第二帖 第七通 意訳「易往無人章の大意」
『 御文章ひらがな版・拝読のために 』本願寺出版社 より
()の中は、吉江の加筆
人間に生まれることは五戒(ごかい)(在家信者の守るべき五種(ごしゅ)の戒(いまし)め。①不殺生(ふせっしょう)戒(かい)- 生き物を殺してはいけない ②不偸盗(ふちゅうとう)戒(かい)- 他人のものを盗んではいけない ③不邪淫(ふじゃいん)戒(かい)- よこしまな交(まじ)わりをしてはいけない ④不妄語(ふもうご)戒(かい)- 嘘をついてはいけない ⑤不飲酒(ふおんじゅ)戒(かい)- 酒を飲んではいけない)をたもった功徳によるのであり、まことに まれなこと です。しかし、人生は短く はかないもの で、たとえ栄華(えいが)をほこっても、盛者必衰(じょうしゃひっすい)会者定離(えしゃじょうり)(勢いの盛(さか)んな者 にも 必ず衰(おとろ)える時があり、出会った者には 必ず 別れる時がくる)のならいで 久しく続くものではなく、しかも老少不定(人間の寿命がいつ尽きるかは、老若(ろうにゃく)にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らない)なのですから、人の世はあてにはなりません。ですから私たちは 他力の信心を得て、浄土往生を願うべきなのです。
その信心を得るには、智慧(物事を見極める力)も学識(学問や知識)も必要ではなく、貧富や善悪や男女といった違いも一切関係なく、ただ 自力のはからい を捨て、二心(ふたごころ)なく 阿弥陀如来をたのむ ばかりです。み仏は このように信じるものを光明の中におさめとって、命が終われば かならず 浄土に生まれさせてくださるのです。この信心一つで 浄土に往生することのたやすさ から、「安心(あんじん)」というのです。『大経』の「易往而無人(いおうにむじん)」というのは、信心を得れば浄土に往生するのは易しいが、信心を得る人がまれであるから、浄土には往(ゆ)きやすいが人がいない ということです。
このように信心のいわれ を 心得た後に 私たちが称える念仏 はすべて、本願のはたらきによってお救いくださるご恩を報(ほう)じる(むくいる)ものです。仏法をよく聞いて、なんの はからい も いらない 信心のいわれ を知り、浄土往生をとげるよう心がけなさい。