↑ 練習した音源(約39分)を入れてみました!
(練習して、録音して、聞き込んでから、やっと やっと 法話をしております。)
下記の内容をプリントに印刷しているので、話の中で「○ページを見てください」というようなことが出てきます。
『音楽素材 : PeriTune URL:https://peritune.com/blog/2018/04/24/gentle_theme/』
《 源信僧都(げんしんそうず)(七高僧 第六祖(そ))》
『七高僧ものがたり-仏陀から親鸞へ』東本願寺出版部 より
〈 源信章(げんしんしょう) 原文 〉
源信(げんしん)広(こう)開(かい)一代教(きょう) 偏(へん)帰(き)安養(あんにょう)勧(かん)一切 専雑(せんぞう)執心(しゅうしん)判(はん)浅深(せんじん) 報化二土(ほうけにど)正(しょう)弁立(べんりゅう) 極重(ごくじゅう)悪人(あくにん)唯(ゆい)称(しょう)仏(ぶつ) 我(が)亦(やく)在(ざい)彼(ひ)摂取(せっしゅ)中(ちゅう) 煩悩(ぼんのう)障(しょう)眼(げん)雖(すい)不(ふ)見(けん) 大悲(だいひ)無(む)倦(けん)常(じょう)照(しょう)我(が)
〈 書き下し文 〉
源信(げんしん)、広(ひろ)く一代の教(きょう)を開きて、ひとえに安養(あんにょう)に帰(き)して、一切を勧(すす)む。
専雑(せんぞう)の執心(しゅうしん)、浅深(せんじん)を判(はん)じて、報化二土(ほうけにど)、正(まさ)しく弁立(べんりゅう)せり。
極重(ごくじゅう)の悪人は、ただ仏(ぶつ)を称(しょう)すべし。
我(われ)また、かの摂取(せっしゅ)の中にあれども、 煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらず といえども、大悲ものうきことなく、常(つね)に我(われ)を照(てら)したまう、といえり。
《 源信僧都(げんしんそうず)物語(ものがたり) 》
源信僧都(げんしんそうず)(生年(せいねん) 九四二年 ~ 没年(ぼつねん) 一〇一七年)は、比叡山(ひえいざん)の恵心院(えしんいん)におられましたので、恵心僧都(えしんそうず)とも お呼びしています。
今の奈良県に誕生され、十三歳の時に出家して比叡山に上(のぼ)られ、そこで天台宗をはじめ、諸宗(しょしゅう)の教義(きょうぎ)を究(きわ)められ、並(なみ)はずれた学識によって、広く名声を高められたのでした。
これによって、朝廷から「僧都(そうず)」という 高い位(くらい) が授(さず)けられようとしたのですが、これを受けられませんでした。しかし、世の人々は、この お方こそが「僧都(そうず)」とお呼びするに ふさわしい と、敬意(けいい)をこめて、源信僧都(げんしんそうず)と お呼びしています。
ー1-
源信僧都(げんしんそうず)は、有名な由緒(ゆいしょ)ある お寺 に住むことを避(さ)けて、比叡山の奥深く、恵心院(えしんいん)に静(しず)かに住(す)まわれ、お釈迦様が その ご生涯のうちに お説きになった み教え(一代の教(きょう))を、お経 によって、くまなく学びとられ、仏教の真髄(しんずい)を究(きわ)められたのでした。そうして、諸教(しょきょう)を広く深く学ばれる中で、
「末世(まっせ)の凡夫に ふさわしい教え は、念仏往生の教え以外にはない。
お釈迦様 ご一代の み教え の 帰結(きけつ)するところ は、「南無阿弥陀仏」を称(とな)える念仏の教えなのです。」
と、明らかにされたのです。そして、自(みずか)ら念仏に深く帰依される と ともに、
世間の一切の人々に、本願による念仏をいただくよう 勧(すす)められたのでした。
それは、源信僧都(げんしんそうず)の四十四歳の時のことでした。
↓
〈 正信偈の原文 〉
源信(げんしん)広(こう)開(かい)一代教(きょう) 偏(へん)帰(き)安養(あんにょう)勧(かん)一切
〈 書き下し文 〉
源信(げんしん)、広(ひろ)く一代の教(きょう)を開きて、ひとえに安養(あんにょう)に帰(き)して、一切を勧(すす)む。
〈 言葉の意味 〉
「広(ひろ)く一代の教(きょう)を開きて」
お釈迦様が ご生涯に説かれた教え 全体 の 真髄(しんずい)を広く世に公開された。
源信僧都(げんしんそうず)は、決して 天台宗や華厳宗(けごんしゅう)などの他宗 を否定していない。
「広(ひろ)く一代の教(きょう)を開きて」とは、源信僧都(げんしんそうず)の生きられた 念仏の信心 の深さ・広さを表している。信仰は深ければ深いほど、広く いろいろなものを包み込んでいける。だから、「狭(せま)い」というのは、信仰が「浅い」から。
↓
-2-
親鸞聖人は、源信僧都(げんしんそうず)に学び、
「一代の教(きょう)とは、念仏を根にして、天台宗(てんだいしゅう)や華厳宗(けごんしゅう)などの いろいろな宗派が花のように咲いている姿 をいう。一代の教(きょう)すべてを包(つつ)んで、それを支えるように本願の念仏の教えがある。」
ということを『教行信証』によって明らかにされている。
↓
源信僧都(げんしんそうず)が記された『往生要集(おうじょうようしゅう)』は、多くの お経の言葉 などを集めて、仏教全体の帰(き)するところは、結局は、念仏往生の教えしかない ことを明らかにされた。これが、日本の浄土教の源流 となり、後(のち)に、法然上人による 浄土宗の開宗(かいしゅう) に大きな影響を与えた。
↓
「安養(あんにょう)」
安養(あんにょう)世界‐安養界(あんにょうかい)。阿弥陀様の極楽浄土のこと。
往生した者は、心を安(やす)んじ、身(み)を養(やしな)う。
「一切を勧(すす)む」
さらに、源信僧都(げんしんそうず)は、多くの著作によって、ご自分の信心 を世の一切の人々に盛(さか)んに勧(すす)められた。世の一切の人々が、お釈迦様の 本当 のお心 に立ち戻り、念仏の教えに目覚めてほしい と願われた。
↓
「一体なぜ、念仏を勧(すす)められるか?」というと、「覚(さと)り易(やす)く行(ぎょう)じ易(やす)い」というこの一点。
「私のような頑(かたく)なな 愚かな者には とうてい他(ほか)の道(みち)を進むことができない・・」
という所に立たれて、
「私も この念仏の道なら歩むことができる!」
そのような勧(すす)め方(かた)を源信僧都(げんしんそうず)は されている。
ー3-
↓ 次に、源信僧都(げんしんそうず)について、
〈 正信偈 の 原文 〉
専雑(せんぞう)執心(しゅうしん)判(はん)浅深(せんじん)
〈 書き下し文 〉
専雑(せんぞう)の執心(しゅうしん)、浅深(せんじん)を判(はん)じて、
〈 言葉の意味 〉
「専雑(せんぞう)」‐「専心(せんしん)(深い心)」と「雑心(ぞうしん)(浅い心)」のこと。
↓
修行には、
「専修(せんじゅ)」‐専(もっぱ)ら阿弥陀仏の名号を称える(専修(せんじゅ)念仏)。
「雑修(ざっしゅ)」‐戒(かい)を保(たも)ったり、いろいろな修行をしたりする雑行(ぞうぎょう)。
があり、それぞれに「専心(せんしん)(深い心)」と「雑心(ぞうしん)(浅い心)」がある。
浄土真宗では、「雑修(ざっしゅ)」の方は問題ではないが、「専修(せんじゅ)」の方は問題となる。
「専修(せんじゅ)にして専心(せんしん)」‐純粋ということ。(純粋なものは深い。こちらなら問題はない。)
「専修(せんじゅ)にして雑心(ぞうしん)」‐人間の計(はか)らいや魂胆(こんたん)などが混(ま)じっている。浅い。念仏なのだけれども、その念仏 を 人間の心 で とらえている。
↓
『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』化身土巻(けしんどのまき) 意訳 親鸞聖人 著
専(もっぱ)ら念仏しても、自力の心で励(はげ)む者(専修(せんじゅ)にして雑心(ぞうしん))は 大きな喜びの心 を得ることができない。
↓
お念仏を 自分の思い で唱(とな)えて、ありがたがっていても、そこに 大きな喜びの心 は起こってこない。自分の思いが破れて、思い以上のもの が 現れてきた時に、大きな喜びの心 が起こって来る。
↓
-4-
善人は 善人で「間違ったことはしていない」という 誇り を持っている。
そのような誇(ほこ)り を 聖者も 善人も捨てなければならない。なぜなら、
・回心(えしん)‐真実に背を向ける「自分の計(はか)らい」に こだわり続ける心を捨てて、大きな願いの中に生かされている「本来の自分」に 立ち戻る。
・懺悔(さんげ)‐罪を告白して、悔(く)い改(あらた)める。
このことをしなければ、阿弥陀様の本願の世界に入ることができないから。
「善(よ)い行(おこな)い」とは、ご縁 に促(うなが)されて、善いことができているだけで、自分の心掛けが善いから、というわけではない。自分を誤解している。
「執心(しゅうしん)」
執着(しゅうじゃく)という意味ではなく、ここでは、「執持心(しゅうじしん)‐執(と)り入れて持(たも)つ心。お念仏を保(たも)ち続けて失(うしな)わない心」をいう。
「判(はん)じて」‐判決(はんけつ)。批判(ひはん)して決定する。
↓ また、源信僧都(げんしんそうず)は、ご自分のことを、
〈 正信偈 の 原文 〉
報化二土(ほうけにど)正(しょう)弁立(べんりゅう)
〈 書き下し文 〉
報化二土(ほうけにど)、正(まさ)しく弁立(べんりゅう)せり。
〈 言葉の意味 〉
「報化二土(ほうけにど)」
・真実報土(ほうど)‐一切の人々を迎え入れたい と願われた阿弥陀様の本願が報(むく)いられて開かれている浄土 と
・方便(ほうべん)化土(けど)‐自力から離れられないでいる雑心(ぞうしん)の凡夫を、本願他力を信ずる専心(せんしん)によってしか往生できない真実報土(ほうど)に やがて導くために、仮(かり)に方便(ほうべん)(凡夫を「真実」に近づけるために仏(ぶつ)が設(もう)けられた手段)として思い描(えが)かせておられる浄土。
-5-
↓
源信僧都(げんしんそうず)は、浄土には二種類ある ということを言いたいのではなくて、
信心には「専心(せんしん)(深い心)」と「雑心(ぞうしん)(浅い心)」という区別があり、
「雑心(ぞうしん)では 真実報土(ほうど)に 往生できない」ということを誡(いまし)めておられる。
それは、また、他人事ではなく、専修(せんじゅ)念仏が与えられ、真実報土(ほうど)に往生することが明らかな事実であるのに、本願よりも自我を優先させて、自分が思い描(えが)いている浄土に固執(こしつ)し、それに満足して、雑修(ざっしゅ)に心を向けてしまう 愚かな ご自分 の お心 を 厳(きび)しく誡(いまし)めておられる。
そこには、阿弥陀様の本願を深く喜ばれ、お釈迦様の み教え を 正しく受け取られながら、どうしても、自分の心の中に閉じこもってしまう 源信僧都(げんしんそうず)の 非常に差(さ)し迫(せま)った 慚愧(ざんき) の お心(自分の見苦(みぐる)しさや過(あやま)ちを反省して、心に深く恥(は)じる)が うかがえる。
「弁立(べんりゅう)」‐説き明かす。
↓ また、源信僧都(げんしんそうず)は、ご自分のことを、
〈 正信偈 の 原文 〉
極重(ごくじゅう)悪人(あくにん)唯(ゆい)称(しょう)仏(ぶつ)
〈 書き下し文 〉
極重(ごくじゅう)の悪人は、ただ仏(ぶつ)を称(しょう)すべし。
〈 言葉の意味 〉
「極重(ごくじゅう)の悪人」
極(きわ)めて重大な悪を はたらく人。法律に違反すること、世の道徳・
倫理(りんり)に反(はん)すること も 悪ですが、それよりも、仏(ぶつ)の教え に従(したが)えない 真実に背(そむ)く人 のこと。何とかして救ってやりたい と願っておられる仏(ぶつ)の大慈悲心(だいじひしん)に逆(さか)らっている人。すでに、阿弥陀様から専修(せんじゅ)念仏が与えられているにもかかわらず、それを無視して 自分の思いを優先させ、あえて雑修(ざっしゅ)に心を向けてしまう人が、ここでいわれる「極重(ごくじゅう)の悪人」。
↓
-6-
親鸞聖人が七高僧を定められた基準(平成三十年五月に見ました)
一、七高僧には、それぞれに すばらしい著書がある。
「著書が後世(こうせい)に残っている」ということは、七高僧は その時代 その時代の仏教界を代表する大学者であった、ということ。
二、七高僧それぞれが、浄土真宗の「ある一面」の 大事なこと を見つけられて、明らかにしてくださっている。
三、七高僧は、それぞれ「大学者」ではあるが、著書を通して、自らを省みて、信仰を告白しておられる。私達と同じ「凡夫」という立場に身を置いて、愚かな私達・民衆の代表として、念仏の教えを、本願のいわれ を 明らかにしてくださっている。
(例えば、中国では 地論宗(じろんしゅう)の慧遠(えおん) や 天台宗の智顗(ちぎ)など、たくさんの優れた学僧を輩出(はいしゅつ)したが、「自(みずか)らを省(かえり)みて 自(みずか)らの信仰を告白する」ということが見られない。)
↓
第一祖(そ) 龍樹(りゅうじゅ)菩薩は、「正信偈」には出てこないが、『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』に自分の弱さを告白しておられる。
第二祖(そ) 天親(てんじん)菩薩の所では「群生(ぐんじょう)‐群(むら)がって生きている弱い者」。
第三祖(そ) 曇鸞大師(どんらんだいし)の所では「惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)‐煩悩に染(そ)め上げられ、煩悩に振り回され、罪を作り続ける凡夫」。
第四祖(そ) 道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の所では「一生造悪(いっしょうぞうあく)‐一生涯 ろくなことをしない人間」。
第五祖 善導大師(ぜんどうだいし)の所では
「定散(じょうさん)‐正しい心になろう と思うのだけれども、その 心がけ が続かない者」
「逆悪(ぎゃくあく)‐とんでもない罪を作っている者」。
第六祖 源信僧都(げんしんそうず)の所では「極重(ごくじゅう)の悪人‐極めて重大な悪をはたらく人」。
第七祖 法然上人(ほうねんしょうにん)の所では
「善悪の凡夫‐善であろうと、悪であろうと、どちらにしても、愚(おろ)かで悲(かな)しい存在」。
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↓
『往生要(よう)集(しゅう)』源信僧都(げんしんそうず) 著
〈 原文 〉
観経(かんぎょう)「極重(ごくじゅう)悪人無(む)他(た)方便唯(ゆい)称(しょう)弥陀(みだ)得(とく)生(しょう)極楽」
〈 書き下し文 〉
『観経(かんぎょう)』にいわく、
「極重(ごくじゅう)の悪人、他(た)の方便なし。ただ弥陀を称(しょう)して極楽に生(う)まるることを得(う)」
〈 意訳 〉
極重の悪人が、助かる道は、もはや他(ほか)の方法がない。ただ弥陀の名号を称(しょう)して、極楽に生(う)まれることを得(え)るばかりである。
↓
ここから親鸞聖人は『正信偈』の言葉を作っている。(「弥陀(みだ)」は「仏(ぶつ)」とされた)
〈 正信偈 の 原文 〉
極重(ごくじゅう)悪人(あくにん)唯(ゆい)称(しょう)仏(ぶつ)
〈 書き下し文 〉
極重(ごくじゅう)の悪人は、ただ仏(ぶつ)を称(しょう)すべし。
↓
源信僧都(げんしんそうず)は「このような言葉が『観経(かんぎょう)』に示されている」というが、直接そのようには書かれていない。
『観(かん)無量寿経』で「念仏」という言葉が出ているのは、わずかに二か所しかない。
↓
「第九(だいく)真身観(しんしんかん)」
真実の仏身(ぶっしん)を観想(かんそう)する(真(しん)の姿(すがた)に思(おも)いを凝(こ)らす)ためには、念仏しかない と教えている所。
↓
『仏説(ぶっせつ) 観(かん)無量寿経』意訳
「この観(かん)が成就したなら、次に無量寿仏の真(しん)の おすがた と光明を想(おも)い描(えが)くがよい。阿難(あなん)よ、よく知るがよい。無量寿仏の お体 は百千万億の夜摩天(やまてん)(光明にあふれ、昼夜(ちゅうや)がなく、歓楽(かんらく)を受ける世界)の黄金(おうごん)のように まばゆく輝き、その高さは六十万億那由他(なゆた)、それは それは はかり知れない大きさである。
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また眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)(柔(やわ)らかな白い毛が右回りに うずまいている所。そこから光を放(はな)たれる。仏像では水晶(すいしょう)などをはめて表わしている)は、右に ゆるやかにめぐり、その大きさは ちょうど須弥山(しゅみせん)(古代(こだい)インドの世界観で、中央に そびえる山)を五つあわせたほどであって、その目は四(し)大(だい)海水のようにひろびろとしており、清らかに澄(す)みきっている。
また お体の毛穴から放(はな)たれる光明は まるで須弥山(しゅみせん)のように大きく、その頭の後ろにある円光(えんこう)の広さは百億の三千大千世界をあわせたほどである。その円光(えんこう)の中には百万億那由他(なゆた)の化身(けしん)(衆生を済度(さいど)するための様々(さまざま)な姿(すがた))の仏(ぶつ)が おいでになり、それぞれの化身(けしん)の仏(ぶつ)には また数限りない化身(けしん)の菩薩が つきそっている。
また、無量寿仏の お体 には八万四千の すぐれたところがあり、その それぞれには また八万四千の こまかな特徴が そなわっている。
さらに その それぞれに また八万四千の光明があり、その一つ一つの光明はひろく すべての世界を照らして、仏(ぶつ)を念(ねん)じる人々を残らず その中に摂(おさ)め取(と)り、お捨(す)てにならないのである。その光明や お体の特徴、そして化身(けしん)の仏(ぶつ)について詳しく説(と)くことは とても できない。ただ思いをこらし、心の目を開いて明らかに見るがよい。
このように想(おも)い描(えが)くものは、さまざまな世界の仏方(ほとけがた)を すべて見たてまつることになる。すべての仏方(ほとけがた)を見たてまつるのであるから、この観(かん)を念仏三昧(ざんまい)と名づける。また、この観(かん)を行(おこな)えば すべての仏(ぶつ)の おすがたを想(おも)い描(えが)くことになり、仏(ぶつ)の おすがた を想(おも)い描(えが)くのであるから、仏(ぶつ)の心を見たてまつることになる。その仏(ぶつ)の心は大(おお)いなる慈悲の心であり、この わけへだてのない慈悲をもって、仏(ぶつ)は すべての人々を摂(おさ)め取(と)られるのである。
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この観(かん)が成就すれば、来世(らいせ)には仏方(ほとけがた)の前に生(うま)れ、無生法忍(むしょうぼうにん)(真理を確信する境地)を得ることができる。だから 智慧の すぐれたもの は 心を一つにして、はっきりと無量寿仏を想(おも)い描(えが)くがよい。そして無量寿仏を想(おも)い描(えが)こうとするものは、その仏(ぶつ)の特徴の一つを想(おも)い描(えが)くことから始めるがよい。それには まず、眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)を きわめて はっきりと想(おも)い描(えが)くことである。眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)を想(おも)い描(えが)くなら、八万四千のすぐれた特徴を持つ おすがた が おのずから現れてくる。こうして無量寿仏を見たてまつるなら、それは すなわちさまざまな世界の数限りない仏方(ほとけがた)を見たてまつることになる。
さまざまな仏方(ほとけがた)を見たてまつることによって、仏方(ほとけがた)は目の前で さとりを得ることを約束してくださるであろう。このように想(おも)い描(えが)くのを ひろく すべての仏(ぶつ)の おすがた を想(おも)い描(えが)く想(そう) といい、第九(く)の観(かん)と名づける。このように観(かん)ずることを正観(しょうかん)といい、そうでないなら すべて邪観(じゃかん)というのである。」
↓
〈 言葉の意味 〉
「ただ(唯(ゆい))」
阿弥陀様の光明は、念仏をしない衆生をも、平等に照らしている。しかし、その照らす光に遇(あ)う者は、念仏の衆生しかない。
「念仏しない者は照(て)らさない」というのなら、それは 阿弥陀様に責任があるが、阿弥陀様は黙々(もくもく)と照らし続けてくださっている。
光明は、目を閉じていたら見えない。光に遇(あ)うためには、「目を開く」という 照らされる側の責任がある。
「光明遍(へん)照(じょう)十方世界(光明はひろく すべての世界を照らして、)」は、阿弥陀様の お仕事。
「念仏衆生摂取不捨(せっしゅふしゃ)(仏(ぶつ)を念(ねん)じる人々を残らず その中に摂(おさ)め取(と)り、お捨(す)てにならない)」は、衆生の責任 と関係している。
摂取不捨(せっしゅふしゃ)とは、実は、阿弥陀様の所にあること ではなく、目を開いて、光明に出(で)遇(あ)い救われた 衆生の体験 を通していわれている言葉なのです。
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↓
親鸞聖人は「信知(しんち)」という言葉を、「思い知る」と訳された。
『親鸞聖人御消息集(ごしょうそくしゅう)(広本(こうほん))』(一)親鸞聖人 著
はじめて仏(ぶつ)の お誓(ちか)いを聞くようになった人々の中で、自(みずか)らの身(み)や心(こころ)の悪(あく)を思い知って、「この身(み)のようでは どうして浄土に生まれることが出来ようか」
と思う人に 対して はじめて、
「人間は煩悩を まとっているのだから、仏(ぶつ)は私達の心の善(よ)し悪(あ)しを とやかく沙汰(さた)しないで、お迎(むか)えになるのだ」
と説かれるのであります。
↓
「思い知る」というのは「自分が悪人である」ことを思い知る。
それを回心(えしん)という。
『歎異抄(たんにしょう)』第二章 意訳 親鸞聖人の直弟子(じきでし) 唯円(ゆいえん) 著
本来、どのような努力によっても、仏(ぶつ)になることのできない身であるから、どう もがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。
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そして、「自分を思い知り、頭の下がった心」が「南無(なむ)(帰命(きみょう)‐阿弥陀様の命に帰(かえ)りたい という願い)」となり、光り輝く阿弥陀様が現れる。
↓
「南無(なむ)(帰命(きみょう))」がない、頭が下がらない人の上には、阿弥陀様は輝かない。
阿弥陀様は、
「私に南無(なむ)(帰命(きみょう))してください。私は、あなたの上に 輝き となって現れたいのですが、あなたの頭が下がらない限り、私は、あなたに、働きかけることができないのです・・」
と、嘆(なげ)き悲しんでおられる。
↓
-11-
下品(げぼん)下生(げしょう)の人間‐もう箸(はし)にも棒(ぼう)にも かからない、本当に お粗末(そまつ)極(きわ)まる、なんの取(と)り柄(え)もない人間が、念仏して助かっていくことが説かれる。
(「人の往生」には「上品(じょうぼん)」「中品(ちゅうぼん)」「下品(げぼん)」があり、さらに それぞれに「上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)」とがあり、合計 九段階の往生がある といわれる。令和四年四月に見ました。)
↓
『仏説(ぶっせつ) 観(かん)無量寿経』意訳
もっとも重い五逆(ごぎゃく)や十悪(じゅうあく)の罪(つみ)を犯(おか)し、その他(た)さまざまな悪(わる)い行(おこな)いをしている者がいる。このような愚(おろ)かな人は、その悪(わる)い行(おこな)いの報(むく)い として悪い世界に落ち、はかり知れないほどの長い間、限りない苦しみ を受けなければならない。
この愚かな人 が その命を終えよう とする時、善知識(ぜんちしき)に めぐりあい、その人のために いろいろと いたわり慰(なぐさ)め、尊(とうと)い教えを説いて、仏(ぶつ)を念(ねん)じることを教えるのを聞く。しかし その人は 臨終(りんじゅう)の苦しみ に責(せ)め さいなまれて、教えられた通りに仏(ぶつ)を念(ねん)じることができない。そこで善知識(ぜんちしき)は さらに、
「もし心に仏(ぶつ)を念(ねん)じることができないのなら、ただ口に 無量寿仏の み名(な) を称(とな)えなさい」
と勧(すす)める。こうして その人が、心から声を続けて南無阿弥陀仏と十回 口に称(とな)えると、仏(ぶつ)の名(な)を称(とな)えたことによって、一声(ひとこえ) 一声(ひとこえ) 称(とな)えるたびに八十億劫(こう)という長い間の迷いのもとである罪が除かれる。そして いよいよ その命を終えるとき、金色(こんじき)の蓮の花が まるで太陽のように輝いて、その人の前に現れるのを見(み)、たちまち極楽世界に生れることができるのである。
↓
どのような行(ぎょう)も間に合わないところに、初めて「仏(ぶつ)の名(な)を称(とな)える 称名(しょうみょう)念仏」が出て来る。この下品(げぼん)下生(げしょう)の お心を受け取って、源信僧都(げんしんそうず)は、
「極重の悪人が、助かる道は、もはや他の方法がない。ただ弥陀の名号を称(しょう)して、極楽に生(う)まれることを得るばかりである。」
と「観経(かんぎょう)の念仏の お心」を自(みずか)らの言葉に換(か)えて、いわれている。
ー12-
↓
『歎異抄(たんにしょう)』第三章 意訳 親鸞聖人の直弟子(じきでし) 唯円(ゆいえん) 著
あらゆる煩悩を身にそなえている私達は、どのような修行によっても迷いの世界を逃(のが)れることはできません。阿弥陀様は、それを哀(あわ)れに思われて本願(念仏)を起こされたのであり、その お心 は 私達のような悪人を救いとって仏(ぶつ)にするためなのです。
ですから、この本願の働きに お任せする悪人こそ、まさに浄土に往生させていただく因(いん)を持つ者なのです。
↓
「私達が、極重(ごくじゅう)の悪人 だからこそ、阿弥陀様は、必ず摂(おさ)め取ってくださるのです。」
と、源信僧都(げんしんそうず)が、私達を励(はげ)ましてくださっている お言葉 でもある。
↓ また、源信僧都(げんしんそうず)は、ご自分のことを、
〈 正信偈 の 原文 〉
我(が)亦(やく)在(ざい)彼(ひ)摂取(せっしゅ)中(ちゅう) 煩悩(ぼんのう)障(しょう)眼(げん)雖(すい)不(ふ)見(けん) 大悲(だいひ)無(む)倦(けん)常(じょう)照(しょう)我(が)
〈 書き下し文 〉
我(われ)また、かの摂取(せっしゅ)の中(なか)にあれども、煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらず といえども、大悲(だいひ)ものうきことなく、常(つね)に我(われ)を照(てら)したまう、といえり。
〈 言葉の意味 〉
「かの摂取(せっしゅ)の中(なか)」
阿弥陀様の本願の中に しっかりと摂(おさ)め取られている、という源信僧都(げんしんそうず)の実感が述べられている。
「いえども(雖(すい))」
信心をいただいて「心の中」に「仏(ぶつ)の光」が宿(やど)ったが、煩悩を起こす身であることは、変わらない。
「悟りを開かなくてもいい、成仏しなくてもいい。煩悩があっても かまわない。
命のある今は、信心をいただければ、それだけで十分なのです。」
という 信心の生活 が表現されている。
ー13-
↑
阿弥陀様が、私のことを、いつでも見護っていてくださる から、自分自身で見えなくしてしまっている阿弥陀様のこと を、深く思い続けることができる。
源信僧都(げんしんそうず)は、
「煩悩はある けれども、阿弥陀様は 私を照らし、見護り続けてくださっている。」
と 感激(かんげき)しておられる。
↓↑ 表と裏。同じく「助からない のだけれども 助かっている」ということ が いわれている
親鸞聖人は、
「信心をいただき、無明の夜(よる) は 明(あ)けた のだけれども、煩悩に覆(おお)われて曇(くも)り空(ぞら)」
と いわれている。
↓
〈 正信偈の原文 〉
已能雖破(いのうすいは)無明(むみょう)闇(あん) 貪愛瞋憎之(とんないしんぞうし)雲(うん)霧(む) 常覆(じょうふ)真実(しんじつ)信心天(しんじんてん) 譬(ひ)如(にょ)日(にっ)光(こう)覆(ふ)雲(うん)霧(む) 雲(うん)霧(む)之(し)下(げ)明(みょう)無(む)闇(あん)
〈 書き下し文 〉
すでに よく 無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)すといえども、貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧(うんむ)、常(つね)に真実信心の天(てん)に覆(おお)えり。
たとえば、日光の雲霧(うんむ)に覆(おお)わるれども、雲霧(うんむ)の下(した)、明らかにして闇(くら)きこと なきがごとし。
〈 意訳 〉
心に宿る「仏(ぶつ)の光」は、その人の中で太陽のように輝き、煩悩の根っこにある無明の闇を破ってくださる。
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しかし、「煩悩を起こす身」を生きていることは、変わらないため、貪愛(とんない)(貪(むさぼ)り)と瞋憎(しんぞう)(怒り)は晴れることなく、雲のように、その人の心を覆(おお)う。
しかし、煩悩の根っこ が 断ち切られているので、煩悩に振り回されることは無くなり、「煩悩が起こる」ことも、そのすべてが、仏(ぶつ)の世界を心に開く「ご縁」となっていく。(転悪成徳(てんまくじょうとく)(悪(あく)を転(てん)じて徳(とく)と成(な)す))
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曇り空でも、太陽が昇(のぼ)れば、その光(ひかり)は 雲(くも)に さえぎられることなく、その下は「闇」ではなく、明るい!
「カラリと晴れた」とは言ってない。「雲霧(うんむ)」は、煩悩の様子を表している。
「カラリと晴れた」ということは、「成仏」を意味する。
つまり、信心の生活は曇り空。曇り空だけれども、夜は明けている。
また、雲(くも)や霧(きり)が見えるのは、夜が明けた証拠でもある。
だから、道を歩くのに、なにも不自由はない。
《 依釈段(いしゃくだん) 源信章(げんしんしょう) 》
〈 原文 〉
源信(げんしん)広(こう)開(かい)一代教(きょう) 偏(へん)帰(き)安養(あんにょう)勧(かん)一切 専雑(せんぞう)執心(しゅうしん)判(はん)浅深(せんじん) 報化二土(ほうけにど)正(しょう)弁立(べんりゅう) 極重(ごくじゅう)悪人(あくにん)唯(ゆい)称(しょう)仏(ぶつ) 我(が)亦(やく)在(ざい)彼(ひ)摂取(せっしゅ)中(ちゅう) 煩悩(ぼんのう)障(しょう)眼(げん)雖(すい)不(ふ)見(けん) 大悲(だいひ)無(む)倦(けん)常(じょう)照(しょう)我(が)
〈 書き下し文 〉
源信(げんしん)、広(ひろ)く一代の教(きょう)を開きて、ひとえに安養(あんにょう)に帰(き)して、一切を勧(すす)む。
専雑(せんぞう)の執心(しゅうしん)、浅深(せんじん)を判(はん)じて、報化二土(ほうけにど)、正(まさ)しく弁立(べんりゅう)せり。
極重(ごくじゅう)の悪人は、ただ仏(ぶつ)を称(しょう)すべし。
我(われ)また、かの摂取(せっしゅ)の中にあれども、 煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらず といえども、大悲ものうきことなく、常(つね)に我(われ)を照(てら)したまう、といえり。
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〈 意訳 〉
源信僧都(げんしんそうず)は、お釈迦様が その ご生涯のうちに お説きになった み教えを、お経 によって、くまなく学びとられ、
「本願の念仏の教え が 仏教 全体を包(つつ)み込んでいる。
また、仏教 全体を、本願の念仏の教え が 根のように支えている。」
という仏教の真髄(しんずい)を広く世に公開されたのでした。
そして、さらに、
「末世(まっせ)の凡夫に ふさわしい教え は、覚(さと)り易(やす)く行(ぎょう)じ易(やす)い、安養(あんにょう)世界(浄土)に往生する 念仏の教え 以外にはない。」
と、明らかにされ、自(みずか)ら念仏に深く帰依(きえ)される とともに、多くの著作(ちょさく)によって、
「お釈迦様の 本当 の お心 に立ち戻り、念仏の教え に 目覚めてほしい。」
と、世の一切の人々に盛(さか)んに勧(すす)められたのでした。
また、
「・専修(せんじゅ)にして専心(せんしん)(阿弥陀様の本願に素直に従(したが)って、一途(いちず)に「南無阿弥陀仏」を
称(とな)える 他力の信心)は 深く、
・専修(せんじゅ)にして雑心(ぞうしん)(念仏も唱(とな)えるのだけれど、本願よりも、自らの努力を信頼して、さまざまな修行に励(はげ)んで往生を期待する信心)は 浅(あさ)はか である。
聖者も、善人も、誇りを 捨て、大きな願いの中に生かされている「本来の自分」に立ち戻り、懺悔(さんげ)(罪を告白して、悔(く)い改(あらた)める)して、大きな喜びの心 を得る阿弥陀様の本願の世界に入るべきである。」
と、専心(せんしん) と 雑心(ぞうしん) の違い を、はっきりと判別(はんべつ)してくださいました。
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また、
・真実報土(ほうど)‐一切の人々を迎え入れたい と願われた阿弥陀様の本願が報(むく)いられて開かれている浄土。
・方便化土(ほうべんけど)‐自力から離れられないでいる凡夫が、思(おも)い描(えが)いている 仮(かり)に設(もう)けられた浄土。
これらがあることを説き明かし、他力の念仏が与えられ、真実報土(ほうど)に往生することが明らかな事実であるのに、自力の雑心(ぞうしん)に心を向けてしまう 愚かな ご自分のお心 を 厳(きび)しく誡(いまし)めておられました。
また、『仏説(ぶっせつ) 観(かん)無量寿経』の「第九(だいく)真身観(しんしんかん)」と「下品(げぼん)下生(げしょう)」に説かれている「念仏の お心」は
「極重(ごくじゅう)の悪人(極(きわ)めて重大な悪をはたらく者)が、助かる道は、もはや他の方法がない。ただ弥陀の名号を称(しょう)して、極楽に生(う)まれることを得(え)るばかりである。」
ということであり、
「私達が、自分自身のことを「極重(ごくじゅう)の悪人である」と思い知り、南無(なむ)(帰命(きみょう)‐阿弥陀様の命に帰りたい という願い)と、頭が下がるからこそ、阿弥陀様の光明に出(で)遇(あ)い、救われるのです。」
と、明らかに教え示してくださいました。
また、
「私の中で、絶え間なく沸(わ)き起(お)こって来る煩悩、自我(じが)への こだわり が、心の眼(まなこ)を覆(おお)いつくしていて、摂(おさ)め取って捨てられることのない 本願の事実 を、自(みずか)ら 見えなくしてしまっているのだけれども、それでもなお、阿弥陀様の大悲の光明、大いなる哀(あわ)れみの お心 は、あきらめることなく、常に 私を照らして護ってくださるのです。」
と、源信僧都(げんしんそうず)は感激しておられました。
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