曽我量深『歎異抄聴記』297p
雪なしの元日を喜びながら、なにか不安を感じていたのですが、こんなことになりました。1月22日から大分県の臼杵市に行っていました。24日中には富山に帰り着かねばならない予定でした。ところが23日の予定を終えて、夕方には大分駅まで出て翌日(24日)早朝の大分発の特急に乗る計画でした。しかし24日はJR九州のダイヤは大雪のために乱れに乱れてしまいました。山陽新幹線になんとか乗り継ぎ、新大阪泊と諦めていたサンダーバードが夕方には動き始めて、ラッキーと乗ったものの今度は福井と金沢間が猛吹雪で突然の停車と徐行を繰り返し、金沢駅着は23時をまわってしまいました。これはだめだと小松あたりで動かない車内からパソコンで金沢駅構内のホテルを予約してなんとか宿泊。翌朝の北陸新幹線は動いていたものの城端線は乱れており。家にたどり着いたのは大分駅を出てなんと27時間後の11時でした。25日の定例をやむを得ず中止しましたがこのようなことは初めての経験でした。
今月の言葉は『曽我量深選集』第6巻‐『歎異抄聴記』‐297pからです。この本は学生時代、院生のときから読ませていただきましたが、70歳を越えてみると、若い頃には読み切れていなかった部分が、今ようやく「なるほど」と読めるということに気づきました。長生きのおかげさまです。
私たちも高齢者なるものになりますと、自分が思い描いていた人生が思い通りには進まないものであることに気がつきます。足も腰も肩もこわばり、スムーズに動いてくれません。老いの悲しさですが、人生の中に悲しさが無かったとき、人間はどうなるのだろうかと思ってしまいます。悲しさが人間を正気にさせるのではないかと感じるのです。『観無量寿経』の中で韋提希夫人は号泣しながら身を大地に投げ出して「やや、願わくは世尊、我が為に広く憂悩なき処を説きたまえ」と心の中に初めて生じてきた新たな願いを告白します。これまで聞いてきた釈尊の説法は王妃としてであり、人間の苦しみ、悲しみの中からもだえるようにして求めたものでは無かったのです。韋提希夫人の口から出てきたのは「世尊、我、むかし(宿)何の罪ありてか、この悪子を生ずる」大谷派真宗聖典92pという言葉でした。王妃という立場をもってしてもどうすることもできない人生の現実にぶつかったのです。この自分の人生でありながら、自分自身ではどうしてみようのない事実を「宿業」というのではないでしょうか。
曽我先生は「宿業は人間の力ではどうすることも出来ぬ、これは全く如来の知ろしめす所であって、そこに仏の本願が開ける」「故に我々は宿業を知らしめて頂く所に仏の本願の始めがある。宿業を知ることが仏の本願の始めを知ることである」(『聴記305p』)と語っておられます。私たちは思うようにならない世界にもだえていますが、その世界があったからこそ南無阿弥陀仏と合掌できる身にしていただけたのでしょうね。