2024年 7月号 師の言葉は、すべての知識を超えた、心の内側にある何かを目覚めさせるものなのです。

アントニー・デ・メロ 「小鳥の歌」より

 今年も前半分が過ぎていきました。7月からは、暑さが本格化してきます。台風がもたらす風と洪水が心配になりますが、たくさんの野菜や果物が実る季節でもあります。過ぎていく今は、未来という世界を開いていくものなのですね。今が大切にならないのはどこか私たちの目に見えていない世界などは、見ようとしていない生き方があるからかと思います。

 今月の言葉は 『小鳥の歌』―東洋の愛と智慧―女子パウロ会 という本からです。
著者のデ・メロさんはインド生まれのイエズス会の司祭だった方で1987年ニューヨーで亡くなっておられます。

 この本の「たんぽぽ」という一章が、いろいろな高校や大学で、私たちの常識的な思考方式つまり考え方を問いなおすテキストとして使用されていることを知りました。その内容は芝生の庭を誇りにしていた人が、そこに、たくさんのタンポポを発見します。知っている限りの方法を用いてタンポポを抜こうとしますが、タンポポは強くて彼を悩ませ続けます。ついに農林省に手紙を書いて「わたしは いま、なにをしたらいいでしょう」と相談します。ほどなく返事がきました。「たんぽぽを愛そう としたらどうですか。」という内容です。その返事が すごいと思いませんか? この一節は、こんな言葉で結ばれています。「もちろん、芝生は荒らされました。しかし、私の庭は、なんと愛らしくなったことでしょう!」と。

 今月の言葉は「神についての質問でいっぱい」の弟子に対して師が答えた言葉として書かれています。この章のタイトルは書名と同じ「小鳥の歌」です。
 「師は言いました。神は〈 知られていない お方 〉また〈 知ることのできない お方 〉だ。お前たちの質問への どんな答えも(真実)をゆがめたものにすぎないのだよ。」(14頁)弟子は途方に暮れ「では なぜ あなたは〈 彼 〉について話して おいでなのですか? と たずねます。師の答えは「なぜ小鳥は歌うのかね?」です。「(小鳥は)歌があるから歌うのです。学者の言葉なら理解できます。師の言葉は、理解するものではありません。それらは、木立を吹く風、せせらぎの音、小鳥の歌に耳を傾けるように聞くものです。師の言葉は、すべての知識を超えた、心の内側にある何かを目覚めさせるものなのです。
(下線筆者)

 私たちの「聞法」ということも 実は 私たちの「すべての知識をこえた、私たちの心の奥にある真実の要求」からなのでしょう。清沢満之先生の言葉で言えば「人心の至奥より出づる至盛の要求」に応えてくれる言葉に出遇いたくて、聞かずに いられない自分自身の深いところからの要求があるからなのではないでしょうか。信心とは そのような要求なのでしょうね。