2016年 4月号 この旅は自然へ帰る旅である 帰るところのある旅だから 楽しくなくてはならないのだ もうじき土に戻れるのだ。

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高見順 詩集『死の淵より』

 今年の春の訪れは突然でした。3月に入ると梅が咲き始めました。月末には桜のつぼみが膨らみ始めて4月に入るや咲き始めました。公園のチューリップも気の早いものが月の初めに咲いていました。しかし、周囲はまだつぼみばかりです。「あれ早すぎたのかな」と寒そうに言っているように見えてきます。今年のチューリップフェアーの時期には花はどうなるでしょう。「散ってしまった」でなければいいのですが。

 今月の言葉(講談社文庫19p)は、昭和38年から同40年8月に亡くなるまでの間に食道ガンとの克明な闘病日記を残した作家の高見順さんの詩の一節です。詩集『死の淵より』は昭和39年に出版されましたが、これは亡くなる1年前です。日記の方は「闘病日記」上・下 岩波同時代ライブラリーで読むことができます。
 この巻頭の言葉は「帰る旅」という題の詩からです。明らかにベッドの上で過ごしている一日一日とは死に向かって一歩一歩を歩んでいるというのが現実だということを「旅」と言う言葉で表現していることは詩集の『死の淵より』という題名から知ることができます。ところで、若い日の高見さんはコミュニスト運動に身を置いていました。また女性遍歴も重ねており、それの体験が作品に反映されています。また宗教ということを否定するような生き方をしてきた人だったのです。昭和38年頃のガンという病気は現在よりも、はるかに「死」ということを直視させるものでした。「助かるかもしれないと思いながら、人は死んでゆく。それで死ねるのだ。ガンは、助からぬ。死なねばならぬと知りつつ死なねばならぬ」(高見 順「闘病日記」上137p)という現実を発見してから後は法然・親鸞・道元に出遇っていきます。

 その詩を味わってみましょう。
 「帰る旅」 帰れるから 旅は楽しいのであり 旅の寂しさを楽しめるのも わが家にいつかは戻れるからである だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり どこにもあるコケシの店をのぞいて おみやげを探したりする / この旅は 自然へ帰る旅である 帰るところのある旅だから 楽しくなくてはならないのだ もうじき土に戻れるのだ お土産を買わなくてもいいか 埴輪や明器のような副葬品を / 大地へ帰る死を悲しんではいけない 肉体とともに精神も 我が家へ帰れるのである ともすれば悲しみがちだった精神も おだやかに地下で眠れるのである ときにセミの幼虫に眠りを破られても 地上のそのはかない生命を思えば許せるのである / 古人は人生をうたかたのごとしと言った 川を行く舟がえがくみなわを 人生とみた昔の詩人もいた はかなさを彼らはかなしみながら 口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない 私もこういう死を書いて はかない旅をたのしみたいのである (18p~21p)

 現在の日本は高齢者社会だと取りざたされています。高齢者とは死に近づきつつある者です。しかし、高齢者はその事実から目をそらす工夫ばかりしております。私たちに帰るところが見つかっているのでしょうか。そして「自然に帰る旅」と安心して歩んで行くことのできる見極めができているのでしょうか。真宗の歴史の中で、人生を「往生浄土」と、行き先をはっきりと浄土だと見いだして、自分の苦労多き人生をすべて引き受けていった人々の姿が有ったことに気がつかなければならないのではないでしょうか。

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