2016年 5月号 貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。

ホセ・ムヒカ (ウルグアイ第40代大統領)

 五月になりました。例年より10日間ほど季節の変化のテンポが速いように感じます。例年は福野の夜高祭りのころに咲き始めるハナミズキが連休の途中に散っています。先月の4月14日に熊本に地震が発生しました。その当日は鹿児島に行っておりました。どういう巡り合わせか駅前のホテルの部屋は最上階の14階でした。それから二晩は鹿児島でも「地震です」という携帯電話の地震警報に起こされ、しばらくするとユラユラと、かなり強くて長い揺れが始まりました。16日の午後は福岡のお寺で法話の予定だったのですが、九州新幹線も高速道路も不通で移動方法が見つかりません。唯一の移動手段である飛行機は満席でした。今回はご縁がないのかとあきらめかけていましたが、JALが臨時便を出すという情報が有り、ネットで予約することができて、予定通りの時間から話をさせていただけました。震源地の皆さんの恐怖はどれほどだろうかと揺れるベッドの上で思っておりました。このビルがぽっきりと折れたら・・と考えたとき「凡夫に死の縁、まちまちなり」(「口伝鈔」真宗聖典475p)」の語が浮かんでまいりました。

 今月の言葉は、南米のウルグアイの大統領が2012年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連会議で行った演説の一節です。演説の中で「私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、私の国には、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛がいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さな国なのに領土の90%が資源にあふれているのです。」と自国について語っています。(『ホセ・ムヒカの言葉』双葉社 佐藤美由紀)
 彼は「世界で もっとも貧しい大統領」と呼ばれていました。自家用車は持たず、奥さんの持ち家に住み、給料はすべて国に寄付していたのです。某東京都知事とは大違いの生活をした大統領です。

 ホセ・ムヒカ大統領の演説が世界的に反響を呼んだことは2012年にネット社会では とりあげられていたので知ってはおりました。あらためてこの言葉を考えさせられたのは、世界中が自国だけの物質的な繁栄をもとめて正気を失ってきているのではないかと感じはじめたからです。強引な中国、アメリカの大統領予備選挙でなぜか指名争いのトップになっている人物の言動、そして、日本でも非常に危ない状況に向かって行こうとしているように思います。

 さて、このウルグアイ大統領の言葉を聞いてみたいと思います。私の知人が定年退職後、東南アジアで自分が持っている専門的な技術を伝えるボランティア活動をしています。毎年何ヶ月かを過ごして、日本に帰ってきたとき、日本の青少年の顔が物欲しそうで、卑しい表情をしていると感じる、と話してくれたことが有ります。日本は中国に抜かれたとはいえ金持ち国です。その国の青少年が物欲しげだというのです。かの国の若者たちは貧しい生活をしているが、物欲しげではないと話してくれました。貧しい といえば、昨年の夏に何年かぶりで良寛さんの五合庵を訪ねました。石柱に有名な歌が刻まれています。「堂久保登盤 閑勢閑毛天久留 於知者可難」これは有名な「焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」という歌です。長岡藩主の牧野忠精(まきの ただきよ)が自ら出向いて良寛さんを城下に迎えたいと申し出たときの応えだったのです。忠精は老中にもなった優れた人物で和歌や墨絵をよくたしなんだ人だったそうです。もちろん良寛さんの生活は貧しかったのですが、物欲にしたがって生きることを拒否されたのが良寛さんなのでしょう。物欲とは、モノを持てば持つほど限度なくふくらむものなのでしょう。仏教では「貪欲」(とんよく)という言葉で表され、「三毒の煩悩」の一つであり、「むさぼりの心」と教えられています。

 『蓮如上人御一代記聞書』122条に「一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なることにてはなくそうろう」真宗聖典877pとあります。私たちの思う一宗の繁昌は、商売の繁盛と混同してしまうのです。つまり物事をはかる物差が「お金」という目盛りなのです。人間の幸せということもその目盛りで計るのですが、困ったことに沢山お金が有れば それで人間は満足するのかと言えば、そうではないというものを持っているのです。金を持った貧乏人は不満足の心を抱えて、不要なモノに囲まれて生きています。

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