2016年 11月号 限られた見える世界がすべて では ない。その奥に見えない永遠・無限の世界が つらなっている。

金治 勇

 富山地方気象台が11月2日に、北アルプス立山の初冠雪を観測したと発表しました。これは1939年の統計開始以来2番目に遅く、平年より25日も、昨年より21日遅かったそうです。今年の天候は不順です。また、島根県や鳥取県で地震がありました。10月28日 に鳥取県中部で最大震度6弱の地震が発生し その後も かなり大きな余震が続いているようです。さて、今冬の雪はどうなるでしょうか。この冬も大雪でないことを願いますが、あまりにも少ないと生活にも様々な影響が出てくるようです。私たちの暮らし は人間には見えてない世界からのはたらきを強く受けて なりたっているのですね。

 現代に生きる人間は 神仏より「科学を信仰する」方向に おおきく変化してしまった。と、いえると思います。ものすごいスピードで変化していく身の回りのあれこれです。乗り物の切符や飲み物の購入も、預貯金の引き出しも人間が相手をしてはくれません。電話の応答まで人工音声です。写真はシャッターを押せばピントも露出もピタリと合った写真を撮ることができますし、自宅でプリント・アウトできます。これらの生活環境の変化は科学の進歩ということによって なりたっているに違いありません。

 北陸の10月・11月は報恩講の月です。真宗の寺院では伝統に したがって法要がいとなまれます。ここにも変化がおこっています。参詣する人の姿が減り続けているのです。これは人間が、「見える」ことだけを信じて「見えない」世界は無いことにするという ものの考え方が生み出したことだと思っています。

 今月の言葉は金治(かなじ) 勇(いさむ)先生の御著書『見える世界 みえない世界』(法蔵館 平成7年)から いただいたものです。金治先生は1908年のお生まれで四天王寺女子大学、四天王寺国際大学の教授を勤められました。聖徳太子を研究されましたが、金子大栄先生に浄土真宗を深く学ばれて、真宗に関する御著書が多数有ります。
「限られた見える世界が すべて ではない。その奥に見えない永遠・無限の世界がつらなっていることを忘れてはならない」(34p)という言葉の数頁前には、「見える世界から さらに見えない世界の奥を訪ねていくのが宗教である」(30p)
「あるいは、一切 生きとし生けるものの根源に さかのぼっていくところに宗教がある」(30p)という言葉で「宗教」を定義しておられます。

 私たちは自分の人生を生きていると考えております。そして、私は現代人だから、「科学的に人生を考えている」という つもり になってしまいました。それが「死後の世界は無い」「地獄なんて無い」「極楽なんて無い」「無い世界を有るかのように語っている宗教など私には必要ない」という考え方に多数の人を落ちいらせてしまったのではでないでしょうか。

 宗教は必要ない という考え方は知らないうちにジワジワと社会に広まっていますが、そのことは実は人間を不幸せにしているということに、まだ気づいていないのではないでしょうか。「文学界」という雑誌の10月号に石原慎太郎氏が心理学者の斉藤環氏に訴えています。「私は仏教徒で「法華経」の解説書も書いたこともありますが、来世というのはないですな。死んだら虚無ですよ。そう考えたら つまらないね」(125p)
彼の言う「つまらない」とは「不安」でしょうね。「死んだら虚無」という自分の考えに もとづいたら高齢になったときに心理学者に相談しないでおられない不安が浮かんできたようなのです。

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