神谷美恵子
旧暦の「みなづき」水無月、6月が、過ぎていきました。雨の季節なのになぜ「水無し月」というのかと不思議に思っていたものですが、「な」を「無」に あてはめていますが本来は「の」意味で「水の月」であり、田に水を引く必要のある月という意味なのだそうです。傘寿を過ぎても知らないことばかりですが、知らないことを調べることは楽しみでもあります。7月は長らく京都市に暮らした者には、文月の7月は強烈な蒸し暑さと祇園祭のコンチキチンの響きが浮かんでまいります。
「今月の言葉」の 神谷(かみや)美恵子さんという お名前に接するのは初めて という方 多いのではないでしょうか。それでも、若い方は知っておられると思います。
1914年(大正3年)生まれで1979年(昭和54年)に亡くなられた方です。精神科医として1957年から1972年まで長島愛生院に勤務しておられました。その後神戸女学院大学、津田塾大学で教授として勤められました。よく知られている著書に「こころの旅」(日本評論社)があります。この本は若い年齢層の愛読書であるようです。また美智子皇太后さんの相談相手として精神的な支えになっていた方です。
今月の言葉の出典は「うつわの歌」(新版) みすず書房2014年発行 48頁 からです。
引用した詩の全文を紹介します。「この世のいのち」と題された詩です。
おかげさまで この世の生命を こんども とりとめました それは それで ありがたいことでは ありますけれども もし とりとめられない日が来ても それは わるいことではないでしょう この世の いのちだけが 存在では ないのですから この世の いのちを守るために 生きているわけではないのですから 大いなるものの意志のままに この世にいき、あの世にさるために 生きているのですから。 この世のいのち ばかりが存在ではないのです。
神谷さんはキリスト教の方です。しかし宗教を人間の命の根っこにある問い、つまり清沢満之先生の「人心(じんしん)の至奥(しおう)より いずる至盛(しじょう)なる要求」が宗教なのだ と受け止めるかぎりは人間の共通の課題としとして響いてくる言葉と聞き取ることができると思います。
「この世のいのちを守るために 生きているわけではないのですから」とは、生きていることだけしか視野にない現在の日本人の こころに響いてくることばではないでしょうか。しかし、現在の人間の一番の問題は、この神谷さんの言葉が響いてこないで、この世の命を延ばすことだけにしか関心が無いという 生の受けとめ方 なのでは ないでしょうか。