榎本栄一 「いのち萌えいずるままに」柏樹社より
2019年という年を迎えました。私が うまれたのは1942年ですから 苦手の計算をしてみるまでもなく、自分でも呆れるほどの年齢になりました。77歳を喜寿と申します が、「何を喜べば良いのか」と考えさせられます。これは、「喜」の字の草書体の「㐂」が、七十七に見えるところから来ているようです。しかし、その身の事実は 耳は聞こえず、目は見えず、聞いたことも、読んだことも記憶に止まらず、足は痛む、腰は痛む、歯も痛む など が 現実であります。とすると、まだ死ななかった ということだけが めでたいことなのか と、フト疑問になるのであります。
日本人には初詣という習慣があります。しかし、どれだけ無病息災、家内安全、商売繁盛を祈ってみても、私たちの命の事実は老病死するのです。昨年は親しかった人が何人も亡くなりました。先に逝かれた方が「77年という年齢は残り時間の少ないことなのだぞ」 と呼びかけてまいります。本当の我が身の事実に気づけ ということでしょう。しかし、このような 命の事実 を直視することに耐えられずに、目をそらすことばかりの日暮らしをしているのが 今日の日本という国民のありよう では無いか と感じせられています。
あるがんの専門医が 自分が患者側になって、ようやく気づいたことがあった と書かれた本に、このような言葉があります。「その一つが、人が亡くなるときに伴う闇に降りていく感覚である。がんになって、いざ死んでいくことを考えたとき、闇の方にどうやって降りていけばいいのか、その道しるべがないことに気づいた」「いざ自分が がん患者になってみると、どのように闇におりていけばいいのか、その道しるべがまったくないことに愕然としたのである。」「死の世界に降りていく斜面は、くろぐろとした闇に包まれ、道しるべ が ひとつもないのだ。いよいよ分かれ道まで来たというのに、闇におりていく道しるべ がないというのは、死に逝く人にとって こんなにつらいことはない。」そして「「やはり死への道しるべは、過去の宗教的な智恵や経験の積み重ねしか示せないのだと思う」(「看取り先生の遺言」奥野修司‐文春文庫‐51p~52p ㊟ 遺言とは岡部健医師の言葉)この岡部医師の指摘をもとに東北大学では宗教者と医師との協力ということが始まっています。
私たちが 生きる というとき、見たくない世界があります。見ようとしない といってもいいでしょう。その、私たちが目をそらそうとしている世界を見せてくれるのが 光のはたらき です。岡部医師の言葉で言えば「闇に包まれ、道しるべ が ひとつもない」道に立っていることを知らせてくれるのは闇に対して光なのでしょう。ところが、光なしで自分の眼で自分を見ることが出来るという勘違いをしており、それを「自覚」だと思っています。
榎本栄一さんは東大阪の市場で化粧品店を営みながら聞法され、何冊もの詩集を出されました。巻頭の言葉の後半を紹介します。「自分の煩悩を見るといっても、照らす光がなければ見えません。悲しいかな、私の煩悩は光がなかったら見えないのです。そのお光りを仏法の話を通して頂いていたのでしょう。」(108p) 現在の日本社会で生きている私たちは、光の無いままで 闇の中で ものを見ようとしているのではないでしょうか。それは仏法を聞いたことの無いまま、聞かなくてもわかったつもりになっているという傲慢(ごうまん)さです。闇を闇とも気づかないまま、闇の中にいる身に目覚めることができないままの姿です。