3 一帖目九通「優婆夷」 意訳(お東)

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第一帖 第九通 意訳「心の奴隷になるな」

『 御文さま 真宗の家庭学習 』東本願寺出版部 より
()の中は、吉江の加筆


 世間の人々は、私たちの浄土真宗を昔から一風(いっぷう)変わった薄汚(うすよご)れた宗旨(しゅうし)(宗派(しゅうは))だと呼んできた。これは 腹が立つ どころか 当然のこと と 思われる。なぜかと言えば、私たちの仲間の内で、あるいは 他の宗派の人々 の前で、偉そうな顔をして 私たちの宗派はこうなんだ と 自慢する者がいるからである。これは とんでもないこと である。だからよく聞くがいい。浄土真宗の暗黙(あんもく)の了解(りょうかい)というのは、親鸞さまから 今に至るまで伝えられてきた教えを、心の中に深くいただいて、外から見れば全くわからない という生活をする人を、よく教えがわかっている人 と呼ぶのである。ところが 今の人々は、自分の宗派の教え を 他の宗派の人々 の前で、周りの人々の気持ち も 考えずに、この教えだけが正しいんだ などと自己主張して みんなを馬鹿にするから、世間の人々は 浄土真宗は なんと下品な宗派なんだろう と思うのである。このように 仲間の中に 心得(こころえ)の悪い者 が いるから、浄土真宗が 汚(きたな)い教えだ ということになってしまうのである。だから 私たちを非難する周りの人々 が 悪いのではない。私たちの方にこそ問題があるのだ。次に、見えない魂(たましい)のたたり を恐れる(物忌(ぶっき))ということは 私たち 浄土真宗の教えにはない。だが そういうことを苦(く)にする他宗の人々 や 役人たち に 対しては、おかしいことだ と思っても、その場では非難(ひなん)したり 偉(えら)そうに口論(こうろん)すべきではない。他宗(たしゅう)、他門(たもん)(ほかの宗派(しゅうは))の人の中では、厄除(やくよ)けの行事(ぎょうじ)など にも 黙(だま)って参加し、周(まわ)りに合わせておくがよい。また周りの人たちが見えないものを恐れるのを見て、馬鹿(ばか)にする などということがあってはならない。だが ひるがえって、仏教を学ぼうとする者は 南無阿弥陀仏の教え に 限らず、見えないものを恐れてはならない と 多くの経典に教えられている。まず『涅槃経(ねはんぎょう)』には、「如来(にょらい)の法(ほう)の中には吉日良辰(きちにちりょうしん)の選択(せんじゃく)ある事なし」と記(しる)されている。その意味は、「目覚めた眼(まなこ)の世界には、よい日、悪い日の区別(くべつ)などありえない」ということである。また『般舟経』には、(略)「女性(じょせい)の弟子たちよ、この教えを聞いて学ぼうとする者は、目覚めたお方、その教え、目覚めた世界を求める仲間たち の 三つの宝をいただいて生活しなさい。それ以外の道に頭を下げてはならない。世間の常識のように、なんでも自分の思いどおりになる天人の生活をうらやんではならない。祟(たた)りがある とか 罰(ばち)が当(あ)たる などと脅(おど)す 鬼神(きじん)の奴隷(どれい) になってはならない。あの日がいい とか、この日は不吉(ふきつ)だ などという迷信(めいしん)に惑(まど)わされてはならない」ということである。このような教えが説かれているけれども、重ねて ここに注意を促(うなが)しておこう。特に 南無阿弥陀仏の教え をいただくものは、このような迷信 に とらわれてはならない。よくよく心得(こころえ)ておくがよい。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。