2015年 8月号 信なければ我になりて、詞もあらく、諍いも必ず出来するなり。

『蓮如上人御一代記聞書293条』より

 今年の夏は例年になく厳しく、8月に入ってから連日35度を超える猛暑日になっております。地球温暖化ということをしみじみ実感させられております。人間は地球に住まわせてもらっているという観点を失って自分たちの欲望のままに地球環境を汚しまくってきたことの積み重ねがこのような結果になってきたのではないでしょうか。かって、この問題を地球全体で取り組もうとした「京都議定書」にアメリカも中国も、ソ連も参加していません。経済という人間を盲目にしてしまうものに憑(とりつ)かれてしまっている大国のエゴがますます地球環境を悪化させていきます。

 まず、「今月の言葉」の全文を味わってみましょう。「信をえたらば、同行(どうぎょう)にあらく物を申すまじきなり。心、和(やわ)らぐべきなり。蝕光柔軟(そっこうにゅうなん)の願あり。また、信(しん)なければ、我(が)になりて、詞(ことば)もあらく、諍(あらそ)いも必ず出来(しゅつたい)するなり。あさまし、あさまし。能(よ)く能く、こころうべしと云々」(大谷派真宗聖典910p法蔵館真宗聖典924p)

 これを、現在の言葉になおしてみましょう。「仏様の教えに目覚めることができたならば、同行(どうぎょう)の方たちに荒い言葉使いでものを言うこともなくなるであろう。心も穏やかになるであろう。蝕光柔軟(そっこうにゅうなん)の願(第33願)があります。その願には「私の光明を受けて、光に触れたものは、その心身が柔軟に、心おだやかになると誓われている。また信心がないならば我(が)の心ばかりになるので、言葉も自然に荒くなり必ず言い争いがおこってしまう。まことにあさましいことである」となるでしょう。

 ここ数年の我が国と韓国、中国との関係は首脳会談さえ開くことができないほどの、ひどい関係になっています。そして安倍政権は中国からの侵攻を想定して国家安全保証関係の法律の変更を衆議院で強行採決してしまいました。そこにあるのは、我に立った、まさに不信の目だけです。少し冷静になって考えてみましょう。ちょうど私たちの年齢で中国残留孤児と呼ばれる人たちがおります。昭和20年の終戦時に何らかの事由で日本に帰国することができず、中国に置き去りにされた人たちです。ところが敵国人である日本人の子供であるにも関わらず、その幼い子供を育てあげてくれた沢山の中国の人がいてくれたのです。憎しみや恨みを超えて幼い子供を抱き上げずにはいられなかった心があったのです。
 蓮如上人の言われる通りだと思いませんか。「信なければ我になりて」なのです。「言葉が荒くなるだけでなく」なんと兵器を使う準備をしなくてはならないという方向に走ってしまいました。戦争はしてはいけないのだと70年前に日本人は学びました。ところが深く自らを省みることができず支持率40パーセントに過ぎないのだと気づかずに暴走していこうとしています。そして次の戦争は決して局地戦ではないのだという発想すら持たないようです。我にとらわれた姿にほかありません。