7 無量光 無辺光 無碍光

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↑ 練習した音源(約26 分)を入れてみました!
(練習して、録音して、聞き込んでから、やっと やっと 法話をしております。)
下記の内容をプリントに印刷しているので、話の中で「○ページを見てください」というようなことが出てきます。


普(ふ)放(ほう)無量無辺光 無碍無対光炎王(こうえんのう) 清浄歓喜(かんぎ)智慧光 不断難思無称光 超日月光(ちょうにちがっこう)照(しょう)塵刹(じんせつ) 一切群生(ぐんじょう)蒙(む)光照(こうしょう)
(あまねく、無量・無辺光・無碍、無対・光炎王(こうえんのう)、清浄・歓喜・智慧光、不断、難思・無称光、超日月光(ちょうにちがっこう)を放って、塵刹(じんせつ)を照らす。一切の群生(ぐんじょう)、光照(こうしょう)を蒙(かぶ)る。)

《 意訳 》
 阿弥陀如来は、十二種類の光を放って、どんなに細かい所でも、無数の世界を どこまで でも、照らし尽し、一切の衆生は、この光の輝きを 常に蒙(こうむ)っているのです。

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「仏性」と「阿弥陀様の光に照らされる」
 阿弥陀様は、命あるもの の「心」となって、世界のすみずみにまで行き渡ってくださっている。それを「仏性」と呼んでいる。そして、「私達の心」の本当に深い所に「如来のお心‐仏性」があり、阿弥陀様は、いつでも「その心」に、如来の命に帰るよう、語りかけ、働きかけてくださっている。
 「阿弥陀様の光に照らされる」と、その「仏の光」が、私の心の中に宿る。そして、「私の心」を内から照らし出し、「間違い」が「間違いであった」、「煩悩」が「煩悩であった」、「迷い」が「迷っていたんだ」と、私の「無明の心」に、「真実」を届けてくださる。

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《 無量光 無辺光 無碍光 》

『仏説 阿弥陀経』では、十二の光 全部を出さずに、「無量光 無辺光 無碍光」の 三つの光 が出ている。
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〈 阿弥陀経 原文 〉
舎利弗(しゃりほ)、於(お)如(にょ)意(い)云(うん)何(が)。彼(ひ)仏(ぶ)何(が)故(こ) 号(ごう)阿弥陀(あみだ)。舎利弗(しゃりほ)、彼(ひ)仏(ぶ)光明(こうみょう)無量(むりょう)、照(しょう)十方(じっぽう)国(こく)、無(む)所(しょ)障(しょう)碍(げ)、是(ぜ)故(こ)号(ごう)為(い)阿弥陀(あみだ)。又(う)舎利弗(しゃりほ)、彼(ひ)仏(ぶ)寿命(じゅみょう) 及(ぎゅう)其(ご)人民(にんみん) 無量(むりょう)無辺(むへん) 阿僧祇劫(あそうぎこう)、故(こ)名(みょう)阿弥陀(あみだ)。

〈 意訳 〉
舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜ、その仏を阿弥陀と申しあげるのだろうか。
舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく(無量光)、すべての国々を照らして(無辺光)、何ものにも妨げられることがない(無碍光)。それで阿弥陀と申しあげるのである。
また舎利弗よ、その仏の寿命とその国の人々の寿命も、共に限りがなく、実に、はかり知れないほど長い。それで阿弥陀と申しあげるのである。

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この三光が十二光を代表している。
「いつでも(無量光)、どこでも(無辺光)、どんな出来事の中でも(無碍光)」。
この三つで、阿弥陀様の光明の ほとんどが言い尽くされている。
あとの「九光」は、大事な点を、さらに詳しく おさえている。

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「お念仏」と「無量光 無辺光 無碍光」

〈 阿弥陀経和讃 〉
十方微塵(みじん)世界の  念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば  阿弥陀となづけたてまつる

 〈 言葉の意味 〉
 十方微塵世界 ‐ 十方の無量無辺の世界。
 摂取して ‐「摂」は、おさめとる。逃げる人をも摂め取る。「取」は、むかえとる。一度、摂め取れば、長く捨てない。
  
 〈 意訳 〉
 十方無量の世界の 念仏の衆生を照らし観(み)られて、摂め取って捨てられないから、阿弥陀と申しあげるのです。

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「念仏の衆生を照らし観(み)られて、摂め取って捨てられない」

 

「光」は、十方の世界 すべてを照らしておられるけれども、「念仏を申さない者」は、助けることはできない。
いかに阿弥陀様といえども、お念仏を申さない「己知らず」を助けることはできない。
 
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「己知らず」は、「愚痴」の塊。たくさんのこと が 与えられていても、不満ばかりで、満足がない。「当たり前だ」としか思えない。 (現代人は、ますます「己知らず」に落ち込んでいる。だから、「当たり前だ」という顔をして、少しも喜ばない。)

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「自分がわかった人」だけが、「ありがたい」と言える →「有ること難し」
 
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お念仏を称える所に、初めて「助かる」という世界がある。
いつでも(無量光)、どこでも(無辺光)、どんな出来事の中でも(無碍光)、お念仏を称えれば、阿弥陀様を思い起こし、阿弥陀様のお心をいただきながら、日々を過ごすことができる。

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阿弥陀様が、鏡となり、私の姿を映し出してくださる。
阿弥陀様のお心を通して、「仏性」を思い起こしていける。
「無量・無辺・無碍の光」は、お念仏を称える所に、現れてくる。

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《 無量光 無辺光 無碍光 》の ご和讃

弥陀成仏の このかたは  いまに十劫をへたまへり 法身の光輪 きわもなく  世の盲冥(もうみょう)をてらすなり

 〈 言葉の意味 〉
 弥陀成仏 ‐ 弥陀が、本願を成就し、仏になる
 十劫 ‐ 時間の最大の単位
 法身の光輪 ‐ 法身は、生死の苦を離れた清浄の仏身。
 法身の光輪 ‐ 光輪は、光明を車輪に譬える。
 盲冥‐愚かで智慧に明るくない者

 〈 意訳 〉
阿弥陀様が、本願を成就され 仏に成られて、すでに十劫という はるかな時を経ている。
生死の苦しみから離れた 清らかな阿弥陀様の光明は、愚かで真実に暗い すべての人々を照らしてくださっている。
(最初に寿命無量、光明無量の阿弥陀様を讃える。)

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《 無辺光 》の ご和讃

解脱(げだつ)の光輪きわもなし  光触(こうそく)かぶるものはみな 有無を はなる と のべたもう  平等覚(びょうどうかく)に帰命せよ

 〈 言葉の意味 〉
 解脱 ‐ 業の束縛を離れる徳。仏の この徳が、衆生の悪業煩悩を除く。
 有無 ‐「我(われ)あり 法あり」とする見解と、「我(われ)もなく 法もなし」とする見解。二つの邪見。
 平等覚 ‐ 諸法の平等を覚り、平等の慈悲で衆生を救う阿弥陀仏。(平等とは、偏りや差別がなく、みな等しいこと。)

 〈 意訳 〉
 「悪い行い」や「煩悩」から離れさせてくださる阿弥陀様の無辺の光が、私の身に触れると、「有る」「無い」といった「とらわれ」から離れることができる。
 この阿弥陀様の平等のお悟りをいただいて、私達は本来の命の姿に戻るべきである。

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《 無碍光 》の ご和讃

光(こう)雲(うん)無碍如(にょ)虚空(こくう) 一切の有碍(うげ)にさわりなし  光沢(こうたく)かぶらぬものぞなき 難思議を帰命せよ 

 〈 言葉の意味 〉
 無碍 ‐ 衆生の煩悩悪業に妨げられない。その徳を広大な空(虚空)に喩える。
 有碍 ‐ 数多くの障りあること
 光沢 ‐「沢」は うるおい。雲に潤いがあるので、光雲の縁語となる。
 難思議 ‐ 不思議と同じ。心が及ばないので難思議という。弥陀の別号。

 〈 意訳 〉
 阿弥陀様の光明は、何ものにも妨げられることなく、すべてのもの に恵みを与えてくださっている。
 この私達の心では及ぶことのできない阿弥陀様の光を頼りとして、本来の命の姿に戻るべきである。

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〈余談〉
『帰命 尽十方無碍光如来』(十字名号)→ 天親菩薩(七高僧第二)の お言葉
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「尽」は「ことごとく」。
「尽十方」は、「十方を ことごとく照らしている」と いうこと →「無辺光」

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天親菩薩は、「無辺光」「無碍光」という光を、特に大切にされた

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「無辺光」は、偏ったカチカチの考え方から離れさせてくださる光。
「無碍光」は、すべてに恵みを与えてくださる太陽のような温かい光。
天親菩薩は、「このような阿弥陀様の光」に出会われて、大切にされていたのでは?

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『南無 不可思議光如来』(九字名号)→ 曇鸞大師(七高僧第三)の お言葉
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「不可思議」は「難思義」と同じ → 無碍光

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