2014年 3月号 年とるにつれ 弱るにつれ 尽きぬ命が 私の底から湧いているのを いつしか 拝むようになり

⦅榎本栄一⦆『難度海』より

 弥生3月となりました。先月10日から数日間、鹿児島市の同朋寺さんという南礪市福光の嫁兼ご出身の方が建立されたお寺にお邪魔しました。玄関前の梅が満開で枝には鶯が来ておりました。富山の梅はいつ咲くのでしょうか。今月初めの週間天気予報を見ますと6日から雪だるまがまだ並んでおります。

 「今月の言葉」は榎本栄一さんの 『-念仏のうた- 難度海』樹心社からいただいております。
榎本さんはご存じの方が多いと思いますが、大阪で小さな化粧品店を営なみながら念仏のよろこびを詩にしてこられました。しかし、大資本の前に閉店をやむなくされるというご苦労の人生を歩まれました。米沢英雄先生は「榎本さんは実に念仏を生きる人である」(同書 序)と端的に語っておられます。明治36年10月、淡路島に生まれ。平成10年10月12日、94歳で亡くなられました。『難度海』 『光明土』『常照我』『無辺光』『尽十方』『無上仏』(樹心社)。『群生海』『煩悩林』(難波別院)。とたくさんの詩集があります。

 今日の日本に「老人問題」という言葉があります。いったい何が問題なのでしょうか?行政が言うのは老人医療費・介護費用が莫大である。年金の支払額が巨額であるというものでしょう。これは本当の老人問題では無いと思います。長生きしたがために現実に迎えてしまった「老い」という身には若いときに予想もしていなかった身体の不自由さ、家族との人間関係のもつれなどの悲しさや苦しさ、むなしさが出てきます。それを行政が解決できるものなのでしょうか。もっと申しますと死なねばならない日が刻々と近づいてくるのです。そんな中でデイ・サービスに通うことで老いの問題は克服されるのでしょうか。仏教では「老苦」と説かれています。お釈迦様は人間が例外なく味わう人生の苦しみを「四苦」と説かれました。諸科学、なかでも医学の発達と経済の発展などで長寿社会が生まれましたが、それは老人の数が増えるということにほかありません。これを人口構成として見れば生産にたずさわることの無い部分が多くなっているのです。すると行政関係者や政治家という連中が問題だ!問題だ!年金を引き下げろ。老人の医療費負担を上げろ!言いますが彼らは、どうも自分がやがて老人になるべき身であるという事実に気づく知恵を持っていないようです。そんな社会の風潮の中で生まれているのが老人の寺離れです。
 あるところで、こんなことを言いましたら「流行っている寺もある」と反論してきた人がいましたが、流行っているのは煩悩を満足させますということを言うからであって、真宗のお寺では煩悩を満足させることはいたしません。つまり仏様の教えによってわが身が煩悩の身であることの事実に目覚めようというのが真宗のお寺の役割ですと答えました。もう一度巻頭の榎本さんの詩をよく味わっていただきたいと思います。『無量寿』「年とるにつれ 弱るにつれ つきせぬいのちが 私の底からわいているのを いつしか拝むように拝むようになり」とあります。「年をとる」ことに伴って必然的に「弱る」ことが人間の姿ですが、それが決して情けない私になっていくのでは無いのだ。「私の底からわいている」「尽きぬいのち」を拝むことができるという身に育てていただき、そのような世界に目を開いていただいていたという悦びを詠っておられるのでしょう。榎本さんが出遇われたような世界は欲しくない。歌ってゲームして入浴するのが私の大事な一日なのだという思いが全国に広まってしまったのが現在の日本ではないでしょうか。