2014年 8月号 生老病死に逼悩せられ、愚痴の心は冥から冥へ、苦悩より苦悩へと迷い趣きます。

⦅正親含英⦆

 冷夏予報とは裏腹に猛暑の夏になっております。熱中症に気をつけなければなりません。高齢者には、あまり水を飲んではいけないという昔の健康法の思い込みが残っていて、水分を十分に摂るということに無意識に抵抗してしまう傾向があるように思えます。テレビニュースで水泳をしていて熱中症になったということが報じられて、どうしてそうなるのか解らなかったのですが、水中では汗をかかないからなのだそうです。人間の身体というのは不思議です。

 6月にはなぜか90歳を越えた何人かの方にお話を聞かせていただく機会に恵まれました。
 あるお寺で話し終えて帰ろうとして車のところに行きましたら、ニコニコしながらお爺さんが近寄ってこられました。「今日はありがとう。来年はもう会えんけど・・」と話しかけてこられました。暑い中を補聴器を付けられて身を乗り出すようにして聞いてくださっているお姿が心に残っていた方でした。夜の部が終わった後に御住職にこんな事を言われる方にお会いしたけれどとお伝えすると、「実はあの方は癌なんです。病院で告知されて私の所そのことを言いに来られたときも、ごく自然な表情で「おらガンやった」と言われて、こちらがあわてました。あのかたは94歳です」と教えてくれました。そのとき真宗門徒に伝えられてきた「お育て」という言葉がうかんできました。

 また、別のお寺で午前中の話を終えて、休ませてもらっていると、お婆さんが「先生おるかー」と入ってこられました。90歳ですが元気にあちらこちらのお寺にお参りしておられる方です。3年間お爺さんの介護をされました。しかし、3年間の老老介護が大変だったという愚痴は最後まで出てきませんでした。3年の介護を通して「じいちゃんは、お前も必ずこうなるぞと教えてくれたんや。また、お前ちゅうもんは、こうゆうもんやぞと教えていってくれた」とそれだけを言われてさっさと戻って行かれました。

 また、聞法ということと全く無縁な生活をしてこられた91歳のお爺さんから「戦争で生き残って日本に戻って来れた戦友もほとんど死んでしまった。学校時代の友達もわずかになった。近所にいる友達にも会いにも行けない(お互いに足が衰えている)電話しても話が通じない。(お互いに耳が不自由)家族との対話もなく家の中でも孤独だ・・・」と寂しさを聞かされました。

 いろいろの老いの姿があります。今月の言葉は正親(おおぎ)含英(がんえい)先生の『業道自然』50p昭和11年法蔵館からです。『華厳経』の「入法界品」39-3善財童子が文殊師利菩薩の教えを受けるところの経文を正親先生のご自身の言葉として表現してくださったものです。
 「生老病死に逼悩(ひつのう)せられ、愚痴の心は冥(やみ)から冥へ、苦悩より苦悩へと迷い趣(おもむ)きます」とは「逼悩(ひつのう)」とはせまり悩ます。という意味です。老病死の苦に逼(せま)られて私たちの心は冥(くら)さに覆(おお)われ、その冥さはさらに冥さを深め、悩みはますます悩みを深めて迷いの世界は深まっていくのです。それが私たちの凡夫の一生の姿なのでしょう。しかし、老は自分の身体がもはや自分の思い通りにならないという現実ですが、そのことは大切な気付きを私たちに与えてくれるものでもあります。老病死する人生ということが悩みになるとき、それは人生を問い直すチャンスでもあるのでしょう。