2022年 5月号 本当の愚かさというのは、自分がおろかだということも知らない愚かさです。

一楽 真 『親鸞聖人に学ぶ』より 

 ロシアのウクライナへの侵攻が はじまってから この二ヶ月間ズーッと腹をたてつづけているうちに5月になりました。いまも街が破壊され、非戦闘員そのものである赤ん坊や老人が無差別に殺害され続けています。無抵抗の市民を至近距離から銃殺する精神に人間は こんなことも平気でする ということを知らしめられています。ところでロシア国内ではプーチン支持の数字が上がり続けているのだそうです。それは七十パーセントを超す勢いだと言われています。(4月末現在)小学生の女の子がプーチンの前で大統領とロシアを称賛する作文を朗読していました。この子がロシアの軍隊が行ったことの事実を知ったとき、どんな精神状態になるのだろうか と気になりました。限られた情報しか耳にすることができなければ、人間は簡単に自分が求めているように物事を解釈していくのですね。私の国だから正しいことをしている と思いたがる癖が人間の中にあり、何が本当なのか解らないまま自分の都合のよいようにものごとを解釈してしまいます。真実を求めるよりも自分が満足できることを求めるのですね。

 蓮如上人は「人の わろきことは、能く能く みゆるなり。わがみの わろき事は、おぼえざるものなり」(『御一代記聞書』195)言われました。人間というものは「いつでも、そうなのだぞ!」と言っておられるのでしょう。
今月の言葉「私たちの本当の愚かさというのは、自分が愚かだ と言うことも知らない愚かさです」は一楽(いちらく)真(まこと)先生の『親鸞聖人に学ぶ』-真宗入門-東本願寺出版部からです。(現大谷大学学長)

 この言葉の前には「私たちの真面目さ が どれほど危ういか。真面目なつもりで、お互いに苦しめ、傷つけあっていくことになるということです。」p67と 人間のとらわれている真面目さ というものを覆っている闇があることを指摘しておられます。そして「闇というのは先ほどから申し上げていますが、私たちは自分を愚かと思っていないですね。私たちの本当の 愚かさ というのは、自分が愚かだ ということも知らない愚かさです。迷っていることすら気が付かない。そういう深い闇です。」(P68)と言っておられます。この闇を親鸞聖人は「悪性さらに やめがたし こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞ名づけたる」(『愚禿悲嘆述懐』)p508)と述べておられます。「蛇や サソリ」のような恐ろしい こころ、人を傷つけたり殺すことが平気であるような こころ。それが私たちの心の実相なのだ と言っておられるのでしょう。私たちは自分のことは よく見えているつもりです。しかし、
それは あくまでも自分の都合の良いようにしか見ていないのです。物理学者で漱石門下の優れた随筆家でもあった寺田寅彦は「自画像」という作品に「われわれは本当の自分の顔というものは一生知らずに済むのだという気さえした。自分のことは顔さえわからないのだ」と書いています。なんでも わかっているつもりでいますが本当は自分の顔さえ わかっていないのです。そのようなわが身の愚かさに気づくことなく他を裁きつづけているのが私たちなのです。そして、そのことに気づけない暗さなのです。