20 印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機

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↑ 練習した音源(約24分)を入れてみました!
(練習して、録音して、聞き込んでから、やっと やっと 法話をしております。)
近くのご寺院では、下記の内容をプリントに印刷しているので、話の中で「○ページを見てください」というようなことが出てきます。


正信偈の構造

第一段 総讃(そうさん)「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
 「心の底から阿弥陀様を敬い、日々の拠り所として生きていきます」という お心の表明。正信偈全体を包んでいる お言葉。

第二段 依経段(いきょうだん)
「弥陀章」法蔵菩薩因位(いんに)時 ~ 必至滅度(ひっしめつど)願(がん)成就
「釈迦章」如来所以(しょい)興出(こうしゅ)世(せ) ~ 是(ぜ)人(にん)名(みょう)分陀利華(ふんだりけ)
 『大無量寿経』に依(よ)り、
 ・「弥陀章」で 現に今 私達に働きかけ続けてくださっている 阿弥陀様 と 阿弥陀様の ご本願 の いわれ を 述べ、
 ・「釈迦章」で 阿弥陀様 の ご本願 を 私達に伝えるために わざわざ この世に お出ましくださった お釈迦様 を 讃(たた)え、その お釈迦様の教え を いただく「私達の心構え」が述べられている。

( 結誡(けっかい) )弥陀仏本願念仏 ~ 難(なん)中(ちゅう)之(し)難(なん)無(む)過(か)斯(し)
 改めて、阿弥陀様 の ご本願 を 振り返り、自らを省(かえり)みて、深い懺悔(さんげ)と、得難(えがた)い信心を獲(え)た喜び とをもって、「第二段 依経段(いきょうだん)」と 次の「第三段 依釈段(いしゃくだん)」を結ぶ。

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第三段 依釈段(いしゃくだん)
( 総讃(そうさん) )印度(いんど)西天(さいてん)之(し)論家(ろんげ) ~ 明(みょう)如来本誓(ほんぜい)応(おう)機(き)
 七高僧が、お釈迦様の お心 を 明らかにし、阿弥陀様 の ご本願 が民族や時代の異なりをも超えた「本当の救い」であることを証明している。

釈迦如来楞伽山(りょうがせん) ~ 必(ひっ)以(ち)信心為(い)能入(のうにゅう)
 七高僧が出られて、本願念仏の教え を 正しく伝え、本願の働きに目覚めるよう 促(うなが)してくださった からこそ、「大乗の中の至極(しごく)」といえる 浄土の真実の教え が 誤(あやま)りなく 島国である日本にまで 伝えられたことを、感銘深く述べられる。

(結勧(けっかん))弘経(ぐきょう)大士(だいじ)宗師(しゅうし)等(とう) ~ 唯(ゆい)可(か)信(しん)斯(し)高僧説(せつ)
 七高僧の歴史と伝統 に 強い確信を持って、これ以上ないほどに力を込めて、私達に「お念仏によって、信心をいただいてほしい!」と勧めて、正信偈を結ぶ。

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今日 の お言葉「依釈段(いしゃくだん)( 総讃(そうさん) )」

〈 原文 〉
印度(いんど)西天(さいてん)之(し)論家(ろんげ) 中夏(ちゅうか)日域(じちいき)之(し)高僧(こうそう) 顕(けん)大聖(だいしょう)興世(こうせ)正意(しょうい) 明(みょう)如来(にょらい)本誓(ほんぜい)応(おう)機(き)

〈 書き下し文 〉
印度(いんど)・西天(さいてん)の論家(ろんげ)、中夏(ちゅうか)・日域(じちいき)の高僧、
大聖(だいしょう)興世(こうせ)の正意(しょうい)を顕(あらわ)し、如来(にょらい)の本誓(ほんぜい)、機(き)に応(おう)ぜることを明かす。

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〈 言葉の意味 〉
「印度(いんど)」- インドのこと。

「西天(さいてん)」- 中国より西方(せいほう)にあたる天竺(てんじく)(インド)のこと。

「論家(ろんげ)」- 教義(きょうぎ)の注釈(ちゅうしゃく)などをした文献(ぶんけん)「論(ろん)」を 世に残しておられる方。

「中夏(ちゅうか)」- 中国のこと。「夏(か)」は、大きくて盛んな様子を表わす文字。
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 中国の人々は、古くから、自分達の国に誇りを持ち、「中国こそが世界の中心であり、盛(さか)んな国である」と考えていた。

「日域(じちいき)」- 日本のこと。

「高僧」- 徳の高い僧。世の人々が生きて行くのに、かけ替えのない指針を与えてくださっている方。

「大聖(だいしょう)」- お釈迦様のこと。

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「興世(こうせ)の正意(しょうい)」‐ お釈迦様が、この世間にお出ましになられた本当の目的・その お心
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 「正信偈」(第二段 依経段「釈迦章」の始め)
 如来、世に興出(こうしゅつ)したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。
 五濁(ごじょく)悪時(あくじ)の群生海(ぐんじょうかい)、如来如実(にょじつ)の言(みこと)を信ずべし。
  「五濁悪世(あくせ)」を抜け出していく道は、「阿弥陀様 の ご本願」を頼りにして生きるほかには ない。
  お釈迦様が、この世間に お出ましになられたのは、ただただ、その「海のように すべてを包み込んでいる 阿弥陀様 の ご本願」を、私達に知らせるためであった。
 だからこそ 五濁の悪時に生きる私達は、その お釈迦様 の ご恩 に 報いるためにも、 
 『大無量寿経』に お説きになられた「阿弥陀様 の ご本願」の教え を、信じるべきである。 

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 お釈迦様が『大無量寿経』に お説きになられた「阿弥陀様 の ご本願」の教え が、私達に何を願って説いてくださっているのか、そのことを 七高僧が、私達のために顕(あきら)かにしてくださっている。

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  「教え」が、真実であることを証明するのは、「教えられた人」。
 「教え」は、「教えられた人」がいて、初めて「生きた教え」となる。
 阿弥陀様 の ご本願 が、お釈迦様 の ご説法 が、本当であることを、真に証明してくださったのが七高僧。
 教えを説いてくださった方 も 大切だけれども、その 説かれた教え に、教えられた人も、同じくらい大切。

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  七高僧が いなかったら、お釈迦様が この世間 に お出ましになられた唯一の目的が証明できなかった。
 そして 阿弥陀様 の ご本願 は、インド・中国・日本 いかなる民族であろうと、どういう生活をしていようと、あらゆる人々の間違いのない「救い」となっている、その事実が七高僧の歴史にある。
 正信偈の後半「依釈段」は、そのことを明らかにしていく。

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如来(にょらい)の本誓(ほんぜい)、機(き)に応(おう)ぜることを明かす。

〈 言葉の意味 〉
「如来(にょらい)」‐ ここでは、阿弥陀如来のこと。

「本誓(ほんぜい)」‐「どうにもならない凡夫 を 何としても救いたい」と 願われた 阿弥陀様 の ご本願。そして「その願いが成就しないのであれば、仏には ならない」と誓われた誓願(せいがん)のこと。

「機(き)」‐ 一人一人 の 人間 の あり方。また、その 一人一人の人間の「はたらき」のこと。

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私達は、「邪見・憍慢(きょうまん)の悪衆生」という あり方 をしており、「邪見・憍慢(きょうまん)の悪衆生」という「はたらき」を 持って生きている。
そのような「どうにもならない者を、何としても救いたい」という阿弥陀様の願い が、私達に差し向けられている。
私達の「機」に、阿弥陀様 の ご本願 が「応じている」、「ご本願の対象」が 私達である、ということ。

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印度(いんど)・西天(さいてん)の論家(ろんげ)、中夏(ちゅうか)・日域(じちいき)の高僧、
大聖(だいしょう)興世(こうせ)の正意(しょうい)を顕(あらわ)し、如来(にょらい)の本誓(ほんぜい)、機(き)に応(おう)ぜることを明かす。
〈 意訳 〉
「お釈迦様 の お言葉の注釈(ちゅうしゃく)(論(ろん))」を残してくださったインドの菩薩方、中国・日本の高僧方、この方々は、お釈迦様が この世に お出ましになられた「本当の深い お心」を明らかにしてくださった。
そして、阿弥陀様 の ご本願 が、民族や時代の異なりをも超えて、あらゆる人々の救いであることを、真(しん)に証明してくださっているのです。

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第二段 依経段(いきょうだん)( 結誡(けっかい) )弥陀仏本願念仏 ~ 難(なん)中(ちゅう)之(し)難(なん)無(む)過(か)斯(し)
〈 書き下し文 〉
弥陀仏の本願念仏は、邪見(じゃけん)憍慢(きょうまん)の悪(あく)衆生、信楽(しんぎょう)受持(じゅじ)すること、はなはだもって難(かた)し。難(なん)の中(なか)の難(なん)、これに過(す)ぎたるはなし。
〈 意訳 〉
改めて、自分自身のことを省(かえり)みると、「阿弥陀様 の 深く 広い ご本願 が「お念仏」によって贈り届けられている」ということを、
「真実を知らずに、身勝手な振(ふ)る舞(ま)いをする「邪見」の この私 が、
「本来の自分」も知らずに思い上がる「憍慢(きょうまん)」な この私 が、
素直に喜び、受け止め、保ち続ける のは、困難なことの中でも、最も困難なこと で、まったく不可能なこと で ありました。
しかし、不思議なことに、その私 に「お念仏」が届き、心に「他力の信心」が宿(やど)っているのです。

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私達は、邪見と憍慢(きょうまん)に ゆがめられて、阿弥陀様 の ご本願 として与えられている「お念仏」を、素直に受け止め、信じることは、この上なく困難になっている。
「このような私達は、どうすればよいのか」、そしてまた、阿弥陀様が起こされた誓願が、まさしく邪見と憍慢(きょうまん)の悪衆生を救う誓願であることを、これからの「依釈段」により、七高僧が明らかにしてくださる!

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インド人・中国人・日本人の性格
 インドで興(おこ)った仏教が、中国を通って、日本に伝わったということに、大切な意味がある。
 (昔の日本人は、インド・中国(朝鮮半島は中国に含まれる)・日本、この三国が 世界のすべて で、その他に ヨーロッパ・アメリカなどがある ということを知らなかった。)

・インドは、暑く、長い間 働くことができないため、どうしても休むことが多かった。そのようなこともあり、物事を深く徹底して考えていこうとする傾向があった。

・中国は、広大で厳しい自然環境や、壮大な中国文明 や その歴史 から、現実的で、極めて割り切った考え方をする傾向があった。

・日本は、理屈よりも感情的、情(じょう)によって動く傾向があった。
 わび(貧弱で みすぼらしく見える その中に 心の充足を見出そうとする)
 さび(静かさ の中に 奥深さ 豊かさ 美しさ を感じようとする)など。

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 仏教が、インドから直接 日本へ伝わらず、中国を通って来た ということには、非常に大きな意味がある。仏教が、中国を通ることによって、現実をしっかり踏まえた宗教 として完成されてきた。
「思索的なインド人」「現実的な中国人」「情感(じょうかん)的な日本人」
民族性は、それぞれ違う が、そこに一貫したものが流れている。
そこに浄土真宗の伝統がある。そのことが、依釈段(いしゃくだん)を通して語られていく。

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親鸞聖人が七高僧を定められた基準(三つある)

一、七高僧には、それぞれに すばらしい著書がある。
 「著書が後世(こうせい)に残っている」ということは、七高僧は その時代その時代の仏教界を代表する大学者であった、ということ。

 「龍樹(りゅうじゅ)菩薩」
   インドの高僧。浄土真宗だけではなく、「大乗仏教のすべての宗派の祖師」と いわれ、著書で述べられている教学の範囲が とても広い。

 「天親(てんじん)菩薩」
   インドの高僧。著書がまことに多く「千部の論師(ろんし)」と呼ばれている。その教学の内容は、極めて厳密。

 「曇鸞大師(どんらんだいし)」
   中国の高僧。天親菩薩の『浄土論』を注釈した『浄土論註(ちゅう)』を記された。浄土教に入る前は、龍樹菩薩の著書を読み込まれていた。

 「道綽禅師(どうしゃくぜんじ)」
   中国の高僧。『仏説 観無量寿経』を解釈した『安楽集(あんらくしゅう)』を記された。浄土教に入る前は、『涅槃経(ねはんぎょう)』の研究に力を注いておられた。

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 「善導(ぜんどう)大師」
   中国の高僧。道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の門下に入り、『仏説 観無量寿経』を解釈した『観無量寿経疏(しょ)』や、浄土真宗の儀式の源流となる『法事讃(ほうじさん)』を記された。

 「源信僧都(げんしんそうず)」
   日本の高僧。平安時代を代表する比叡山 天台宗の仏教学者。著書には、日本人に「地獄」と「極楽」のイメージを定着させて『往生要集(おうじょうようしゅう)』がある。

 「法然(源空(げんくう))上人」
   日本の高僧。親鸞聖人の師。当時の人々から「智慧の法然房(ぼう)」と呼ばれていたほど、学問・人格 共に極めて優れた方であった。念仏によって浄土に往生することを明らかにした『選択(せんじゃく)本願念仏集』を記された。

二、七高僧は、それぞれ「大学者」ではあるが、著書を通して、自らを省みて、信仰を告白しておられる。私達と同じ「凡夫」という立場に身を置いて、愚かな私達 民衆の代表として、念仏の教えを、本願のいわれ を 明らかにしてくださっている。

三、七高僧それぞれが、浄土真宗の「ある一面」の 大事なこと を見つけられて、明らかにしてくださっている。

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親鸞聖人の「お名前」(諸説ある)
 聖人当時は、いろいろな転機に名前を変えることが、よくされていた

一一七三年 一歳 誕生(昔は数え年)「松若麿(まつわかまろ)」か「鶴充麿(つるみつまろ)」(幼名)

一一八一年 九歳 出家「範宴(はんねん)」(法名)

一二〇一年 二十九歳 法然上人の門下に入り、「綽空(しゃっくう)」という法名を授(さず)かる。

 「道綽(どうしゃく)」「源空(げんくう)」の下の字を一字ずつ いただかれた。

一二〇五年 三十三歳 「善信(ぜんしん)房(ぼう)綽空(しゃっくう)」
 免許皆伝の証(あかし)として、『選択(せんじゃく)本願念仏集』を書写(しょしゃ)し、法然上人の真影(しんねい)を
図画(ずが)することを許された。
 「善信(ぜんしん)房(ぼう)」は「房号(ぼうごう)(住んでいた部屋の名前)」。「善導(ぜんどう)」「源信(げんしん)」の一字ずつ をいただかれた(聖徳太子の 夢 の お告げ による)。

一二二四年 五十二歳「親鸞(しんらん)」
 関東において『教行信証』の草稿本(そうこうぼん)が完成する。「天親(てんじん)」「曇鸞(どんらん)」の一字ずつ を
いただかれた。

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「龍樹(りゅうじゅ)」だけがない。「龍(りゅう)」と「樹(じゅ)」は、名前にいただきにくかったのでは?

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親鸞聖人は、七高僧 の お名前 を「自らの名」としていただいておられる。(法然上人には、そのようなことはない)
このことからも、いかに七高僧を大事にされていたのか、ということが うかがえる。

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『教行信証』親鸞聖人 著
鎌倉時代の伝統的な仏教教団の姿(比叡山など)

 私なりに考えてみると、聖道門(しょうどうもん)の教え は、行(ぎょう)を修めて、悟りを開くことができずに、長く すたれてしまっている。
それに比べて、浄土真実の教えは「悟りを開く道」として、今、非常に勢いが増してきている。
 そのような中で、聖道門の僧侶たちは、「教え」に暗く、何が真実で、何が方便であるか を知らない。
朝廷に仕えている学者たちも、行(ぎょう)の見分け が つかず、「よこしまな教え」と「正しい教え」の区別を
わきまえていない。
天皇も臣下の者も、法に背き、道理に外れ、怒り と 怨みの心 を いだき、承元(じょうげん)元年(一二〇七年)二月上旬、興福寺(こうふくじ)の学僧(がくそう)達は、朝廷に「専修(せんじゅ)念仏の禁止」を訴(うった)えたのである。
そして、浄土真実の一宗を興(おこ)された祖師 源空(げんくう)上人をはじめ、その門下の数人は、罪の内容を問われることなく、不当にも死罪、あるいは、僧侶の身分を奪われ俗名(ぞくみょう)を与えられ、遠く離れた土地に流された。
私も その一人である。
だから、もはや 僧侶でもなく、俗人でもない。
このようなわけで、禿(とく)(未熟者)の字をもって、自らの姓(せい) としたのである。

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