2024年 2月号 人間は、いつまでも元気に長生きできれば、それでよいというものなのでしょうか。

池田晶子 『死とはなにか』89p毎日新聞社

 2024年の元日の16時06分ごろに携帯が「地震です。地震です。大きな揺れに注意してください。」と鳴りだしました。また能登だな という直感はありましたが、始まった揺れは大きく、長く。富山では経験したことのない規模でした。震源地では震度7だったようです。
 鳥取市の娘の家族が年末から雪が無いから来ておりました。彼女は神戸の大学に在学中に「阪神淡路の大震災」を経験しているのですが、パニックにはならず冷静にしておりました。私は京都でこの地震を経験しております。思えば81年の人生で1948年(昭和23年)まだ6歳ですが福井地震を大野市で経験し、その後に2005年福岡県「西方沖地震」に福岡で、2016年(平成28年)の「熊本地震」を鹿児島で経験しております。他人様よりも地震経験は多いと思います。
さて、教願寺は、名は寺ですが立派な伽藍とは無縁です。質素すぎる造りですが、長い大きな揺れに耐えてくれました。幸い南砺市は停電も断水もおこりませんでした。何回もの余震の中で刻々と能登半島の被害状況の報道が更新されるにつれて規模の大きさを知らされ 現地の人たちの恐怖と寒さを思っておりました。

 能登地方の被害の状況は日がたつにつれて明らかになり、規模の大きさがわかって
きております。新しく撮影され、放映される映像は、そこに住んでいる人々から明日とか来月とかに、あれをしよう、あれしたい。というような計画をたてることを奪うような
現実です。

 今月の言葉は哲学者の池田晶子さんの『死とはなにか』毎日新聞社2009年4月刊からです。池田さんは「14歳からの哲学」でよく知られている文筆家で、「考えること」が人生にとって大切なことだと語り続けた人です。1960年生まれで2007年に癌でなくなられました。この本はエッセイ集です。その中の「魂を味わう」と題された一文からです。まず「アンチエイジング(老化防止の医療・美容法)が盛んです」と当時の世相から入っています。「年をとるということはなぜ、さほどまで疎まれ、さけられるべきこととされているのでしょうか。年をとることの何が、人間にとって望ましくいことなのでしょうか。」と問いをたて、つづいて「それなら人は、いつまでも美しく壮健であることによって、いったい何を望んでいるのか」「このことによって望んでいることはじつは何なのか」と問いを重ねた後「おそらくそれは、美しく壮健で
あることによって得られる、この世的な享楽もしくは快楽でありましょう」と指摘しています。しかし、そのことは「快楽を追及する以外に、人はこの生に価値を見出しているものでしょうか。快楽それ自体が生の目的となっているのではないか、そのことを私は疑問に思うのです。人間は、いつまでも元気で長生きできれば それでよいというものなのでしょうか。」と続いています。そして「すくなくとも私は、そのような人生を、空しいものだと感じます。」と指摘し「人間の生は、死を知ることによってのみ、輝くものだからです」と続いています。(88頁~89頁)
お迎えが近い身である事実を見据えることが、わが老年期なのだということをあらためて指摘されたように思いながら読み終えました。