6 二十七才 黒駒

《井波別院瑞泉寺 太子絵伝6幅目 に描かれている》

 さて、本席、お取り次ぎさせていただきますのは、お太子様二十七歳のご一段でございます。
お太子様のご生涯の中でこの二十七歳の時が一番平和な、楽しい時でありました。膳(かしわで)の姫様が、芹(せり)を摘んでおられる姿を見(み)染(そ)なわし、お妃になされ、楽しく過(すご)しておられました。
その「ご結婚のお祝いに、われも何か贈り物を」と推古天皇様はお考えになられました。
お太子様は、お住まいの斑鳩(いかるが)の宮から宮中までの約二〇キロもある遠い道のりを毎日通勤しておられ、日頃からお馬を求められておられました。
推古天皇様はそのことを思い起こされ、「お太子様のお乗りになられるお馬を献上するよう」全国に勅命を出されたのです。
されば、地方の豪族、「お太子様がお乗りにならえる名馬、自分が育てたお馬に乗っていただきたい」、とオワリダの宮中にはたくさんの名馬が献上されたのです。その数七五〇頭。
そのたくさんの名馬を前にお太子様一頭一頭丁寧にお定めになられ、その中の一頭、甲斐(かい)の国より来た黒駒(体は黒く、四つの脚の白い)そのお馬の前で立ち止まられ、「この馬こそ、われが探し求めていた名馬である。」と感激(かんげき)され、その他(ほか)の名馬はすべて各々の国へ返されてしまわれたのです。
この黒駒をお太子様は大切にされ、舎人(しゃじん)の調使丸に命じて世話をさせました。
お太子様は黒駒のことをこのようにご讃嘆なされたのです。
「この馬ば輪王(りんのう)七宝(しっぽう)の随一にして人寿(にんじゅ)八万才にもなお稀なり。いま我が天皇の賢明にして天下太平なるが故に彼の如き名馬出現するなり」
「輪王(りんのう)」とは転輪聖王(てんりんじょうおう)のことで、「転輪聖王」とは、七つの宝を持ち、「長寿」「無病(むびょう)」「相好(そうこう)(よい顔つき)」「宝」そのような四つの徳に恵まれ、仏法の教えによって正しく世界を治められお方であります。その「転輪聖王の七つの宝の中(うち)の一つがこの黒駒だ」と、お太子様は言われるのです。そして、
「このような神の名馬は三千年に一度この世に生を受けるのである。それは、人間が八万歳(さい)の歳(とし)を取ることより、なお稀なことである。今、我が天皇、推古天皇様が賢く、状況を判断することのできるお方だからこそ、この世が天下太平となり、このような名馬が出現するのである。」
そのようにお太子様は申されたのです。
また、お太子様は調使丸を前にしてお歌を読まれるのです。
「三千歳(みちとせ)に 逢うこと稀な黒駒に 乗り(法)の心を今ぞ知るなり」
そのお心をいただいてみれば、
このような三千年に一度現れるか、現れないかという名馬・・
「乗(の)り」とは「乗る」と「法(のり)」法(ほう)とがかけられております。
「三千年に一度現れるか現れないかという神の馬、黒駒に乗り、仏教の教えは今こそ、この日本の国に広まるであろう」お太子様はそのようなお心を歌われたのです。
 調使丸、お太子様のお歌を聴き、お歌を返すのです。
「法(のり)の駒 君に馴れなん今よりぞ 空(そら)澄む月を 手に取りて見ん」
このお歌のお心をいただいてみれば、
「このような名馬が今、お太子様の下(もと)に届けられた、ということは、(夜空に澄んで浮かぶ)月を、手に取って見るがごとく、仏教の教えはこの日本の国に広まっていくこと、明らかである」
そのようなお歌を調使丸はお太子様に返されたのです。
 さて、お太子様はこの二十七才の時に人生のよき伴侶、よき友にお会いになられました。よき伴侶、膳(かしわで)の姫様とは三十九歳の時に、偕老同穴(かいろうどうけつ)のお誓いをなされます。
「始めあれば終わりある道理であるから、この世の縁つきて死ぬときには、二人いっしょに同じ穴に埋めてもらおう」
そうお太子様は膳(かしわで)の姫様におっしゃられ、お互いに愛し合われていたことが、三十九歳のご一段でお取り次ぎされることでございます。
 また、お太子様が四十九年のご生涯を終えられる時に、黒駒もその悲しさからお太子様の後を追うようにして命終わっていくのです。
親鸞聖人のご和讃にこのように記されてございます。
「くろこま(黒駒)いななき よばいけり くさ(草)みず(水)くわず かなしみて 御こしにしたがい たまいてぞ 御廟にいたり つきにけり」
「ひとたび いななき よばわりて た(倒)うれ しぬとぞ みえたりし そのかばねをば すなわちに 御廟のかたにうづまれき」
調使丸は、その黒駒の死せる姿を見て、大地に泣き伏せ、
「我が身はもとより百済の者にして年十八にしてこの国に渡り、太子はその時十三才なりしが、他国の者なる我を殊(こと)に不憫(ふびん)に思わして常に召し使い給(たま)い。また黒駒は馴(な)れ親(した)しんで二十年、形は畜生(ちくしょう)なれども、心は人に勝(まさ)れり。太子のお別れも哀しきに、又黒駒に別れることの悲しさよ」
調使丸はそう言い終わると、その場で髪を切り落とし、出家なされるのです。

 このように、お太子様はこの二十七才の時に人生のよき伴侶、よき友にお会いなられたのです。