下巻 第三段 弁円済度

下巻 第三段 弁円(べんねん)済度(さいど)

聖運寺蔵『親鸞聖人御絵伝』


〈 御伝鈔 意訳 〉『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ-』東本願寺出版部より

 親鸞さま は、常陸(ひたち)の国(くに)にあって、 「ただ ひとえに 阿弥陀如来の本願に 自分の人生 の すべて を まかせ南無阿弥陀仏の教え に 導かれて、明るい、生き生きとした私 に 生まれ変わる」という 体験 を 人々に 語られましたが、その教え を 疑い そしる など という人 は 少なく、ほとんどの人は、その 教え を 心 から 喜び 苦難の生活 に 立ち向かって いきました。
 だが、この世の中には、そんな 簡単に 救いの門 を くぐれる人 ばかりとは かぎりません。常陸(ひたち)の国に 弁円(べんねん)という山伏(やまぶし)の修行者が おりました。偉い修行者 と いうことで まわりの人々の尊敬を 一身に 集めていたのですが、親鸞さま の ところへ、念仏の教え を 聞こう と 集まる人 が 多くなるにつれて、恨みを 抱くようになり、最後には、親鸞さま を 殺害しよう と まで 思いつめ、親鸞さま の 動向を うかがうよう に なったのです。
 そのころ 親鸞さま は、念仏の教え を 説き弘めよう と、板敷山(いたじきやま)という深山(しんざん)の小路(こみち)を しばしば 往復しておられたので、弁円は そこに 待ち伏せして親鸞さま を つかまえよう と しましたが、いつも さまざまな邪魔が はいって、その目的を達することが できませんでした。そのうちに 人のうわさ を いろいろ聞いてみると、どうも親鸞という人は、自分が考えていたような人ではないらしいのです。そこで ためしに 一度 会ってみよう と 思い、思いきって 親鸞さま の すまい を 訪ねたところ、親鸞さま は 喜んで お会いに なりました。
 弁円が 親鸞さま の 尊いお顔 を はじめて 仰(あお)いだ とき、これは まことに不思議なこと で あるが、いままで 親鸞さま を 亡きもの に しようと恨み 憎んでいた心 が 一度に 消え失せて、それどころか、 「なぜ こんな すばらしい人 を 殺害しよう など と いう 恐ろしいことを考えたのか」と、後悔の涙が こぼれてくるのでした。  ややしばらくして、山伏弁円は、今まで つもり つもっていた恨み、憎しみの心の内 を ありのままに 親鸞さま に うちあけましたが、親鸞さま は、あまり 驚くようす も ありませんでした。
 弁円は、そこで、すぐさま、持っていた弓矢を折り、刀 や つえ を 投げ捨て、頭巾(ときん)をはずし、着衣(ちゃくい)をあらためて、南無阿弥陀仏の教え に 育てられる身 と なり、ついに 今まで 見失っていた 生き生きとした人生 に目覚めることが できたのです。これは ほんとうに不思議なことでした。後に 明法房(みょうほうぼう)と呼ばれるようになった、念仏者のお手本のようなお方は、この人のこと なのです。その名は、親鸞さま が おつけになったものです。


〈 御伝鈔 原文 〉

聖人、常陸(ひたち)の国にして ● 専修(せんじゅう)念仏の義(ぎ)をひろめ給(たも)うに ● おお(オ)よそ、疑謗(ぎほう)の輩(ともがら)は すくなく ● 信(しん)順(じゅん)の族(やから)は おおし ● しかるに、一人の僧あり(ッ)て ● (山臥(やまぶし)と云々(うんぬん))● ややもすれば、仏法に怨(あた)をなしつつ ● 結句害(けっくがい)心(しん)を(ノ)挿(さしはさ)んで ● 聖人を(ノ)時々(よりより)うかがいたてまつる ● 聖人、板敷山(いたじきやま)という深山(しんざん)を(ノ) ● 恒(つね)に往反(おうへん)し給(たま)いけるに ● 彼(か)の山にして度(ど)々(ど)相(あい)待(まッ)と いえども ● さらに其(そ)の節(せッ)を(ト)とげず ● 倩(つらつら)ことの参差(しんし)を案ずるに ● 頗(すこぶる)奇特(きどく)のおもいあり ● よって ● 聖人に謁(えッ)せん と おもう心つきて ● 禅室(ぜんしつ)に行(ゆき)て尋(たずね)申(もう)すに ● 聖人、左右(そお)なく出会(いであ)いたまいにけり ● すなわち尊顔(そんげん)にむかいたてまつるに ● 害(がい)心(しん)忽(たちまち)に消(しょう)滅(めッ)して ● 剰(あまッさえ)、後悔(こうかい)の涙(なんだ)禁(きん)じがたし ● ややしばらくあり(ッ)て ● 有(あり)のままに、日来(ひごろ)の宿(しゅく)鬱(うッ)を(ト)述(じゅッ)すといえども ● 聖人、また、おどろける色(いろ)なし ● たちどころに弓箭(きゅうせん)を(ノ)きり ● 刀杖(とうじょう)をすて ● 頭巾(ときん)を(ノ)とり ● 柿(かき)の衣(ころも)をあらためて ● 仏教に帰(き)しつつ ● 終(つい)に素懐(そかい)をとげき ● 不思議なりし事なり ● すなわち明法(みょうほう)房(ぼう)是(これ)なり ● 聖人、これをつけ(←)給(たま)いき ●