号「教願寺だより こころの通信」です - 仏 は 語り継ぎ、語りなおす いとなみ に おいて 存在した。
⦅下田正弘⦆
NO262 2019年5月号「教願寺だより こころの通信」です - 智慧は知識とは異なり、知ることを積み重ねるのでなく、自分の知を一つ一つ空しくしていくのです。
⦅正親含英⦆
NO261 2019年4月号「教願寺だより こころの通信」です - 世渡りを七十年もけいこして まだ ときどき つまずくとは
⦅榎本栄一⦆
NO260 2019年3月号「教願寺だより こころの通信」です - 世の中に なにが苦し と 人問はば 御法を知らぬ人 と答へよ
⦅良寛⦆
NO259 2019年2月号「教願寺だより こころの通信」です - 自分の煩悩を見るといっても、照らす光がなければ見えません。
⦅榎本栄一⦆
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