『解読教行信証』真仏土巻 40頁 『解読教行信証下巻』 東本願寺
2月は旧暦では如月「きさらぎ」と読みます。「衣更着」とも書いたようです。北陸に住んでおりますと、2月は「寒いので衣をさらに重ねて着る」という表現は実感がともないます。3月までは週に5日間通院するのですが、1月は雪が少なくて助かりました。2月の第1週は大雪になるという予報が出ています。外れてほしいのですがどうなるでしょう。どうにもできないことなのに、どうにか なってほしい という煩悩が おこってきます。
今月の言葉は、親鸞聖人の『教行信証』の「真仏土の巻」からいただいています。
これは現代語訳の方です。原文は「一切衆生は悉(ことごと)く仏性有(あ)れども、煩悩覆おおえるが故(ゆえ)に見ることを得ること能(あた)わずと。」 (真宗聖典 再p361 初p312 )です。
『解読教行信証』は宗祖親鸞聖人の撰述された『教行信証』6巻を前4巻『教行信証』巻を上巻とし『真仏土・化身土』の2巻を下巻として上段に真宗聖典に掲載されている『教行信証』の文を載せ、下段に現代語訳が対応して組まれている本です。他に註や解説がつけられています。
私は、うかうかと生きてまいりましたが、なんと82歳という年齢になっております。82年間も娑婆においていただいているのです。あらためて驚いております。この驚きのもとは 子供のころに お会いした70歳を越えたお年寄りの方々に対して抱いた驚きです。自分が その方たちの年齢を超えた老人になってしまっているのだ ということに気が付いたのです。日本という国は75歳以上の人口が15.5パーセントだということです。老人国です。昨年1月に医師から「ガンですね。生体検査しますから入院してください」と言われてから医療のお世話になっています。この1月から放射線治療という人生の初体験をしています。以前から日本の死亡原因の「2人に1人はガンだ」と聞いてはいたのですが。統計上の言葉ではなく、自分自身の身体を表す言葉に変わりました。医師の説明や検査の結果の写真や数値から知らされたのは、仏教の教えの真実性です。大谷大学に入学してすぐに「仏教入門」という科目で最初に教えられたのは「四苦(しく)」ということでした。人間は老病死していく命を生きるのである ということでしたが、82歳になって「私の命は実に仏教が明らかにしているとおりであった」と あらためて頷(うなず)いたのでした。
「老病死」する身であるということが、わが身であるなら、老病死していくことを納得して受け入れることができなければならないのでしょう。ところが、どこか、そこから目をそらす日々を過ごしているのです。『教行信証』を以前よりは丁寧に読まなければいけないという気持ちが起こってきている昨今ですが、「生きとし生けるものは、みな仏性があるけれども、煩悩が覆っているので見ることができない。」という言葉が、わが身を言い当ててくださっている言葉として 目に飛び込んできたのです。煩悩が覆っている眼だから、仏法の世界から目をそらそうとすることから逃れられないのです。凡夫という事実です。