養老孟司
3月末に急に暖かく、春らしくなりました。でも、朝夕の温度差が かなり有って夜具の調整に気を使いました。過ぎ去った冬は、寒さは厳しかったのですが富山県の平野部の降雪量は少なくて、老体にとっては ありがたいことでした。桜が思いのほか速く咲き始めました。今年の春は三月末に突然にやってきたような感じがいたしました。
「今月の言葉」として解剖学者の養老(ようろう)孟司(たけし)さんの言葉を使わせていただきました。2月に養老さんの先輩に当たる東大解剖学教授だった細川宏さん(福光生まれ)の言葉を、その詩集「病者・花」から引用させていただきましたが、今月は養老孟司さんの言葉を「手入れという思想 」(新潮文庫)から引用させていただきました。養老さんはこんな指摘をしています「戦後、昭和三十年代ぐらいまで、東京でも自宅で亡くなる人が六割を超えていました。今では八割以上の人は病院で亡くなります。ということは、家庭は死と出会う場所では なくなったということです。私たちは、病院に死を隔離したのです。これが良いか悪いかは別として、それだけ死が抽象的なものになってしまったということが言えるわけです」288pと。
現在の日本人が自分の死を問題にしなくなってしまつている原因について、この一文には なるほど、と納得されます。つづいて「現代社会というのは、生まれる所は病院で、病気になったら病院に行き、死ぬのも病院と決まっています。「生老病死という、本人が持っている自然な部分は見ないことにするという社会」ということになってしまっている。(289p)と続いています。そして「人々は、なぜ死を病院に入れてしまったのか。それは、死をできるだけ「現実」でないようにしたいからです。生老病死のような自然は、人間の意識がコントロールすることはできません。現代人は、意識できるもの、つまり自分の頭で考えられることだけを現実として受け止めてきました」291pと言っておられます。
明治の人ですが、清沢満之(きよざわまんし)(1863年~1903年)先生は「生のみが吾人(われら)にあらず、死もまた吾人(われら)なり、吾人(われら)は生死を並有(へいゆう)するものなり」(「臘扇記」)という言葉で人間の命の事実を言い当ててくださっています。生と死の両方を持っているのが私たちなのです。もっと身近なところで耳にしてきたのが『白骨の御文』でしょう。「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ はかなきものは、この世の始中(しちゅう)終(じゅう)、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。」(中略)「一生すぎやすし。いまに いたりて たれか百年の形体をたもつべきや。我や さき、人や さき、きょうとも しらず、あすとも しらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりも しげし といえり。されば朝には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり。」(中略)「夜半のけぶりと なしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり」(『御文』五‐16) 私の命の事実に気づけよ!その「限られた命の間に聞いておかなくてはならない言葉が有るのだぞ!」と聞かされていたのが真宗門徒の家の中に流れていた伝統なのでしょう。その伝統は いまや 見ないことにする という現代的意識に、どこかに隔離されているようです。