宇野正一
はやくも六月、水無月(みなづき)になりました。かねてから 梅雨の季節なのに、なぜ「水無月」なのか と不思議に思っておりました。調べてみましたら水無月の「無」は、「の」にあたる連体助詞のなんだそうです。「水の月」という意味なのでした。この時期の雨は稲が実を結ぶために大切なものなのです。米が命をつなぐ大切なものであることを熟知するところから、このような月の呼びかたになっているのでした。
今月の言葉は、宇野正一先生の「樹にきく 花にきく」1983年 柏樹社 刊 からです。大正五年の お生まれで小学校の教員を36年間務められた後に、岡崎女子短期大学で教壇にたたれました。
宇野先生が四歳の時にお母さんは当時流行していた「ドイツ風邪」で亡くなられました。弟さんは二歳だったそうです。(大正九年のことです。)亡くなられる直前に「こんな小さな子を二人も残して死んで行きますけれど、どうか お願いします」とお父さん(文久二年 生)に言われ、お母さんの手を握りながら「お灯明をあげてください」と言われて、枕元に置いてあった お数珠を手にかけられて、お父さんに身体を支えられながらともに「南無阿弥陀仏」と お念仏されたのですが、首が動いた と思ったのがご臨終だったのでした。その後 宇野先生の お父さんは養子さんだったので実家に戻られ、お祖父さん、お祖母さんに育てられたのです。その、おじいさんは「おっかぁに会いたいか?」「おっかさんに会わしてやるから、おつとめ(正信偈)をならえや」と お勤めを教えてくれたのだそうです。
文久二年生まれの お祖父さん、明治元年生まれの お祖母さんに育てられたのですが、ご飯粒をこぼすと「たべものさまには仏がござる。おがんで拾いなされ、おがんでたべなされ」と言われて育てられたのですが、小学校の理科の時間に顕微鏡で いろいろな細胞などを調べることがあったとき、弁当のご飯粒を顕微鏡を使って何処かに仏様がおられないか 調べたそうです。ところが どこにも仏様の姿はなかったのです。夕飯の時に「今日学校で、顕微鏡で ご飯粒を隅から隅まで調べたけれど仏さん なんか どこにも居なかった」と お祖父ちゃんに告げたところ、真っ赤になって「この罰当たり」と叱られた。のでした。「たべものに、さまをつけたのは昔、いまはたべものに小言と不平と、”うまいか、まずいか”の評価をつけます。あり余ると、傲慢となり 驕慢となります。」そこには感謝だの、いのちの親だの みほとけさまだの、如来さまの大慈悲など微塵も みえはしないのです。」(p99)と書いておられます。
先に、おつとめをお祖父さんに仕込まれた事を引用しましたが、今月の言葉に引用した詩の後に「祖父は、おつとめをしこんでくれました。意味は わからなくても、口でよめるようになりました。少し大きくなるとマンネリズムになりました。おとなになると、更にマンネリズム化が進み、素通りの特急になりました。がある時、この詩をあるご院に おみせしましたら、「在家は忙しいでのう」といわれ、私は ふと(悪意ではなく)「ご院さんは何時間ぐらい?」「ええ?・・・・・ああ、わしは、とんでもない事をいったのう ゆるしてくだされや」と両手をついて泣かれました。私も ご院さんと両手を握り合って泣きました。ごめんなさい でありました。(P55) 宇野先生の言葉を読んでいますと「智慧の光明はかりなし」の御和讃がうかんでまいりますね。