2 四才 父(用明帝)の鞭を受ける

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富山県高岡市醍醐 善行寺様の聖徳太子御絵伝。昭和34年に新調されました。


 さて、本席、お取次ぎさせていただきますご一段は、お太子様 四歳のご事跡でございます。
 敏達天皇四年(西暦で申しますと 五七五年)、お太子様 四才の立春(りっしゅん)の頃、春の気配を感じるある日の事でございます。
お太子様は、宮中のお庭で、大勢の皇子(おうじ)達と戯(たわむ)れ、遊んでおられました。
幼い皇子(おうじ)達のことですから、やがてその声は賑(にぎ)やかになり、騒(さわ)がしくなってまいりました。
たまたま、その時、お太子様の父君橘(たちばなの)豊日尊(とよひのみこと)がお部屋で静かに政務(せいむ)に勤(いそ)しんでおられたのです。
豊日尊(とよひのみこと)は、庭先で騒ぐ皇子達に「静かにするよう」幾度(いくど)か、ご注意なされたのですが、幼い子供達でございます。注意を受けて、その時は静かになるものの、やがて、そのことを忘れて、賑やかに、騒がしくなってまいります。
その騒がしさに耐えかねた豊日尊(とよひのみこと)は、鞭を手に取られ、「バン」と激しく戸を押してあけ、鬼のような形相で、皇子達の前に立ちはだかったのです。
その恐ろしさに、皇子達は蜘蛛の子を散らすように四方に逃げていく中で、お太子様ただ一人、逃げ失(う)せることなく、震えながら、衣を脱ぎ始め、雪の御肌をさらし、鞭を持ち 鬼のような顔になられた豊日尊(とよひのみこと)の前にひざまずき合掌をされたのです。
豊日尊(とよひのみこと)は丸裸になり、跪くお太子様を見て、怒りも、忘れて、不思議そうにお尋ねになられました。
「私の怒る姿を見て、一緒に戯れていた皇子達が逃げて行ってしまったのに、どうして、おまえが一人だけ、逃げずに残っているのだ?」
お太子様は声を震わせながら、合掌をしたままお答えになられました。
「父君の怒りに会いて、私も逃げていきたい気持ちでいっぱいでございますが、天に階(きざはし)をかけて逃げることも、地面に穴を掘って隠れることも出来ません。例え、天に逃げ果たせたとしても、天には梵天・帝釈天などの「あまつかみ」がおいでになり、私の罪をご覧になられ
「おまえは父の意に背くものである。」と戒められることでしょう。地面に穴を掘って逃げ果たせたとしても、そこには堅牢地祗(けんろうぢし)や竜王などの「くにつかみ」がおられて、「親不孝の者は受け入れることはできない」と仰せられることでしょう。
もはや、私は大きな過ちを犯し、天にも地にも逃れる所がございません。そうであるならば、ただ、父上の鞭を身体(からだ)に受け、父上のお心を少しでも安んじたいと存じます。
私が衣を脱いだのは、父上の鞭が少しでも痛いように、少しでも父上の鞭が身体(からだ)に強く感ずるように、裸になって座っているのでございます。」
父君豊日尊(とよひのみこと)は、怒りを忘れて、その言葉に感激され、母君間人(はしひと)のお妃様は、お太子様を強く抱きしめたのでした。
お太子様の
・鞭を裸で打たれようとされたご決断とその勇気
・天地の神々を思い、その神々と共に生活をされている生活態度
・怒りに我を忘れ、鞭までも手にしてしまった父を「一刻も早く、その瞋恚の毒に犯されてしまったお心から救い出したい」と深い思い遣りのお心 に
父君豊日尊(とよひのみこと)と母君間人(はしひと)のお妃様は出会われ、感涙の涙を流したのでした。
 さて、お太子様は鞭に打たれずに、父君の怒りを静められましたが、中国が「宋」と呼ばれていた時代に韓伯瑜(かんはくゆ)というお方が意地悪な母親に長い間 杖で打たれ、体罰を受け続け、ついにその母親の怒りを静められた、そのような話が伝えられておりますので、少し紹介させていただきたいと思います。
今は昔、中国が宋と呼ばれていた時代に、韓伯瑜(かんはくゆ)という方がおられました。伯瑜(はくゆ)は幼い頃に父親と死に別れ、母親と二人で暮らしていたのですが、その母親は大変 意地悪で、「思い遣りの心」もなく、伯瑜(はくゆ)に少しでも至らぬ所があると、母は怒って、伯瑜(はくゆ)を杖で打ち、痛めつけたのです。「今日は朝起きるのが遅かった」と言っては杖で叩き、「返事が遅い」と言って叩き、「声が大きい」と言っては叩く。理由にならないことを言っては伯瑜(はくゆ)を杖で打ち痛めつけたのです。それでも伯瑜(はくゆ)は母の理不尽な暴力をジッとこらえ、どんなに叩かれようとも、どんなに痛くても、歯を食いしばって、堪え忍んで決して声を上げず、涙も見せませんでした。
これが常日頃のことでした。
やがて母が年をとり、体も衰えてくると、伯瑜(はくゆ)は打たれても痛みを感じなくなっていきました。すると、こうなってから、伯瑜(はくゆ)は母に打たれるたびに、声を出して涙を流したのです。母はこのことを不思議に思い、伯瑜(はくゆ)に尋ねた。
「私は長いこと おまえを杖で叩いてきたが、おまえは叩かれても決して泣くことはなかった。ところが、今になってどうして涙を流して泣くんだ」
すると伯瑜(はくゆ)は、
「以前はお母さんに杖で打たれると、痛くてしょうがありませんでしたが、「私に非がある」と思い、じっとがまんをしておりました。
ところが、今は杖で打たれても、さほど身にこたえません。「これは、お母さんが年を取り、力が衰えたためだ」と思うと、悲しくなって、涙が溢れてくるのです。」と答えた。
母はこれを聞き、杖で打かれ、その痛さのために泣いていると思っていたが、この母が年を取り、力が衰えたのを悲しんで涙を流していたことがわかり、言いようもない思いが込み上げて来て、伯瑜(はくゆ)の今までこの母を思ってくれていた深い優しさに包まれ、母の目から自然に涙があふれ出て来たのです。
そうして母親は、今まで自分がしてきてしまったことを深く後悔し、優しさを取り戻すことができ、その日から心を改め、伯瑜(はくゆ)を大切にしたのでした。
この事を聞いた人々はみな「伯瑜(はくゆ)の孝心・親を思う大変深い心」を褒め称えたのです。伯瑜(はくゆ)は、その深い孝心によって、わが身の痛さを堪え忍び、母の力が衰えたのを悲しんだと語り伝えているところでございます。