幡谷明 1928-2021
今年は2月中旬から、数年ぶりに大雪になってしまいました。テレビでは大雪警報が繰り返し報じられていました。不要不急の外出はするなと言われても、毎日の病院通いが必要な身ですから、車が走ることができるだろうか?ばかりを心配していました。わが越中は雪国なんだと、忘れていたことをあらためて思い知らされました。それでも屋根雪下ろしをしなくてすんだことは本当にありがたいことでした。しかし、能登は大雪に みまわれている という報道に、地震に加えて 水害に、さらに大雪の被害までも加わるのか と、一か所に集中しておこる自然災害に「どうして能登ばかりが」・・としか頭の中には うかんできません。コロナ以前は私も九州など遠方に でかけていましたが、雪で何度も飛行機や新幹線の不通や車内に何時間も閉じ込められるような経験をしましたが、その都度 何とか なってきましたが、八十の老体の今では自宅に帰ってきたら寝込んでしまうことでしょう。
先日の朝に、「近所のご婦人が亡くなられ、ご主人が「『歎異抄』が読みたいと言っておられるので一冊分けてほしい」と何十年も当寺に通ってくださっているご婦人が来られました。婦人会のテキストとして使用している本山出版部発行のものを、「差し上げてください」と お渡ししました。翌日「喜んでおられましたよ。注がついているので わかりやすい」と言っておられました。という報告と、「家内は どこにいったのだろう」と言っておられる。と つたえてくださいました。その時 なぜか、自然に「奥さんはナムアミダブツになっておられます。と お伝えして」という言葉が出てまいりました。すると、その ご婦人が涙をこぼしながら、「そうなんやね。南無阿弥陀仏なんやね」と つぶやいておられました。
今月の言葉は幡谷明先生の「幡谷明講話集7」『帰るべき世界』39頁 法蔵館 からです。この言葉の すこし前から ご紹介します。「私のうえにお念仏が申されること、それ自体が仏からの たまわりものであった。そして仏は私の 念仏の こえ となって そこに ましまし、生きて はたらいてくださる。念仏が如来ましますことの確かな証明であることが、親鸞聖人の教学として明らかにされていくわけです。」とあります。
幡谷先生は真宗の教えの要(かなめ)である 回向 について ここで述べておられるのです。
先に奥さんに先立たれた ご主人が、残された身の寂しさ、悲しさの中から『歎異抄』を求められ、「どこに行ったのだろう。どこにいるのだろう」と会いたい、知りたい。という気持ちになっておられるのは、仏さまからの呼びかけが聞こえてきた ということでしょう。奥さんは「ここに いますよ。ここに いますよ。如来様(ほとけさま)の おそばですよ。
南無阿弥陀仏という仏さまの はたらきの世界に あなたも目覚めてください」と、ご主人に呼びかけておられるのではないでしょうか。そのような呼びかけを回向というのでしょうね。