第二二三条 善如・綽如両御代のこと

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『現代の聖典 蓮如上人御一代記聞書』発行所 法蔵館 より


(本文)
一(※一) 善如(ぜんにょ)上人・(※二)綽如(しゃくにょ)上人、両御代(りょうごだい)の事(こと)、前住(ぜんじゅう)上人、仰(おお)せられ候(そうろ)うこと。「両御代(りょうごだい)は、(※三)威儀(いぎ)を本(ほん)に御沙汰(ごさた)候(そうら)いし」由(よし)、仰せられし。「しかれば、今(いま)に(※四)御影(ごえい)に御入(おんい)り候う」由(よし)、仰せられ候(そうろ)う。「(※五)黄袈裟(きげさ)・黄衣(きごろも)にて候(そうろ)う。しかれば、前々住(ぜんぜんじゅう)上人の御時(おんとき)、(※六)あまた、御流(ごりゅう)にそむき候う(※七)本尊(ほんぞん)以下(いげ)、(※八)御風呂(おんふろ)のたびごとに、やかせられ候う。此(こ)の二輻(にふく)の御影(ごえい)をも、やかせらるべきにて、御(おん)取(と)り出(い)だし候(そうろ)いつるが、いかがと思(おぼ)し召(め)し候いつるやらん、表紙(ひょうし)に、かきつけを、「よし、わろし」と、あそばされて、とりておかせられ候う。此(こ)の事を、今(いま)、御思案(ごしあん)候(そうら)えば、「(※九)御代(ごだい)のうちさえ、かように御(おん)ちがい候う。ましてやいわん、(※十)われら式(しき)の者(もの)は、違(ちがい)ばかりたるべき間(あいだ)、一大事と存じ、つつしめ」との御事(おんこと)に候う。今、思いあわせられ候う」由、候うなり。また、「「よし、わろし」と、あそばされ候うこと、「わろしとばかりあそばし候(そうら)えば、先代(せんだい)の御事(おんこと)にて候えば」と、思(おぼ)し召(め)し、かようにあそばされ候う事に候(そうら)いし」と、仰(おお)せられ候う。また「前々住上人(の御時、あまた、(※十一)昵近(じつきん)のかたがた、ちがい申す事候う。いよいよ、一大事の仏法のことをば、心(こころ)をとどめて、(※十二)細々(さいさい)、人(ひと)に問い、心得(こころえ)申すべき」の由、仰(おお)せられ候いき。
※一 善如上人 一三三三―一三八九。諱は俊玄。覚如の次男従覚の長男。本願寺四世。
※二 綽如上人 一三五〇―一三九三。諱は時芸。善如の子。本願寺五世。
※三 威儀 作法にかなった立居振舞い。
※四 御影 神仏や高僧などの肖像。
※五 黄袈裟・黄衣 真宗では用いない袈裟・衣。
※六 あまた 多く。たくさん。
※七 本尊 根本として尊崇する仏・菩薩。真宗では阿弥陀仏を本尊とする。
※八 御風呂 香月院深励によれば、仏像・仏具などを洗うために沸かす湯を功徳湯と言い、ここではそのことを指すとする。
※九 御代 御歴代の宗主
※十 われら式のもの われわれのような愚かな者は。
※十一 昵近のかたがた 側近くに仕えている人々。
※十二 細細 再々。たびたび。

(現代語訳)
一 本願寺第四代善如上人、第五代綽如上人の両御世代(りょうごせだい)のことについて実如(じつじょ)上人が仰せられたことがありました。「この両上人の御世代(ごせだい)は、作法に適(かな)った外面の立居振舞(たちいふるま)いを大切になされていたということである。それゆえ、その趣は今になっても両上人の御影(ごえい)の上にあらわれている。黄袈裟(きげさ)・黄衣(きごろも)をお召しになられた御影であるのだ。ところが、蓮如上人の御世代のときに、わが真宗の教えに背(そむ)く数多くの御本尊や、その他のものなどを、御風呂を焚(た)く度ごとに命じて御焼却になっておられた。そこで、この両上人の二幅(ふく)の御影も焼かせようと思われて御取り出しになられたが、どうかと思われたのであろう、二幅の包みの紙に『善い、悪い』と書き記されて、取っておかせになられた。このことを今になってよく考えてみると、『御歴代の上人のうちでさえ、このように御正意(ごしょうい)に違(たが)われることがある。まして言うまでもなく、我々のような者は御正意に背くことばかりであるに違いないから、これぞ一大事であると思い、御教えに背くことのないように十分に気をつけよ』との御戒(おいまし)めであったのである。今、そのことが思い合わせられる」と、このように語られました。また、「蓮如上人が、『善い、悪い』と御影像に御画きになられたのは、『悪い』とだけ御書きになっては、本願寺の御先代のことであれば畏れ多いと思われて、このようになされたものである」とも仰せになりました。さらに、「蓮如上人の御世代にも、親しく御教化を受けておられた方々のうちにさえ、数多く御正意に違うことがあった。いよいよ我らごときの者は、一大事の仏法のことを心に掛け、幾度も幾度も人に尋ね、正しく心得なければならない」と仰せられました。

(要義)
 聖道化(しょうどうか)していた本願寺を。真宗本来の姿に還帰させるために、思い切った改革に着手した蓮如の様子を伝える。
 大谷(おおたに)本願寺は、当初より、天台宗青蓮院の支院である妙香院(みょうこういん)を本所とする法楽寺(ほうらくじ)領にあったことから、存続のために青蓮院への追従を余儀なくされ、その結果、聖道化することとなったと考えられる。蓮如の重要課題の一つが、この聖道との決別であったことを、その行実(ぎょうじつ)の上で押えることのできる注目すべき史料。