2 「偏依善導一師」の伝承

通信講座「正信偈」講録 『正信偈』を貫く本願の教え 解説 竹中智秀先生 より

 親鸞聖人はよき人法然上人との出会いによって、如来の本願に遇い、称名念仏して、如来の浄土に生まれる身となって、助けられています。その法然上人のよき人が善導大師です。法然上人自身が「偏依善導一師(ひとえに善導一師による)」と、言いきられて、その生涯、善導大師を仰ぎ、その教えに信順されています。何故、そこまで善導大師に縁を結ばれたのか、です。
 善導大師には『観経四帖疏』といって、『観無量寿経』の意(こころ)を読みきられた著書があります。それはこれまで多くの諸師たちが『観無量寿経』を読まれた、その読み方を一変してしまう記念碑的な著書です。そのため「古今揩定の書」と呼ばれています。法然上人はその『観経四帖疏』こそ、善導大師その人であるとして仰がれ、如来の本願に出会い、そのことを縁として、如来の本願に遇い、浄土に生まれる身となって、助けられたのです。
 『観経四帖疏』は「王舎城の悲劇」といって、親による子殺し、子による親殺しが問題となっています。特別な関係にある親子が、それぞれの事情により、それぞれの利害打算によって、排除しあい殺害しあって、地獄をつくり出しているのです。そのため、お互いに安心してその身を置くことができる場所を喪って、根なし草のように迷い出しているのです。そういう悲劇の中で、母親の韋提希が助けられることを願い、釈尊との出会いによって、いつの、どこの、誰であっても、それが例え親を殺すものであっても、子を殺すものであっても、南無阿弥陀仏と称名念仏して、阿弥陀仏の摂取不捨の大慈悲心を憶念することができれば必ず助けられると教えられ、韋提希自身がそのことを信じ、称名念仏して助けられているのです。その事実を善導大師は『観経四帖疏』において、ねんごろに示しているのです。善導大師自身が夜々(よなよな)、夢の中に一人の僧が現れ、その僧の指示によって『観経四帖疏』を著すことができたと告げ、だから、一句一字も加減してはいけない。書写する時は経法のようにしなさい、とまで言いきっています。
 善導大師はその『観経四帖疏』の中で、釈迦如来と阿弥陀如来との二尊の関係を「二河白道の譬喩」をもって、明快に示しています。このことが親鸞聖人が浄土真宗を釈迦・弥陀二尊による二尊教として、公開されることになる根拠にもなっています。それは釈迦如来は「此岸(ここ)」にあって、「願生彼国」と、阿弥陀如来の浄土へ去(ゆ)けと発遣(はっけん)する教主であり、阿弥陀如来は「彼岸(かしこ)」にあって、「欲生我国」と、我が国、浄土に来たれと招喚(しょうかん)する救主であることです。私たちがその釈迦如来と阿弥陀如来の「発遣(はっけん)」と「招喚(しょうかん)」の勅命に信順する時、南無阿弥陀仏「ハイ」と呼応する時、私たちは「白道を歩む人」となって、助けられることになります。
親鸞聖人は法然上人をよき人と仰ぎ、法然上人の「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」の発遣(はっけん)の教命(きょうめい)に信順されたのです。そのことによって親鸞聖人ははじめて、阿弥陀如来の招喚(しょうかん)の勅命を聞くことができ、その勅命に信順することによって、阿弥陀如来の御心によって摂取不捨され、その浄土に生まれる身になって、助けられています。そういうことから、善導大師を「善導独明仏正意」と讃嘆することになられたのです。