『無量寿経』本願の第一願
今年の梅は いつ咲くのだろうか?と思っていた三月でしたが中旬から春の気配が漂い始めて やや遅れ気味ですが開花が はじまりました。太陽の力は凄いですね。
いま世界中がロシアという大国が、というより蛇のような冷たい目をしたプーチンという一人の男がウクライナで行っている暴挙に憤りを感じています。
蛇たちに失礼な譬えをしているなと反省させられますが、あの冷たい目をみていますと蛇でも自分の生命維持に必要の無いときには無駄な殺生はしないだろうに彼はウクライナの国民を赤ちゃんから老人まで殺しているだけでなく自国の兵士も殺しています。
当初プーチンはウクライナを戦車で易々と陥落させることができると考えたのでしょうが、1ヶ月かけてもウクライナを制圧できていません。破壊しつくされたキーウや国境沿いの街々の映像を見ると、ここをもとのような街にするためには どれだけの費用と時間が必要なのかと思います。赤ちゃんから老人まで無差別に殺していることになんの痛みを感じない冷たい目と自己正当化の詭弁を聞いていると頭に血が上ってきて彼のために地獄が在ってほしい と思ったりしますが、これは私の報復心、復讐心であるなーとも思うのです。
ウクライナのゼレンスキー大統領夫人がロシア兵の母親たちに呼び掛けたメッセージに心うたれました。「あなたの息子がここでウクライナの民間人を殺している。プーチンは あなたに補償を約束したが、どんな補償が子どもの代わりになるのか分からない」という内容だったと伝えられています。「あなたの子供がウクライナで子供を殺している」という言葉は戦車の中で命令に従って引き金を引いている若者の心を正気に引き戻す力をもっているのでないでしょうか。ロシア兵が故郷の母親に「お母さん、怖い、怖い」と電話してきたことを話す母親の姿を政府によって閉鎖される前のロシアのテレビ通信が伝えていました。
『無量寿経』に説かれる四十八願の第一番目が「たとい我、仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」(無三悪趣の願)真宗聖典p15 です。赤ちゃんのいる病院に向かって大砲やミサイルの引き金を引き、原発に向かって砲弾を撃ち込む人間の心の有り様は「地獄・餓鬼・畜生」なのでしょう。それを命令している人間は もはや人で在ることを見失っている存在でしょう。『教行信証』に このような言葉があります。「「慙(ざん)」は人に羞(は)ず、「愧(き)」は天に羞ず。これを「慙愧(ざんき)」と名づく。「無慙愧(むざんき)」は名づけて「人(にん)」とせず、名づけて「畜生」とす。(p258)これは『涅槃経』からの引文です。自らの行動を「慚愧」することを失ったとき 人で在ることも失(うし)なうのだ。というのです。
簡単に言えば「恥ずかしい」というこころの働きを失ったとき人間は物欲と権力欲の虜(とりこ)になってしまうのだ ということを一人の男を通して まざまざと見せられているのでないでしょうか。如来が人間を救おうと思い立たれたとき、真っ先に地獄・餓鬼・畜正の世界に陥らせないと誓われたのは、自らの生きようを顧みることの出来る人間というものに まず引きもどさねばならないことが衆生を救おうとする願いの一番基本にあるのですね。仏様は まず人にしてくださるのです。