2023年 2月号 病苦は 人の心を耕す「すき」である。

細川宏 福光出身 東大解剖学教授 故人

 昨年末から大雪警報が何度も出ていましたが今のところ南砺市は十年に一度という大雪には なっていません。八十歳の老人にとっては ありがたいことです。ここ数日は厳しい冷え込みがありましたが雪雲が南砺市を覆う時間が少なかったようです。

 年末から、ある一冊の本を読んでいました。「詩集 病者・花」という本です。柳田邦男の「人間の事実1」という本の中で「病む者の心の揺れ動きや苦悶や忍耐や命の希求を選び抜かれた平易な言葉による珠玉の如き詩で表現したのは、胃ガンのため44歳の若さで逝った東京大学医学部解剖学教授の細川宏氏(1922年生まれ)だった。その遺稿を編纂した『詩集病者・花』(現代社1977年)は、ほとんど芸術作品といって良いほど完成度の高い詩で埋められている」(文春文庫24頁)という一文を目にしてネットの古書店でこの本を求めて読み始めました。本文を読み終えて編集者の「あとがき」を読んで驚きました。細川さんは「富山県福光に生まれた」とあったのです。
『詩集 病者・花』現代社 1977年

 今月の言葉は、その中の「病苦と心」という詩の冒頭の言葉です。全体を紹介します。
  病苦は 人の心を耕す「すき」である  平板にふみ固められた心の土壌を
  病苦は深く ほりおこし  ゆたかな水分と肥料を加えて  
  みずみずしく肥沃(ひよく)な土壌にかえる  「深く」「肥沃(ひよく)に」をモットーとして
  病苦に耕された人の心は  よわよわしく軟らかいが  
  柔軟にしなう強靭さをもっている  そして いろいろのものを生み出すゆたかさと
  謙虚に ものを見、「美しきもの」を讃嘆し  事の真贋を見ぬき
  すなおな喜びと悲しみに感動する  
  深い深い苦痛の中にある  一種清浄な さわやかさ  自然が病苦に与える
  せめてもの代償なのであろうか  (195〜196頁)

 私たち人間は四つの苦しみから逃れることはできない。例外は絶対に無いのだ と仏教では説いていると知っては おります。知っていること と 身についていること は 別です。身の事実を受け取ることができずに この身に老病死を受け取りたくない、出遇いたくない と思っています。ところが老病死に出会ったのは長生きしたからです。長生きを何より望んでいたのですが、「こんなはずではなかった」と愚痴るのです。このような苦の現実を愚痴っているだけ、つまり なげいているだけではなく、その現在を掘り起こす「すき」(鋤)を持つことができなければ 現在の身に問われていることに答えないままで終わります。現在の苦から逃れる道を探すのではなく「耕す道を求めよう」と細川さんは言っておられます。