23 「大乗無上の法」と「難行」と「易行」

↑ 練習した音源(約24分)を入れてみました!
(練習して、録音して、聞き込んでから、やっと やっと 法話をしております。)
下記の内容をプリントに印刷しているので、話の中で「○ページを見てください」というようなことが出てきます。


前回(八月)のまとめ

〈 書き下し文 〉
弘経(ぐきょう)の大士(だいじ)・宗師(しゅうし)等(とう)、無辺(むへん)の極濁悪(ごくじょくあく)を拯済(じょうさい)したまう。
道俗(どうぞく)時衆(じしゅう)、共(とも)に同心(どうしん)に、ただ この高僧の説(せつ)を信ずべし、と。

〈 意訳 〉
数多くある お経 の 中から、「阿弥陀様 の ご本願」を、「大乗仏教の教え」を深く汲み取られ、身をもって本願を生きられて、世に弘(ひろ)めてくださった七人の高僧方が、民族 や 時代の異なり をも 超えて、極(きわ)めて濁(にご)りきった悪世(あくせ)に苦しむ あらゆる人々に、「お浄土へ往生して、救われて行ってほしい」と、働きかけてくださっている。
その ご恩 に 報いるためにも、僧侶であろう と、僧侶でなかろう と、すべての時代の、すべての人々は、心を一つにして、他の教え ではない、「この高僧方の教え」によって、正しい お念仏をいただいて、信心をいただいてほしい、と。

 

第二段「依経段」まで は、『大無量寿経』に依(よ)って、私達が親しんでいる言葉で、「阿弥陀様の教え」と「お釈迦様の教え」が いわれていたので、わかりやすかったのですが、
第三段「依釈段」に入ると、「お釈迦様が説かれた教え」が、七高僧を通して「大乗仏教」として確認されて行き、親鸞聖人にまで伝わって来る 約千六百年間の歴史が語られていく。

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そして、七高僧 お一人 お一人 が、
・その当時の人々に、どのように「大乗仏教」を説かれたのか、
・そのことを親鸞聖人が、どのように受け止められたのか、
ということを確認していく中で、私達が聞き慣れない仏教用語 も 出てくる。
しかし、そのこと すべてを包んで「南無阿弥陀仏(帰命無量寿如来 南無不可思議光)」でございますし、正信偈を最後まで見ていくことができれば、「浄土真宗の全体が見えてくる」ということでもございますので、がんばって学んでいきましょう!

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《 依釈段 龍樹章 》

『七高僧ものがたり-仏陀から親鸞へ』東本願寺出版部 より


〈 書き下し文 〉
釈迦如来、楞伽山(りょうがせん)にして、衆(しゅう)のために告命(ごうみょう)したまわく、
南天竺(なんてんじく)に、龍樹大士(りゅうじゅだいじ) 世に出(い)でて、
ことごとく、よく有無(うむ)の見(けん)を摧破(ざいは)せん。
大乗(だいじょう)無上(むじょう)の法を宣説(せんぜつ)し、歓喜地(かんぎじ)を証(しょう)して、安楽(あんらく)に生(しょう)ぜん、と。
難行(なんぎょう)の陸路(ろくろ)、苦しきことを顕示(けんじ)して、
易行(いぎょう)の水道(しいどう)、楽(たの)しきことを信楽(しんぎょう)せしむ。
弥陀仏の本願を憶念(おくねん)すれば、自然(じねん)に即(そく)の時(とき)、必定(ひつじょう)に入(い)る。
ただよく、常に如来の号(みな)を称(しょう)して、大悲弘誓(だいひぐぜい)の恩を報(ほう)ずべし、といえり。

 ↓ 特に関連している言葉

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・「大乗(だいじょう)無上(むじょう)の法」と「難行(なんぎょう)」と「易行(いぎょう)」
  ↓↑ 関連している
・「歓喜地(かんぎじ)」と「安楽(あんらく)」と「即(そく)の時(とき)、必定(ひつじょう)に入(い)る」
  ↓↑ 関連している
・「弥陀仏の本願を憶念(おくねん)」と「常に如来の号(みな)を称(しょう)して、大悲弘誓(だいひぐぜい)の恩を報(ほう)ずべし」

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今日 の お言葉
・「大乗(だいじょう)無上(むじょう)の法」と「難行(なんぎょう)」と「易行(いぎょう)」

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「二双四重(にそうしじゅう)」
 親鸞聖人は、お釈迦様が説かれた お経(五千四十八巻 現存している)を、形式・思想内容などによって分類している。
 まず 仏教の全体を、
 「竪(しゅ)(聖道門(しょうどうもん)・自力)」‐順序に従(したが)って段階的に一つの方向に進もうとする方法
 「横(おう)(浄土門(じょうどもん)・他力)」‐順序を経(へ)ずに一挙に最終目的を達成しようとする方法
 との二種類に分け、さらに、「竪(しゅ)」と「横(おう)」には、それぞれ
 「出(しゅつ)(漸教(ぜんきょう))」‐長い修行の末に 次第に 悟り に 近づく教え、
 「超(ちょう)(頓教(とんぎょう))」‐迷いの身のままに、ただちに深い 悟りの境地 に 達する教え

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〈 言葉の意味 〉
「難行(なんぎょう)」
 「難行道(なんぎょうどう)」のこと。自分の歩く力を頼りにして、けわしい陸路(りくろ)を進もうとする「聖道門(しょうどうもん)の修行」を例えたもの。

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「聖道門(しょうどうもん)」
 お釈迦様は、
 「人間は、さまざまな苦しみ 悩み を 経験しなければならない。その苦悩が、なぜ起こるのか。
  それは、真実について無知であり、欲望のために、こだわるべきでない物事 に こだわる からだ。
  苦悩から逃れるためには、その原因である さまざまな煩悩から離れなければならない」
 と、語られた。この教えを忠実に受け止めて、
 「煩悩を無くした阿羅漢(あらかん)という境地」を目指し、命懸けの修行に励(はげ)んで、懸命な努力が積み重ねられてきた。

・「上座部(じょうざぶ)仏教」(小乗仏教)→ スリランカ・ビルマ・タイ・カンボジア等、日本では 天台宗(開祖 比叡山 最澄)
  ↓
 「堅出(しゅしゅつ)」
  永(なが)く厳しい修行によって徐々(じょじょ)に 仏の悟り に 近づいていく「自力・難行道(なんぎょうどう)」

・「密教系」(チベット仏教)→ チペット・モンゴル・ネパール・ブータン等、日本では 真言宗(開祖 高野山 空海)
  ↓
 「堅超(しゅちょう)」
  強靭(きょうじん)な菩提心(ぼだいしん)(悟りを求める心)によって修行に励(はげ)み、一挙(いっきょ)に 仏の悟り を体得(たいとく)する もう一つの「自力・難行道(なんぎょうどう)」」(即身成仏)

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 ↓↑ 対して

「易行(いぎょう)」
 「易行道(いぎょうどう)」のこと。「阿弥陀様 の ご本願」という船に乗せてもらって、楽々と浄土往生に導かれる「浄土門(じょうどもん)」を例えたもの。

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「浄土門(じょうどもん)」
 この世では悟りを開くこと は できないが、「阿弥陀様 の ご本願」によって お浄土に生まれて、悟りを開く道。

 ↓

「大乗仏教」→ 日本・中国・韓国・ベトナム等。

・「横出(おうしゅつ)」
  困難な修行によるのではなく、念仏によって一足飛(いっそくと)びに浄土に往生して 仏の悟り を得ようとする「他力・易行道(いぎょうどう)」(「横(おう)」は、「念仏」を表している)。
  「自力の念仏(自分が励(はげ)んで唱えた念仏)」の功徳によって、阿弥陀様の本願力(他力)に すがって、浄土に往生しようとする。(他力で助かるのだけれども、自力が混じっている)→ 浄土宗

・「横超(おうちょう)」
  一切 の はからい から離れ、ひたすら『仏説 無量寿経』に説かれている 阿弥陀様 の ご本願 に帰依(きえ)して、浄土に往生させていただこうとする「他力・易行道(いぎょうどう)」→ 浄土真宗

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「大乗(だいじょう)無上(むじょう)の法」‐誰でもが、真実に出会い救われていく この上なく優れた教え。

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『末燈鈔(まっとうしょう)』親鸞聖人 著
浄土真宗 は 大乗の なか の 至極 なり。
 浄土の真実の教え は、大乗仏教の中で、もう これ以上の教え は ない、唯一 究極の教えです。

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『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』親鸞聖人 著
都から遠く離れた所に住む人々は、仏教の言葉の意味も わからず、教え に ついても まったく無知なのである。
だから、そのような人々にも やさしく理解してもらおうと思い、同じことを何度も 繰り返し 繰り返し 書きつけたのである。
ものの道理をわきまえている人は、おかしく思うだろうし、あざけり笑うこともあるだろう。
しかし、そのように世間の人から そしられることも気にかけず、ただ ひたすら 教えについて無知な人々 に 理解しやすいように と 思って、書き記したのである。

 ↓

親鸞聖人は
「田舎の人々が、ただ お念仏を称えて生きている。
 「その姿」こそが「大乗の なか の 至極」の姿なんだ。
 そのことを、明らかにしなければいけない!」
という使命と責任を感じられて、どうしても 龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師の教え をしっかりと整理して見ていく必要があった。

 ↓

七高僧の時代的な流れ は「龍樹菩薩 → 天親菩薩 → 曇鸞大師・・」だが、
親鸞聖人は、「浄土真宗 は 大乗の なか の 至極 なり」、
そのことを明らかにする 学び の中で「曇鸞大師 → 天親菩薩 → 龍樹菩薩」という流れで高僧方と出会われている。

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 ↓

法然上人は、親鸞聖人が大切にされた「七高僧」の中では、
曇鸞大師『浄土論註(ろんちゅう)』・道綽禅師『安楽集』・善導大師『観無量寿経疏(しょ)』を重んじた。

 ↓

今日 の お言葉 その二

〈 原文 〉
顕示(けんじ)難行(なんぎょう)陸路(ろくろ)苦(く) 信楽(しんぎょう)易行(いぎょう)水道(しいどう)楽(らく)

〈 書き下し文 〉
難行(なんぎょう)の陸路(ろくろ)、苦しきことを顕示(けんじ)して、易行(いぎょう)の水道(しいどう)、楽(たの)しきことを信楽(しんぎょう)せしむ。

〈 言葉の意味 〉
「難行(なんぎょう)」
 「難行道(なんぎょうどう)」のこと。自分の歩く力を頼りにして、けわしい陸路(りくろ)を進もうとする「聖道門(しょうどうもん)の修行」を例えたもの。

 ↓↑ 対して

「易行(いぎょう)」
 「易行道(いぎょうどう)」のこと。「阿弥陀様 の ご本願」という船に乗せてもらって、楽々と浄土往生に導かれる「浄土門(じょうどもん)」を例えたもの。

 ↓

龍樹菩薩は、
「仏道の歩み」には「困難な道(聖道門(しょうどうもん))」と「易(やさ)しい道(浄土門(じょうどもん))」との「二つの道」があることを明らかにされた。

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「顕示(けんじ)」‐わかるように、はっきりと示すこと。

「信楽(しんぎょう)」
 信じて楽(ねが)う(好む)こと。
 本願によって 念仏 が 私達に差し向けられていること を疑わずに、素直に信じる。そして、喜んで念仏を楽(ねが)い(好み)求める。

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難行(なんぎょう)の陸路(ろくろ)、苦しきことを顕示(けんじ)して、易行(いぎょう)の水道(しいどう)、楽(たの)しきことを信楽(しんぎょう)せしむ。

〈 意訳 〉
龍樹菩薩は、
「「自分の力」を頼りにして、「困難な修行」に励む「聖道門(しょうどうもん)の教え」は、苦しみに耐えながら けわしい陸路(りくろ)を進むようなものでしかない」
と、明らかに教え示され、
「それに対して、「阿弥陀様 の ご本願」に おまかせしきって、お浄土に導いていただく「浄土門(じょうどもん)の教え」は、船に身をゆだねて水路を進むようなもので楽しいことである」
と、明らかに教え示してくださり、
「阿弥陀様 の ご本願 を疑わずに、「お念仏」を素直に喜んで 受け取るように」と、人々に お勧めくださった。

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