41 万善自力貶勤修 円満徳号勧専称 三不三信誨

↑ 練習した音源(約32分)を入れてみました!
(練習して、録音して、聞き込んでから、やっと やっと 法話をしております。)
下記の内容をプリントに印刷しているので、話の中で「○ページを見てください」というようなことが出てきます。
『音楽素材 : PeriTune URL:https://peritune.com/blog/2018/04/24/gentle_theme/』


《 道綽禅師(どうしゃくぜんじ)(七高僧 第四祖(そ)) 》

『七高僧ものがたり-仏陀から親鸞へ』東本願寺出版部 より

前回 の お言葉

〈 原文 〉
道綽(どうしゃく)決(けッ)聖道(しょうどう)難(なん)証(しょう) 唯(ゆい)明(みょう)浄土可(か)通入(つうにゅう)

〈 書き下し文 〉
道綽(どうしゃく)、聖道(しょうどう)の証(しょう)しがたきことを決(けっ)して、ただ浄土の通入(つうにゅう)すべきことを明(あ)かす。

〈 意訳 〉
道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は、自力によって修行しようとする 聖道門(しょうどうもん)の教え では覚(さと)りが得(え)られないことを明らかにされ、そして、阿弥陀様の願い として凡夫に差し向けられている他力の念仏 によって浄土に往生する 浄土門(じょうどもん)の教え こそが 私達の通(とお)るべき道であることを明らかにされた。(聖道(しょうどう)・浄土二門(にもん)の決判(けっぱん))

 ↓↑ この お言葉に言(い)い尽(つ)くされているが、細かい所 を 解(と)き明(あ)かしていく

今日 の お言葉

〈 原文 〉
万善(まんぜん)自力(じりき)貶(へん)勤修(ごんしゅ) 円満(えんまん)徳号(とくごう)勧(かん)専称(せんしょう) 三不三信(さんぷさんしん)誨(け)

〈 書き下し文 〉
万善(まんぜん)の自力(じりき)、勤修(ごんしゅ)を貶(へん)す。円満(えんまん)の徳号(とくごう)、専称(せんしょう)を勧(すす)む。三不三信(さんぷさんしん)の誨(おしえ)、

 ↓

「聖道門(しょうどうもん)」
 お釈迦様は、
「人間は、さまざまな 苦しみ 悩み を 経験しなければならない。
 その苦悩が、なぜ起こるのか。それは、真実について無知(むち)であり、
 欲望のために、こだわるべきでない物事 に こだわる からだ。

ー1-


 苦悩から逃(のが)れるためには、その原因である さまざまな煩悩から離(はな)れなければならない」
と、語(かた)られた。この教え を忠実(ちゅうじつ)に受け止めて、
「煩悩を無くした阿羅漢(あらかん)という境地(きょうち)」を目指し、命懸(いのちが)けの修行 に励(はげ)んで、
懸命(けんめい)な努力 が積(つ)み重(かさ)ねられてきた。

 ↓

自力聖道門(しょうどうもん)の教えは、
「お釈迦様の教え を信頼し 修行を重ね 証(さとり)を得ていく」という「修行」が 中心となる教え。覚(さと)りを妨げる煩悩 を克服するために、自(みずか)らの能力を信じて、厳しい修行に励(はげ)む道。常(つね)に起こる 怠(なま)け心(ごころ) を おさえ、また、さまざまな誘惑に打ち勝って、ひたすら努力を積み重ねて、努力の成果 をあげなければならない。

 ↓

しかし、お釈迦様の時代であれば ともかく、今や、時代が遠く隔(へだ)たった末法(まっぽう)五濁(ごじょく)の世 である。邪悪な考え方が はびこり、欲望が深まり、何よりも、人間の資質(ししつ)が衰(おとろ)えてしまっている。
そして、その修行に行(ゆ)き詰(づ)まって悲しむ者、報(むく)われない修行に苦しむ者の姿を道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は ご覧になられて、
「修行者達を なんとかして 助け遂(と)げたい」という菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)された。

 ↓

〈 言葉の意味 〉
「万善(まんぜん)の自力(じりき)」
 仏道を成(な)し遂(と)げるために、自分の力を信じて さまざまな修行を実践(じっせん)する「聖道門(しょうどうもん)」のこと。
 人それぞれ 能力も 性格も、いろいろ と 違い があるので、善(ぜん)も いろいろ になり、行(ぎょう)も いろいろ になる(諸善万行(しょぜんまんぎょう))。
 「聖道門」は、「人間 から 仏(ぶつ)に成(な)る道」。人間 それぞれ 能力が違うので、それぞれが、自分の能力に合った 善(よ)い行(おこな)い をし、修行をしていた。

ー2-


「勤修(ごんしゅ)」‐仏道を勤(つと)め修(おさ)めること。
「貶(へん)す」‐退(しりぞ)ける。

 ↓

万善(まんぜん)の自力(じりき)、勤修(ごんしゅ)を貶(へん)す
〈 意訳 〉
道綽禅師は、
「「聖道門(しょうどうもん)‐それぞれが、自分の能力に合った 善(よ)い行(おこな)い をし、修行をする」
 そのような仏道を勤(つと)め励(はげ)むことは誤(あやま)りである。」
と、聖道門(しょうどうもん)の教え を 退(しりぞ)けられた。

 ↓

『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』親鸞聖人 著
「随縁(ずいえん)雑善(ぞうぜん)恐難生(くなんしょう)」という言葉の意味は、次のとおりである。
「随縁(ずいえん)」というのは、衆生が それぞれの縁に随(したが)い、それぞれの心のままに、自分から修(おさ)める さまざまな善行(ぜんぎょう)の功徳 を、極楽に生まれるための功徳 に転換(てんかん)し、浄土へ生まれる種(たね) にしようとすることである。つまり、それは 八万四千の法門(ほうもん)のことである。これらは すべて、有限(ゆうげん)なる自分の力を頼(たよ)りとする、自力の善(ぜん)を勧(すす)めるものである。それゆえに、真実の浄土 には生まれない と 阿弥陀様は選(えら)び捨(す)てられるから、「恐難生(くなんしょう)」というのである。「恐(く)」は、おそれる ということである。
真実の浄土には、諸々(もろもろ)の善(ぜん)、自力の善行(ぜんぎょう)を もってしては、生まれない。
それにもかかわらず、自力の善(ぜん)で生まれる など という考え が 起こることを恐れるのである。もし、自力の善(ぜん) で 浄土へ生まれることができたら、純粋な浄土 は自力の人間の世界 になってしまい、浄土が浄土では なくなってしまう。
私達は、浄土以外に、助かる場所はないのに、浄土が無くなる というのは、恐ろしいことである。
「難生(なんしょう)」とは、生まれることができない ということである。

 ↓

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善い とされる さまざまな自力の修行 を 退(しりぞ)けられた道綽禅師は、
「円満(えんまん)の徳号(とくごう)」を専(もっぱ)ら称(とな)えることを、人々にも勧(すす)められた。

 ↓

「円満(えんまん)の徳号(とくごう)」‐すぐれた功徳が完璧に そなわった名号「南無阿弥陀仏」。

 ↓

「功徳」という言葉は、一般的には、善(よ)い行(おこな)いによって生(しょう)ずる善い結果のこと をいうが、浄土真宗では、
「阿弥陀様が善い原因を お作りになって、それによって生ずる善い結果が私達に振り向けられている」ということを「功徳」という。

 ↓

「阿弥陀様の功徳としての名号 が、なぜ「円満」なのか」というと、私達の思いによって称える名号 ではない から。
私達の思い によって称える「南無阿弥陀仏」であれば、そこには、どうしても、私達 凡夫の都合が入(い)り混(ま)じるので、偏(かたよ)りがあって、欠(か)けるところが出てくる。 
「南無阿弥陀仏」という名号は、「本願力‐他力の働き」によって、私達に回向(振り向ける)されている。
阿弥陀様の願い として 施(ほどこ)されている名号 なので、円満 といえる。

 ↓

万善(まんぜん)の自力(じりき)、勤修(ごんしゅ)を貶(へん)す。円満(えんまん)の徳号(とくごう)、専称(せんしょう)を勧(すす)む。

〈 意訳 〉
道綽禅師は、
「「聖道門(しょうどうもん)‐それぞれが、自分の能力に合った 善(よ)い行(おこな)い をし、修行をする」
そのような仏道を勤(つと)め励(はげ)むことは誤(あやま)りである。」と 退(しりぞ)けられ、すぐれた功徳 が 完璧に そなわった名号「南無阿弥陀仏」を専(もっぱ)ら称(とな)えることを、人々にも勧(すす)められた。

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 ↓
『安楽集(あんらくしゅう)』道綽禅師(どうしゃくぜんじ) 著(ちょ)
『観仏三昧経(かんぶつさんまいきょう)』に云(い)われている。
(お釈迦様は、悟りを開かれた後、しばらくして、生まれ故郷のカピラ城へ 一度 お帰りになられた。その時に、父の浄飯王(じょうぼんおう)が「仏法とは どういうものか、教えてほしい」と尋ねられた。
 すると、お釈迦様は、父王(ふおう)に「念仏をしなさい」と勧(すす)められた。
 ところが 父王(ふおう)は、それでは物足(ものた)りない感じ がしたので、もう一度 尋ねられた。)
「父王(ふおう)は、お釈迦様に尋ねられた。
「あなたは、最高の悟りである「真如実相(しんにょじっそう)・第一義空(だいいちぎくう)」を身に付けて仏(ぶつ)に成(な)られた と うかがっておりますが、どうして私に そのことを教えてくださらないのですか。」
お釈迦様は父王(ふおう)に告(つ)げられた。
「諸仏(しょぶつ)の悟られた徳 は 量(はか)りがたい深い境地であり、また そのことによって一切の束縛(そくばく)から解放されておられる。
そのような悟り は、確かにあるのだけれども、これは到底凡夫の行(ぎょう)じうるような境地ではなく、凡夫の手の届くものではありません。
それゆえ、父王(ふおう)に念仏三昧(ねんぶつざんまい)を行(ぎょう)ずることを お勧(すす)めしたのです。」

 ↓

「凡夫の助かる道は念仏しかない」と、『観仏三昧経(かんぶつさんまいきょう)』で お釈迦様は はっきりと言っておられる。
そこを道綽禅師は『安楽集』に引いて、「私達の助かる道は念仏しかない」ということを はっきりとされた。
それが「万善(まんぜん)の自力(じりき)、勤修(ごんしゅ)を貶(へん)す。円満(えんまん)の徳号(とくごう)、専称(せんしょう)を勧(すす)む。」という一句のお心。
(『安楽集』は、「念仏以外に助かる道はない」ということを明らかに証明してくださっている ご書物。)

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 ↓

ご自身に とても厳しい眼を向けられた道綽禅師 の 教え を、同じように ご自分に厳しい眼を向けられた親鸞聖人 が、感銘深く讃嘆(さんだん)しておられる お言葉。そして、「この教えの通りに、愚(おろ)かで誤(あやま)った「計(はか)らい」から離れて、阿弥陀様が願ってくださっていることに、素直に 従(したが)うように。」
と教えて、勧(すす)めてくださっている。

 ↓

「浄土門(じょうどもん)」
 この世では悟(さと)りを開くこと は できないが、「阿弥陀様 の ご本願」によって お浄土に生まれて、悟(さと)りを開く道。
 「煩悩に覆(おお)われて、自分の力では浄土に往生する原因を作れない凡夫」のために、阿弥陀様が施(ほどこ)し 与えてくださっている「南無阿弥陀仏」を、そのまま 受け取り、称えることで、今ある姿のまま で、お浄土に往生させていただける教え。

 ↓

道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は、修行に行(ゆ)き詰(づ)まって悲しむ者、報(むく)われない修行に苦しむ者の姿を
ご覧になられて、
「修行者達を なんとかして 助け遂(と)げたい」
という菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)され、「聖道(しょうどう)・浄土二門(にもん)の決判(けっぱん)」をしてくださった。
親鸞聖人は、新潟や関東で出会われた ただ 毎日の日暮(ひぐ)らしに追われるようにして生きている田舎の人々 のために、
「浄土真宗は、「大乗(だいじょう)無上(むじょう)の法‐誰でもが、真実に出会い救われていく この上なく勝(すぐ)れた教え」である。」
ということを 苦労して、明らかにしてくださっている。

 ↓ 平成三十年 九月の「大乗(だいじょう)無上法(むじょうほう)」で 見ました

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『末燈鈔(まっとうしょう)』親鸞聖人 著
浄土真宗 は 大乗の なか の 至極(しごく) なり。
浄土の真実の教え は、大乗仏教の中で、もう これ以上の教え は ない、唯一 究極の教えです。

 ↓

「田舎の人々」
 社会において、最底辺として位置づけられ、最も貧しく、人間として扱ってもらえないような所で生きていた人々。

 ↓

「猟師(りょうし)」‐生き物を殺し さばいて、物物(ぶつぶつ)交換で、米や野菜を もらい 生活をしていた人々。

「商人(しょうにん)」‐小さな商(あきな)い で、物物交換のようなことをして、生活をしていた人々。

「農民」‐自分の土地を持っているのではなくて、領主の土地を耕(たがや)して、収穫の ほとんど が 年貢として搾取(さくしゅ)されてしまう人々。

 ↓
親鸞聖人は、三十五才までは、貴族や武士・僧侶などの上流階級の人々に、主(おも)に教え を説(と)いておられた。しかし、三十五才の時、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)から「専修念仏停止(せんじゅねんぶつちょうじ)の院宣(いんぜん)(天皇の詔勅(しょうちょく)に相当する公文書)」が くだり、流罪(るざい)となり、京都を離れて、新潟や関東に住むことになった。そして、そこで出会った田舎の人々 に、法然上人から聞いた教え を伝えていかれた。すると、教え を 聞いた人々が、金色(こんじき)に輝くように、生き生きと生活を送るようになっていき、親鸞聖人は 大変 驚(おどろ)かれた。
(上流階級の人々には、そのような変化が現(あらわ)れなかった。)
「田舎の人々が ただ「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、お念仏を称えて、明るく、理不尽な環境の中で、貧しい生活を強(し)いられ、汗水(あせみず)流(なが)しながら、生きている。
「この姿」こそが お釈迦様が本当に伝えたかった仏教「大乗仏教の なか の 至極(しごく)」の姿なんだ。
 このことを、明らかにし、後世(こうせい)に伝えていかなくてはならない!」
という使命と責任を感じられて、七高僧の教え を しっかりと整理して見ていかれた。

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〈 言葉の意味 〉
「三不三信(さんぷさんしん)の誨(おしえ)」

 ↓

七高僧 第二祖 天親(てんじん)菩薩が『浄土論』の初めに
「世尊(せそん)我(が)一心(いっしん) 帰命尽(じん)十方 無碍光如来 願生(がんしょう)安楽国
 (私は、お釈迦様の教え に したがって、一心に、阿弥陀様に帰命して、極楽浄土に生まれることを願います。)」
と、遠い昔(むかし)に亡くなられた お釈迦様 に向かって、強い決意(けつい)を表明されている。
ここに述べられた「一心に」とは、「他の何ものをも混(ま)じり合(あ)わせないで、ただ ひたすらに阿弥陀様に帰依(きえ)する」という、深い 他力の信心 が言い表されたお言葉だった。

 ↓

七高僧 第三祖 曇鸞大師(どんらんだいし)は、この「一心」について『浄土論註(ちゅう)』で
「天親菩薩の「一心」に対して、「凡夫の信心」というのは、「不淳(ふじゅん)の信心」「不一(ふいつ)の信心」「不相続(ふそうぞく)の信心」の「三不信(さんふしん)」である。」
と解説された。

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『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』信巻(しんのまき) 親鸞聖人 著
(『浄土論註(ちゅう)』曇鸞大師(どんらんだいし) 著(ちょ) に このように いわれている。)
 七高僧 第二祖 天親菩薩は、
「阿弥陀様の名号を いただくならば、衆生のすべての無明(むみょう)の闇(やみ)を破(やぶ)り、迷いの心が晴(は)れて、衆生のすべての願い を、心 を、満たしてくださる。」
と いわれている。
 しかし、口(くち)に名号を称(とな)え、心に念(ねん)じているが、相変(あいか)わらず無明(むみょう)があって、迷いの心 は 破(やぶ)れず、願い や 心 が 少しも満たされてこない。
これは どういうわけなのだろうか。

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 それは、教えの真実 や 道理にかなっている 行(ぎょう) を修(おさ)めず、名号 の いわれ に相応(ふさわ)しくないからである。つまりは、お念仏 に 問題 があるのではなく、私達 の お念仏をいただく 心 に 問題があるのだ。
 まず、阿弥陀様が真如(しんにょ)実相(じっそう)(最高の悟り)を悟られた 自利(じり)(自分を救う)成就の仏(ぶつ) である と共(とも)に、そのままが衆生を お救いくださる利他(りた)(他者を救う)成就の仏(ぶつ)である ことを知らないから、心が満たされないのである。
 次に、本願に対して、三つの相応(ふさわ)しくない信(しん) がある。
一つには、 信(しん)が淳(あつ)くなく、自分の根性が混(ま)じり、純粋でなく、有るようにも見えるけれども、実は 無いに等(ひと)しい信(しん)である(不淳(ふじゅん)の信心)。
(淳(じゅん)の字は、あつく飾(かざ)り気(け)のないこと。諄(じゅん)の字は、至極(しごく)ということであり、 また まごころの こもった懇切(こんせつ)な ありさま であって、淳(じゅん)の字 と同じである)二つには、信(しん)が一つでなく、自力の計(はか)らい が 入(い)り混(ま)ざり、徹底(てってい)していない信(しん)である(不一(ふいつ)の信心)。
三つには、信(しん)が続かず、疑(うたが)いの心が 混(ま)じる信(しん)である(不相続(ふそうぞく)の信心)。
この三つ は 互いに関連しあっている。
「信(しん)が淳(あつ)くない」から「決定(けつじょう)の信(しん)がない」。「決定(けつじょう)の信(しん)がない」から「信(しん)が続かない」。また、「信(しん)が続かない」から「決定(けつじょう)の信(しん)が得(え)られない」。
「決定(けつじょう)の信(しん)が得(え)られない」から「信(しん)が淳(あつ)くない」のである。
 そして、これらの信(しん) と 異なっていること を、教えの真実 や 道理にかなっている 行(ぎょう) を修(おさ)め、本願に相応(ふさわ)しい というのである。
だから、天親菩薩は、『浄土論』の初めに「我(が)一心」と言われたのである。

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ある時は「お念仏が大事だ!」と思うが、しばらくすると「やはり 娑婆(しゃば)が大事だ」「やはり お金も大事だ」というように、私達の心の中 で、いろいろのものが混(ま)ざってくる。「三不信(さんふしん)」の代表は、「不淳(ふじゅん)‐人間の心は、純粋ではない。自分の根性が混(ま)じってくる」ということ。

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道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は、『安楽集(あんらくしゅう)』の中で、
「曇鸞大師(どんらんだいし)が述べられた「三不信(さんふしん)」は「自力の信心」のことで、それに対して、他力の信心は、純粋で混(ま)じるものがなく(淳心(じゅんしん))、二心(ふたごころ)がなくて散乱(さんらん)することもなく(一心(いっしん))、一貫(いっかん)して持続する(相続心(そうぞくしん))「三信(さんしん)」である。」
と、詳しく丁寧(ていねい)に教えてくださっている。

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『蓮如上人御一代記(ごいちだいき)聞書(ききがき)』第六四条
『衆生を しつらい たまう』という言葉があるが、『しつらう』というのは、衆生の浅(あさ)ましい心を そのまま に しておいて、そこへ阿弥陀様の清浄(しょうじょう)真実のよき お心を お加(くわ)えになり、浅(あさ)ましい心 を よき心へと転(てん)じ かえてくださることである。
衆生の濁(けが)れた浅(あさ)ましい心 を 丸ごと 取り除いて、そこに、阿弥陀様の お智慧 を入れて、全く別のもの を お作りになられる ことではないのである。

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私達は、お念仏をいただく と、「なにか ちょっと根性が変わる」「ちょっと 心がけ が良くなる」とか思いますが、私の根性は 全然 変わらない。衆生の心 を取り替えて、仏様の心 に作り直す、ということではない。
私の本当に汚(きたな)い根性の ど真ん中 に、阿弥陀様の お心 を植えつけてくださる。
ひとたび この 阿弥陀様の お心 が 私の心の中に宿(やど)れば、その お心 を、二度と失うことは なくなる。
すると、自分の根性 に フラッと引きずられようとした時に、「それは だめだ。待て、その 根性の言うこと を 聞いては いけない」と叱(しか)って、止めてくださる、それが 阿弥陀様の お心。

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だから、「信心」というのは「人間の心ではない」。
人間の心は、淳(あつ)くなく、一つでなく、続かない。
「信心‐阿弥陀様の お心」は、根性に引きずられようとする自分 から、私を守ってくださる。

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『蓮如上人御一代記(ごいちだいき)聞書(ききがき)』第一七四条
(蓮如上人は、年寄(としよ)られて、代(だい)を譲(ゆず)り、当時の山科(やましな)本願寺の南にあった御殿(ごてん)「南殿(なんでん)」に隠居(いんきょ)しておられた。そこへ よく 人々が「蓮如上人の お話 を聞こう」と集まって来ていた。)
山科の南殿(なんでん)に、人々が寄(よ)り集まって来て、仏法についての心(こころ)の持(も)ちよう を
「あなたは どう思っていますか?」
「私は こう思っております。」
「いや、そのように思ってはいけない。このように思わなければいけない。」
と いろいろと沙汰(さた)していたところへ、蓮如上人が お出ましになられ、
「何事(なにごと)を言っているのか。私達の 心がけ で助かるのではないのだぞ。
 どのような気遣(きづか)いも すべて打ち捨てて、ただ一心(いっしん)に阿弥陀様を疑(うたが)うことなく お頼(たの)みする ばかりで、往生は 阿弥陀様の方(ほう)よりお定めくださるのであるぞ。その明白(めいはく)な証拠は 南無阿弥陀仏の名号である。
 これ以上 いったい何を 心配する必要があろうか。
 人間の根性は、どうせ ろくでもないもの なのだから、「こう思ったらいい」「そう思ったら悪い」とか、心の問題をとやかく言う必要はない。
 それは、浄土往生には何(なん)の役(やく)にも立たない。
 そのことを はっきりと わからなくてはならない。」
と仰(おお)せられました。
このように蓮如上人は、ご門徒達が もし 疑問などを申しても、込(こ)み入(い)った 複雑なこと を ただ一言(ひとこと)で、釈然(しゃくぜん)と その疑問を お晴(は)らしになられたということです。

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『高僧和讃』曇鸞讃(どんらんさん) 親鸞聖人 著
三信展転相成す 行者こころをとどむべし
信心あつからざるゆゑに 決定の信なかりけり

決定の信なきゆゑに 念相続せざるなり
念相続せざるゆゑ 決定の信をえざるなり

決定の信をえざるゆゑ 信心不淳とのべたまふ
如実修行相応は 信心ひとつにさだめたり

〈 言葉の意味 〉
三信(さんしん)展転(てんでん)相成(そうじょう)ず
 「三信(さんしん)」とは、淳心(じゅんしん)(純朴(じゅんぼく)で変わらない心)・一心(いっしん)(決定して変わらない心)・相続心(そうぞくしん)(他(た)のことを思わず余(よ)のことに移(うつ)らない心)。
 「展転(てんでん)」の 展(てん) も 転(でん) も 同じ意味で、あちら こちらへと転(てん)じる(移(うつ)り変(か)わる)こと。
 「相成(そうじょう)ず」は、互(たが)いに関連して成立していること。
 三信(さんしん)が あちら こちらへと転(てん)じて、互(たが)いに関連し合って成立している。

念(ねん)相続(そうぞく)せざる‐憶念(おくねん)(いつも心に留(とど)めて忘れない)が持続(じぞく)しない。

信心不淳(ふじゅん)‐信心が純朴(じゅんぼく)でない。

如実(にょじつ)修行相応(そうおう)‐教(おし)えの如(ごと)く信(しん)じる心。

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〈 意訳 〉
(天親菩薩が『浄土論』の初めに「私は一心に」といわれた その理由を述べる。)
淳心(じゅんしん)(純朴(じゅんぼく)で変わらない心)・一心(いっしん)(決定して変わらない心)・相続心(そうぞくしん)(他(た)のことを思わず余(よ)のことに移(うつ)らない心)の「三信(さんしん)」は、互(たが)いに移(うつ)り変(か)わり、関連して信心を成立させている。
だから、浄土へ生まれたい と願う行者(ぎょうじゃ)は、よく心に留(とど)めて、その過(あやま)ちに思いを巡(めぐ)らせなくては ならない。
信じる心 が 純朴(じゅんぼく)でない から 決定して変わらない一心(いっしん) にならない。
決定して変わらない一心(いっしん) でないから、信じる心 が 持続(じぞく)しない。
信じる心 が 持続(じぞく)しないから、決定して変わらない一心(いっしん) を得(え)られない。
決定して変わらない一心(いっしん) を得(え)ていないから、信じる心 が 純朴(じゅんぼく)でない。
本願によって選(えら)ばれた念仏は、一心(いっしん)(決定して変わらない信心)が要(かなめ)となる。

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