2024年 8月号 朝露に浄土参りのけいこ哉

小林一茶 (七番日記) 岩波新訂『一茶俳句集』より

 今年、2024年の夏は、「生命に危険をもたらすような暑さ」という、これまで聞いたことのない言葉で表現されるような暑さになっています。雨も「命を守ることを第一として、ただちに避難してください」とテレビが呼びかけるという、経験したことがない豪雨に見舞われています。表現が適当とは思えませんが「地球がオーバーヒートしてしまっている。と感じさせられております。その原因は人間にあるですが、それを受け入れられないのも人間です。

 夏は、お寺や別院で「暁天講座」が開かれます。「暁天」ですから、夜明けのころ、明け方から始められる仏教講座ということになります。5時30分から始められる講座に お招きいただくと、暗いうちに家を出なければならないのでした。しかし、次第に開始時間が遅くなってきている昨今です。日が昇りきらず、冷気が ただよっている中に、お寺に お参りする ということは気持ちのいいものでしょう。朝露の降りている
田舎道を朝参りに でかける一茶さんは「浄土参りの けいこ哉(かな)」と詠(よ)んでいます。浄土参りの けいこを怠ってしまっているのが、昨今の夜更かしに慣れてしまって、朝起きは まるで弱い市民の生活があります。

 一茶の生活の中に真宗の教えが在ったことを思わせられるのが、今月の言葉に選んだ「朝露に浄土参りのけいこ哉」です。一茶は3歳の時に母が亡くなります。8歳の時に継母の さつ が来て10歳の時に異母弟 仙六が生まれ、15歳で江戸に奉公に出ます。39歳の時に父の弥五郎さんが病で倒れ、2か月にわたって村に戻って看病します。

 父は村で篤信の人として知られている人でした。病に倒れる中で「朝夕の看経(かんきん)(読経(どっきょう))おこたることなく勤めたもう」という生活をしておられたのですが、亡くなる数日前に「いざ いかん、いざ いかん」と独り言のように九遍もくりかえした と記されています。「帰去来(いざいなん)、魔境(まきょう)には とどまるべからず」は親鸞聖人が『教行信証』の中で4か所で記されている言葉です。臨終の前日の お父さんを看病する心境の「寝姿の 蠅(はえ) 追(お)ふも けふが かぎり哉」(父の臨終日記)という句があります。

 一茶の信仰への深まりは52歳で28歳の妻を迎え、三男一女をもうけたのですが次々に亡くなってしまいます。とりわけ 長女 さと は2歳で なくなります。
「這(は)へ 笑(わら)へ 二ツになるぞ けさ からは」と詠んでいたのですが「露の世は露の世ながら さりながら」という人生を味わっています。他の句に、「死に支度(したく) 致(いた)せ 致(いた)せ と桜哉」(七番日記)という句があります。人間の生の底には老病死のあることの事実を俳句にしているのですが、これは一茶の人生観の根底には、お父さんや村の人々の暮らしの中に ながれていた浄土真宗の教えが、その人生の深いところに底流となって流れていたからでしょうか。今月は俳句に暗い者が、一茶やその句を取り上げてしまいました。理解の誤りなどは「年寄だからなー」と、お許し願います。