光琳寺由来


 越後西蒲原郡味方村吉江(現 新潟県新潟市南区吉江)に生まれた百姓 庄左衛門は、長尾家7代目当主 長尾為景に仕え、吉江小左衛門の名をいただき、永正の乱(1521)にて、越中に赴いた。(隣家 津川佐次衛門も共に来る)
 その後、この地(現 小矢部市下中)に半農半僧として留まり、この村の開墾に 百姓として力を尽くし、時には 浄土真宗の僧侶(法名 善教)として法務に励んでいった。
 それから約70年後、文禄3年(1594) 3代目 善慶の時、「光琳寺」の寺号を名乗る。