2 南無不可思議光

↑ 法話の練習した音源です(約39分)。
下記の内容をプリントに印刷しているので、話の中で「○ページを見てください」というようなことが出てきます。

『音楽素材 : PeriTune URL:https://peritune.com/blog/2018/04/24/gentle_theme/』


「第一段 総(そう)讃(さん)「帰命(きみょう)無量寿(むりょうじゅ)如来 南無(なむ)不可思議光」
「心の底から阿弥陀様を敬(うやま)い、日々の拠り所として生きていきます」という お心の表明(ひょうめい)。
(「総讃(そうさん)」は、独立している お言葉 だが、正信偈全体を包んでいる お言葉 でも ある。)

 ↓ 前回 四月の時に確認させていただいた内容

帰命(きみょう) 無量寿(むりょうじゅ)如来(慈悲)
無量寿(むりょうじゅ)という つながりあう 永遠と呼べる命 を知らせるために現れてくださった阿弥陀様 の お導きに よって、
私も「つながりあう命」を生きる者になります。

 ↓ その お働き

〈 原文 〉    
南無(なむ)不可思議光  

〈 書き下し文 〉
不可思議光(如来)に南無(なむ)したてまつる。


〈 言葉の意味 〉

「南無(なむ)
インドの言葉が中国で音写(おんしゃ)された言葉(漢字には深い意味はありません)。
中国語で「帰命(きみょう)(本来の命の姿に戻る)」と翻訳(ほんやく)された。

「不可思議光(如来)」
阿弥陀様の智慧の光は、私達が思い はかったり、言い尽くしたりすることは できない。思議(しぎ)(思い はかる)すべ可(か)ら不(ず)。

 ↓

ー1-


『亡き方からのメッセージ‐浄土真宗の葬儀‐』二階堂 行壽(ゆきとし) 著
「南無阿弥陀仏」の南無というのは “無条件に頭が下がる ”ということ。
「阿弥陀」はサンスクリット語の「ア・ミダ」の音写で、「ア」は無(む)、「ミダ」は量(りょう)で、“量(はか)れない ”、“量(はか)ることを超えている ”ということです。
 私が、この私 になってきた背景には、私の思い はからい を超えた
「いのち の歴史」があります。それは、私の両親、祖父母、さらに その前から
ずっと続いてきた、思い はからい を超えた「いのちの事実」です。そして、
人との出会い も また 思い を超えています。
 子どもを授かった親も、また 生まれてきた子ども も、 それぞれ 自分の都合 を
超え、選ぶこと を超えています。時代も国も、そして民族も、親も子も、また
出会い も 選ぶこと を超えて、いのち そのものは、今、ここに、この私 として、
生きています。それが 私の いのちの事実 です。

『真実のよりどころ ー真宗における本尊ー』海 法龍 著
 ですから「南無阿弥陀仏」という言葉は、こんな私、つまり、いつも
思い はかってばかりいる私 に、「阿弥陀」に「南無」せよ、と。いのちの事実は、
はかることを超えているのだ。そのことに「南無」しなさい、という促(うなが)しです。
いのちの事実に立ち返り、事実を事実として受け止めなさい、という促(うなが)しです。
そして同時に、その促(うなが)しに「本当に そうだ」と 深く うなずく心、
それが「南無」という世界でありましょう。

 ↓ しかし、私達は、

本当は「豊かで、満(み)ち足(た)りていて、安心できる いのちの世界」を
生きているのに、その「いのちの世界」を捨てて、
「人間の知識」で作られた「違う世界」を生きて、
「心」は、暗く、満足も、安心も できなくなっている。
 ↓

ー2-


三つの髻(もとどり)‐自分を飾るもの の 象徴
・勝他(しょうた)
 周りの人と比べて、「自分の方が、優れている」と、思おうとする心。
 逆にいうと、人から見下(みくだ)されるのを嫌う心。

・名聞(みょうもん)
 有名になって、一目置かれる存在になろうとする心。
 権力を求め、その権力で、周りの人を従(したが)わせようとする心。

・利養(りよう)
 金持ちになろうとする心。お金を持っていない人を見下す。
 財産の 多い 少ない によって、人の価値を決めてしまう心。
 
 ↓ そのことに気づかされ、「間違っていた・・」と 思い知らされ、
   おかみそり(帰敬式(ききょうしき))を受け、「三つの髻(もとどり)」を 切り落として、仏弟子となる!

帰命(きみょう) 無量寿(むりょうじゅ)如来(慈悲)
無量寿(むりょうじゅ)という つながりあう 永遠と呼べる命 を知らせるために現れて
くださった阿弥陀様 の お導きに よって、
私も「つながりあう命」を生きる者になります。

南無(なむ) 不可思議光(如来)(智慧)
いろいろな形となって、
私達を支え、働きかけてくださっている阿弥陀様の智慧(光)を
いただき、本来の命の姿に戻ります。

ー3-


 ↓ 九字名号 お内仏(ないぶつ)(お仏壇)の向かって左側の お脇掛(わきがけ)

南無(なむ) 不可思議光如来
曇鸞大師(どんらんだいし)(七高僧 第三)の お言葉。曇鸞大師(どんらんだいし)が、
阿弥陀様からの南無阿弥陀仏「私、阿弥陀仏に南無せよ」との呼びかけに、
「南無(なむ) 不可思議光如来(いろいろな形となって、私を支え、働きかけて
くださっている阿弥陀様の智慧(光)をいただき、本来の命の姿に戻ります。)」と、応(こた)えられた お言葉。

 ↓ 聖徳太子の お言葉

世間虚仮(こけ) 唯仏(ゆいぶつ)是(ぜ)真(しん)
(世間は、空(むな)しく、本物では ない。ただ 仏様だけが、真実なのです。)

 ↓
『皇太子(こうたいし)聖徳(しょうとく)奉讃(ほうさん) 八』親鸞聖人 著
和国(わこく)の教主(きょうしゅ)聖徳皇(しょうとくおう) 広大(こうだい)恩徳(おんどく)謝(しゃ)し がたし
一心(いっしん)に帰命(きみょう)したてまつり 奉讃(ほうさん)不退(ふたい)ならしめよ

〈 言葉の意味 〉
和国(わこく)の教主(きょうしゅ)
日本に生まれて正法(しょうぼう)を興(お)こした主(ぬし)。お釈迦様を教主(きょうしゅ)世尊(せそん)と
崇(あが)めるのに準(じゅん)じて、聖徳太子を日本の教主(きょうしゅ)と尊称(そんしょう)する。

奉讃(ほうさん)不退(ふたい)‐怠(おこた)りなく奉讃(ほうさん)し奉(たてまつ)る。 

〈 意訳 〉
日本の教主(きょうしゅ)である聖徳太子の広大な恩徳(おんどく)は謝(しゃ)し難(がた)い。
二心(ふたごころ)なく聖徳太子の み言葉 に順(したが)い奉(たてまつ)り、本師(ほんし)の阿弥陀様に帰命(きみょう)して
念仏し、いよいよ怠(おこた)りなく奉讃(ほうさん)し奉(たてまつ)れ。

ー4-


〈 ご和讃 の お心 〉『和讃に学ぶ‐正像末(しょうぞうまつ)和讃‐』宮城顗(しずか) 著
  和(わ)の国(くに)

 「和国(わこく)」という言葉には、文字どおり「和(わ)の国(くに)」という意味が込められてあるように思えるのです。言うまでもなく そのときには、「十七条憲法」の第一条の、その最初に高々(たかだか)と掲(かか)げられています言葉、
  和(やわ)らかなるをもって貴(たっと)し とし、怖(さか)うること無(な)きを宗(むね)とせよ。
という あの お言葉を「和国(わこく)」の「和(わ)」の文字に重ねて受けとめているのです。
憲法というのは、言うまでもなく、その国の在(あ)り方(かた)、「国家の存立(そんりつ)と性格の基本的条件を定めた根本法(こんぽんほう)」ですから、その第一条の この言葉は、「和国(わこく)」という名に込められてある願い そのもの が端的(たんてき)に 言いあらわされたもの、ということができるでしょう。あえて申しますと、「和国(わこく)」とは、「和(やわ)らかなるをもって貴(たっと)し とし、怖(さか)うること無(な)きを宗(むね)と」する国である という名告(なの)りである といえるかと思います。
 人々のうえに和(やわ)らかなる心をひらき、すべての人が皆(みな)共(とも)に和(やわ)らかなる生活を営(いとな)める場をひらくこと、そのことをこそ、人は もっとも貴(とうと)ぶべきだと示されているのです。もし人々から、和(やわ)らかなる心を奪(うば)いとり、共(とも)に相和(あいわ)して暮らす生活を破(やぶ)り碍(さまた)げる ということがあるなら、それがどれほど理論的にすぐれた思想であり、気(け)高(だか)く優(すぐ)れている理想であろうと、認めることはできない という宣言(せんげん)でもあるのでしょう。
 この原稿を書いています今(二〇〇一年)も、テレビは、九月十一日、ニューヨークの超高層(ちょうこうそう)・世界貿易センタービルや、ワシントンの国防総省(こくぼうそうしょう)で起きた同時多発(たはつ)テロの模様(もよう)を、繰り返し繰り返し放映(ほうえい)しています。いまだ事(こと)の真相はわかりませんが、テロであるとすると、そこには、自分たちの依(よ)って立つ思想に対する自負(じふ)、自分たちの行為を正義として自負(じふ)する心があるのでしょう。

ー5-


テレビには、アラブの人(ひと)たちがテロの成功に歓声(かんせい)をあげ、喜びに踊(おど)り出(だ)す姿(すがた)
――そこには事(こと)の善(よ)し悪(あ)しの判断ができないような幼(おさな)い子どもたちの歓喜(かんき)する姿もありました。その無邪気(むじゃき)な笑(わら)い声(ごえ)が、人間の愚(おろ)かさ・悲(かな)しさを際立(きわだ)たせていました――
が映(うつ)し出(だ)されもしていました。自爆(じばく)テロという行為には、それを、命を賭(と)してでも遂行(すいこう)すべき聖戦(せいせん)である という信念もあるのでしょう。しかし、人々の命を奪い、人々の和(わ)を失わせるような行為・思想が、正義や聖(せい)なるものであるはずがありません。いろいろ異なりをもっているものが、その異なりのままに、ともに人間として相和(あいわ)して生きていくこと以上の正義はないはずです。
 「十七条憲法」では、その和(やわ)らかなる在(あ)り方(かた)を回復する道として、第二条に皆(みな)共(とも)に「帰(よ)りまつる」べき三宝(さんぼう)(仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう))がすすめられ、第十条には、「共(とも)に是(こ)れ凡夫(ぼんぶ)ならく のみ」という、人間への透(す)き通(とお)った眼(まなこ)、深い自覚が述(の)べられています。この第十条の文(もん)、それは今 現代の人類が何よりも回復すべきことなのだと、切(せつ)に思われるのです。

 ↓

「十七条憲法」現代語訳

第一条 平和をもっとも大切にし、抗争(こうそう)しないことを規範(きはん)とせよ。人間には みな
無明(むみょう)から出る党派心(とうはしん)というものがあり、また覚(さと)っている者は少ない。そのために、
リーダーや親に従(したが)わず、近隣(きんりん)同士で争いを起こすことになってしまうのだ。だが、
上(かみ)も下(しも)も和(やわ)らいで睦(むつ)まじく、問題を話し合えるなら、自然に事実と真理が一致する。そうすれば、実現できないことは何もない。

ー6-


第二条 まごころ から三宝(さんぼう)を敬(うやま)え。三宝(さんぼう)とは、仏(ぶつ)(お念仏を勧めてくださる人)と、その真理の教え(阿弥陀様の本願)と、それに従(したが)う人々(僧(そう))である。
それは すべての生き物の最後の よりどころ であり、あらゆる国の究極の規範(きはん)である。どんな時代、どんな人が、この真理を貴(とうと)ばずに いられるだろう。人間には極悪(ごくあく)のものは いない。よく教えれば 真理に 従(したが)うものである。もし三宝(さんぼう)をよりどころにするのでなければ、他(ほか)に何によって曲(ま)がった心や行(おこ)ないを正(ただ)すことが
できようか。

第十条 心の中の怒りを絶(た)ち、表情に出る怒(いか)りを捨て、人が逆らっても激怒(げきど)しては ならない。人には みな それぞれの心がある。その心には おのおの こだわるところがある。彼が 正しい と考えることを、私は まちがっている と考え、私が正しい と考えることを、彼は まちがっている と考える。私が かならずしも 聖者であるわけではなく、彼が愚者(ぐしゃ)であるわけではない。どちらも共に凡夫(ぼんぶ)に すぎないのである。正しいか まちがっているか の道理を、誰が 絶対的に 判定できるだろうか。お互いに賢者(けんじゃ)であり 愚者(ぐしゃ)であるのは、金(きん)の輪(わ)に どこという端(はし)がない ようなものである。このゆえに、他人が 自分に対して 怒っても、むしろ自分のほうに過失(かしつ)がないか 反省せよ。自分一人が真理をつかんでいても、多くの人に従(したが)って同じように行動せよ。

 ↓
『尊号(そんごう)真像(しんぞう)銘文(めいもん)』親鸞聖人 著 の中に、
「和朝(わちょう) 愚禿釈(ぐとくしゃく)の親鸞が「正信偈」の文(もん)」と 書かれている所がある。
「和朝(わちょう)」とは、和国の朝家(ちょうか)(天皇を中心とした一家(いっか) という意味が転じて、国のこと をいう)。
親鸞聖人は、聖徳太子様から始まる 仏法の教えを中心とした お浄土が映し出されるような「和朝(わちょう)‐和(やわ)らぎの国」の住人である、と名のっておられる。

ー7-


 ↓ 念仏者は、「娑婆(しゃば)世界を生きる身」と「浄土を目指す身」の「二つの身」を生きることになる。

『 帖外和讃 』
超世(ちょうせ)の悲願(ひがん) ききしより われらは生死(しょうじ)の凡夫かは
有漏(うろ)の穢身(えしん)は かわらねど こころは淨土に あそぶなり

〈 意訳 〉
「衆生の苦しみを必ず救う」という世を越えた 大きな あわれみ である阿弥陀様の ご本願を聞いた時から、
私たちは「生まれ変わり 死に変わり 流転(るてん)し続ける凡夫」となったのでしょうか。
(いや、そうではないでしょう、元から凡夫でありました。)
私たちは、迷いの世界に留(とど)まり続ける 煩悩に穢(けが)れた この身であることは変わらないけれども、お念仏を称えれば、「心」は いつでも お浄土に行って、お浄土の姿を楽しみ、また、その お浄土の姿から いろいろなことを学ぶことができるのです。

 ↓ だからこそ、いつでも、どこでも、どのような状態にあっても、お念仏を称(とな)えていきましょう。

帰命(きみょう) 無量寿(むりょうじゅ)如来(慈悲)
無量寿(むりょうじゅ)という つながりあう 永遠と呼べる命 を知らせるために現れてくださった阿弥陀様 の お導きに よって、
私も「つながりあう命」を生きる者になります。

南無(なむ) 不可思議光(如来)(智慧)
いろいろな形となって、私達を支え、働きかけてくださっている阿弥陀様の智慧(光)をいただき、本来の命の姿に戻ります。

ー8-


 ↓ 親鸞聖人の国家批判

『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』終りの方の意訳
 私なりに考えてみると、聖道門(しょうどうもん)の教えは、行(ぎょう)を修めて、悟りを開くことができずに、長く すたれてしまっている。
それに比べて、浄土真実の教えは「悟りを開く道」として、今、非常に勢いが増してきている。
 そのような中で、聖道門(しょうどうもん)の僧侶たちは、「教え」に暗く、何が真実で、何が方便であるか を知らない。
朝廷に仕えている学者たちも、行(ぎょう)の見分け がつかず、
「よこしまな教え」と「正しい教え」の区別を わきまえていない。
天皇も臣下の者も、法に背き、道理に外(はず)れ、怒り と 怨(うら)みの心 をいだき、
承元(じょうげん)元年(一二〇七年)二月上旬、興福寺(こうふくじ)の学僧(がくそう)たちは、朝廷に「専修(せんじゅ)念仏の禁止」を訴(うった)えたのである。
そして、浄土真実の一宗を興(おこ)された祖師(そし) 源空(げんくう)上人をはじめ、その門下の数人は、
罪の内容を問われることなく、不当にも死罪、あるいは、
僧侶の身分を奪われ 俗名を与えられ、遠く離れた土地に流された。
私も その一人である。だから、もはや 僧侶でもなく、俗人でもない。
このようなわけで、禿(とく)(未熟者)の字をもって、自(みずか)らの「姓(せい)」としたのである。
(この僧侶の身分を奪われ、新潟県に流罪(るざい) と なられた時に
「愚禿(ぐとく)(愚(おろ)かな凡夫である)釈(しゃく)親鸞(しんらん)」と名のられ、生涯、その名のり と共に生き抜いて いかれた。)

ー9-