2023年10月号 この娑婆の人生に卒業はないのです。仏法聴聞に卒業はないのです。

松原祐善 『他力信心の確立』より

 猛暑の終わりが見えない今年の9月でした。人間の欲望が作り上げた現代の便利な生活が うみだしたのが、この自然界の変化なのだと思っているのですが、これは田舎の無学な老人の考え方なのでしょうか。若い人に「古い-!」と一笑に付せられるだけなのでしょうか。この日本という国の人口構成は10人に1人は80歳以上であると報じられていました。(2023/09/17 総務省)かくいう私も80歳越えなのであります。運転免許証の更新のためには認知症の検査を受けなければならなくなってから三度目の検査に合格して更新手続きも終わりました。免許証の有効期限は3年間延長されましたが、肝心の本人の寿命の方は全く保証されていないのであります。91歳でバイクを運転している元気なご婦人がテレビで紹介されていましたが畑仕事が毎日の頭脳も明晰な方でした。

 松原祐善先生が1991年1月に西帰されてから、はや33年という月日が流れてしまいました。今月の言葉は『松原祐善講話集 他力信心の確立』松原祐善講話集刊行会[編]法蔵館 2013年10月 からです。

 今月の言葉は「曽我先生に導かれて」という講題で講演された一部です。その前後をご紹介します。
 「私は曽我先生の教えが わかった ということはできません。そして わかることもありません。いわば自分で いただいていくのです。とても先生の教えをわかったとか、私は こうだ とか決めることはできませんし、決める必要もないことです。ただ新しく新しく いただいていくだけです。わからないことも多いのですから、これは今生でわからなければ来世で、また先生の お言葉を聴聞していく、そういう気持ちでおります。私だけが曽我先生をわかっているなどいうことはない。わかるわけがありません。みんなと一緒です。そのようなところで、わからないものが、なんとか先生の お言葉を頂戴できないか と話しあっているのです。この娑婆の人生に卒業はないのです。仏法聴聞に卒業はないのです。私は曽我先生がわかった とは いえるはずががない。曽我先生の話はわかるような話ではない。仏法は、わかる わからない ではないのです。生きているか死んでいるか です。嘘か本当か いうことなのです。」317頁 
ここには、真宗門徒の一番大切にしている「聞法」ということが松原祐善という先生の生きる姿勢として端的に語られていると思います。また次のように教えてくださっています。
 「南無阿弥陀仏」について「悲しい時でも、嬉しい時でも、災難に遭っている時でも、どんな場合でも称えられるようになっているのです。死んでいく時、口で称えられなくても一声の名は聞こえるのです。また「聞」といって、臨終でも六字の名号は ちゃんと聞こえるようになっているのです」326頁 
語っておられる先生の お姿が浮かんでまいります。