12 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑ 練習した音源(約25分)を入れてみました!
(練習して、録音して、聞き込んでから、やっと やっと 法話をしております。)
下記の内容を印刷して配っているので、話の中で「○ページを見てください」というようなことが出てきます。


第二段 依経段(いきょうだん)「弥陀章」法蔵菩薩因位時~必至滅度願成就
               「釈迦章」如来所以興出世~是人名分陀利華
 『大無量寿経』に依り、
 ・「弥陀章」で 現に今 私達に働き続けてくださっている阿弥陀様、そして その「阿弥陀様の ご本願 の いわれ」 を 述べ、
 ・「釈迦章」で 阿弥陀様 の ご本願 を 私達に伝えるためにわざわざ この世に お出ましくださった お釈迦様 を 讃え、その お釈迦様の教え を いただく「私達の心構え」が述べられている。

 ↓

〈 原文 〉
如来所(しょ)以(い)興出(こうしゅっ)世(せ) 唯(ゆい)説(せつ)弥陀本願海(かい)

〈 書き下し文 〉
如来、世に興出(こうしゅつ)したまうゆえは、ただ弥陀本願海(ほんがんかい)を説(と)かんとなり。

〈 言葉の意味 〉
「如来」
  ↓ ここでは
 「釈迦牟尼(むに)如来」‐「お釈迦様」のこと
  ↓
 「釈迦牟尼」‐「釈迦」という部族(国名)の「牟尼」(聖者)
  ↓
 「如来」の「如」→ 私達が、そこから生まれ、それに支えられて生きて、やがて、そこへ帰っていく、という「命の源」(浄土真宗では、「お浄土」として表現されている)
  ↓
「如来」‐ その「如」を失っている私達に、「如」を知らせるために 来た

-1-


  ↓ 称号(身分などを表す呼び名)で、
                    
 釈迦牟尼世尊(世尊‐世の中で最も尊い人) →(略して)釈尊

  ↓ お釈迦様の本名
 
 ゴータマ・シッダッタ(漢字では、瞿(く)曇(どん) 悉(しっ)達(だっ)多(た))

「興出」‐「興」と「出」は、同じ意味の漢字。「出」は、出現。仏 菩薩が、「俗世に迷う者」を、救うために世間に現れること。

「弥陀本願海」
  ↓
 「阿弥陀様の海のような ご本願」
 ・「海」は、あらゆる川の水を、そのまま受け入れて、一つの味にする。
 ・海では、あらゆる命が、しっかり と つながり合い、奪いあったり、支えあったりしながら、生き生きと、命を未来へ つないでいこうとしている。
 そのような海に例えて、
 ・「どのような人も、すべて浄土に迎え入れたい」という広く 深い 阿弥陀様の願い
 ・阿弥陀様の「本願」という海に入り、身をゆだねて 喜ぶならば、世間の欲にまみれ、苦悩する私達 が、生き生きと、生きていけるということを表現している。

 ↓
如来、世に興出(こうしゅつ)したまうゆえは、ただ弥陀本願海(ほんがんかい)を説(と)かんとなり。
〈 意訳 〉
お釈迦様が、この世間に お出ましになられた理由・目的は、ただただ、私達に、海のような 阿弥陀様の ご本願 を教えるためであった。

 ↓

)したまう。世に出興(しゅっこう)したまう所以(ゆえ)は、道教(どうきょう)を光闡(こうせん)して、群萌(ぐんもう)を拯(すく)い恵(めぐ)むに真実の利(り)をもってせんと欲(おぼ)してなり。
〈 意訳(お釈迦様のお言葉) 〉
私は、何ものにも おおわれることのない大悲によって、果てしない迷いの状態にある人々を、哀れんでいる。
私が、この世間に出たわけは、「教え」を世に明らかにして、人々を救い、真実の利益 を 恵み 与えたい と 願うからである。

  ↓
 『仏説無量寿経』は、お釈迦様が世に出られた理由が、明らかに説いてあるため、「出世本懐(しゅっせほんがい)の経‐お釈迦様が世に出られた 本当の お気持ち が  表わされている経」と いわれている


 ↓ でも、おかしな言い方なのでは

普通の見方 を すれば、お釈迦様は、たまたま、お生まれになられ、後に、苦行を超えて、ついに「仏」となり、「教え」を説かれた、ということなのではないだろうか?

-3-


 ↓ いや、これは「宗教心による見方」

「この どうしようもない私 を 救うために、お釈迦様が現れてくださったんだ!
お釈迦様が、この世間に お出ましになられた理由は、ただただ、この私に、海のような 阿弥陀様 の ご本願 を 教えるためであったんだ!」という、心からの深い感激が現れた お言葉


〈 原文 〉
五濁悪時(ごじょくあくじ)群生海(ぐんじょうかい) 応(おう)信(しん)如来如実(にょらいにょじつ)言(ごん)
〈 書き下し文 〉
五濁悪時(ごじょくあくじ)の群生海(ぐんじょうかい)、如来如実(にょらいにょじつ)の言(みこと)を信ずべし。

〈 言葉の意味 〉
「五濁悪時(ごじょくあくじ)」‐五つの濁(にご)りのある悪い時代
  ↓
 『仏説阿弥陀経』の終わりの方では、「五濁悪世」といわれている。
 私達が生きている この世間は「五濁悪世」であり、
 私達が生きている この時代は「五濁悪時」。
 「お釈迦様が生きられた当時」も「五つの濁りのある悪い世の中」だった。

  ↓ 五つの濁りのある悪い世の中
 「劫濁(こうじょく)」‐「劫」は、「時代」のこと 。時代の汚れ。疫病や飢饉、動乱や戦争が続けて起こる など、時代 そのものが汚れている状態

 「見濁(けんじょく)」‐「見」は、「見解(物事に対する考え方や価値判断)」のこと。邪悪で汚れた 考え方 や 思想 が、常識 となって はびこる状態

-4-


 「煩悩濁(ぼんのうじょく)」‐煩悩による汚れ。ひっきりなしに、欲望や憎しみなど、煩悩による 悪い行い が、起こる状態

 「衆生濁(しゅじょうじょく)」‐衆生の汚れ。人々のあり方 そのものが汚れている。心身ともに、人々の資質が衰えた状態

 「命濁(みょうじょく)」‐命の汚れ。自他の命が軽んじられる状態。また、「生きていくことの意味」が見失われ、「生かされてある」という「有り難さ」が実感できなくなり、満足のない、むなしい生涯を送ることとなる。

  ↓
 お釈迦様の 澄(す)みきった眼(まなこ) から見ると、「世間」は ひどく濁りきった世の中であった

  ↓ しかし、

 ・私達は、「この世間」にも「この時代」にも 愛着 があり、「もっと いい時代になってほしいものだ」と言いながら、それを 誰かのせい にして、現実から目をそらしている。
 ・「悲しいこと」「苦しいこと」「おぞましいこと」・・そのような出来事が、あまりにも 多すぎて、「慣れっこ」になってしまい、「驚き」や「悲しみ」の「実感」が、薄らいでしまっている。

 ↓

お釈迦様が『大無量寿経』に示された「阿弥陀様 の ご本願」を頼りにして生きるほかに、「五濁悪世」を抜け出していく道はない

-5-


「如来如実(にょらいにょじつ)の言(みこと)」‐「阿弥陀様 の ご本願」が説かれた お釈迦様 の お言葉(『大無量寿経』)

「群生海(ぐんじょうかい)」‐「群生」は「衆生」と同じ。「あらゆる 生きとし生けるもの」

 ↓↑ 対応している

「本願海」
・「あらゆる 生きとし生けるもの(地球上には約五百万~三千万種類)を救う」と誓われた「阿弥陀様 の ご本願」は、海のように 深くて広く、私の思い が およぶものではない。
・「海」は、あらゆる生命の源。「なさけない生き物」としか言いようのない私達 人間が、本当に「命 あるもの」として、人生を生ききるためには、海のような阿弥陀様の大きな願いの中に包まれていることに気づかされることが必要。

 ↓

〈 まとめ 〉

如来、世に興出(こうしゅつ)したまうゆえは、ただ弥陀本願海(ほんがんかい)を説(と)かんとなり。
五濁悪時(ごじょくあくじ)の群生海(ぐんじょうかい)、如来如実(にょらいにょじつ)の言(みこと)を信ずべし。
〈 意訳 〉
「五濁悪世」を抜け出していく道は、「阿弥陀様のご本願」を頼りにして生きるほかには ない。
お釈迦様が、この世間に お出ましになられたのは、ただただ、その「海のように すべてを包み込んでいる 阿弥陀様 の ご本願」を、
私達に知らせるためであった。
だからこそ 五濁の悪時に生きる私達は、その お釈迦様のご恩 に 報いるためにも、 『大無量寿経』に お説きになられた「阿弥陀様 の ご本願」の教えを、信じるべきである。

-6-