浅田正作 『骨道を行く』より
今年のカレンダーの半分が終わってしまいました。6月28日に北陸も梅雨明けになり、観測史上最も早い梅雨明けのようです。と言うことは最も短い梅雨の期間だったのです。
6月19日に能登の珠洲市を震源とする地震がありました。震源地では震度6弱という大きな地震だったのですが南砺市はそれほどの揺れはありませんでした。距離的に遠いはずの新潟の上越市の方の揺れの数値が大きいのは不思議なことです。目で見ることの出来ない地下の構造の性なのでしょうね。自分の目で見える世界しか世界は無いのだと思っておりますが、「見えない世界」もあるのですね。金子みすゞさんの「みえぬけれどもあるんだよ みえぬものでもあるんだよ」(「星とたんぽぽ」)という詩の一節を思い出します。
6月28日に北陸電力の株主総会があり。滋賀原発は地震地帯にあるから廃炉を求めるという要求が有ったようですが会社は「今回の地震の規模、マグニチュード5.4より大きな地震を想定して耐震設計しており、安全性に影響を及ぼすものではない」と廃炉要求を否定しました。目前の金儲けということだけに眼を塞がれていて安全性については何も見ないようです。東京電力の福島原発での大事故は全く教訓にならないようですね。
「やがて崩れる足下 忘るなと 大地うごけり」浅田正作さんの詩集『骨道を行く』の「地震」という題の詩です。今回の地震で思い出しました。私たちは自分の足下(あしもと)は確かなものだと思い込んでいます。しかし、今回、私は法話中に「大きな地震がありました。揺れに注意してください」と携帯が鳴るという経験をしました。その揺れが小さかったので動顛(どうてん)は しませんでしたが、もし、あの場が震度5以上の揺れだったらどうなっていたでしょうか。私も、そして座っておられたご婦人方もどんな行動をしたでしょうか。悲鳴が部屋中に響いていたことでしょうが、それ以上の想像はできません。
私たちの今いるところを娑婆といいます。「娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁の中」と『阿弥陀経』p133にはあります。「この娑婆の火宅」p220(信巻)「苦悩の娑婆、輒然(ちょうねん)として離るることを得るに由(よし)なし。」p235と善導大師のお言葉が引用されています。和讃では「娑婆永劫の苦をすてて 浄土無為を期すること 本師釈迦のちからなり 長時に慈恩を報ずべし」とありますが娑婆とは苦の世界とされています。
娑婆という今私たちがいる世界、いつまでも居たいと執着している世界は数秒後も私たちは予測することが出来ないのです。私たちが今立っている足下は確かな場所だと思っていますが実は いつ崩れるのか解らないような場です。自然災害という言葉では明確にならない世界が有ります。いつ崩れるか解らない不確かさが見えないのです。私たちの何でも見える目の外に、もうひとつ知恵の目が開かれないと見えない世界が
あるのです。