2025年 4月号 人生は長さのみではない。幅もあれば、深さもある。その長さは個人の一生であり、その幅さは人間の生活であり、その深さは永遠の場である。

金子大栄

 今年の梅や、桜の開花は例年よりも遅くなりました。今年の3月は寒いと思っておりましたら 月末には突然 夏日になり、あわてて薄着になったら 翌日は冬日に逆戻りする ということで、老体には まことに体調維持が むつかしい年です。それでも、数日の暖かさで梅もモクレンも咲き始め、椿も咲き、チューリップも つぼみが膨らみ、水仙が咲いて、枯れた草木ばかりで色のなかった北陸路にも 色が戻ってきました。
 1月と2月は、土日と休日以外は毎日 病院通いをしておりました。大雪の日もありました。それも3月の第1週で終わって、数日間は解放感を味わっていました。 3月中旬の検査では結果がよくて副作用のある薬からも解放された喜びを味わい、今後は月一回の検査に通うだけになりました。早期発見、早期治療の大切さを82歳の老人が、身を以て知らされました。医療の進歩、携(たずさ)わっている人々のご苦労も知ることができました。82年間もの人生を「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とお叱りをいただいたのであります。
 今月の言葉は、よく知られている金子大栄先生のものです。いろいろな本に紹介されていますが、今回は『聞思室日記』続々 (コマ文庫63頁)からいただきました。これまで私自身があちらこちらで 「人生は長さのみではない。幅もあれば、深さもある。」までは ご紹介してまいりました。しかし、その後には次の言葉が つづいていました。
「その長さは個人の一生であり、その幅(ひろ)さは人間の生活であり、その深さは永遠の場である。」があったのですが、私自身が十分にいただくことができていないために お伝えすることができていませんでした。
 私たちは、人生を長さばかりで受け取っているのではないでしょうか。しかし、「深さ も、幅もあるのだぞ」と ご指摘いただきますと、なんと両方とも気づけていないのではないでしょうか。ということは、私たちの人生は薄っぺらで狭い ということになります。そこにあるのは 長さばかりです。私の命でありながら、長さだけしか目に入らず、「幅」つまり 幅(ひろ)さ にも目が いかず、深さも受け取れていないのです。裕福で、人生に悲しみ、苦しみが無ければ幸せだ。という人生観 (感)だけで生きているのではなかったでしょうか。自分の描いた思いだけで人生を測るのですが、それは狭くて浅い人生だったようです。仏教が教えている四苦とは生老病死です。その、老病死していく命の中で、その命の深みからの呼びかけを聞くことが無ければ 長さにも意味が無くなります。私の、ここ数年の人生経験は、人生を見直す という機会をいただいたように思っています。それは、自分の思いで見直すのではありません。真実の人生に目覚めた「よきひと」の言葉をいただき なおす ということです。聞き直す、読み直す、いただき なおす ということは私たちの先を歩んでくださり、その一度限りの人生を、意味深い、満足できる一生であった と受け取られた方々の言葉に遇わせていただき、それを今、この生を歩んでいる私たちが、いただき なおすことなのではないでしょうか。