2019年 5月号 仏 は 語り継ぎ、語りなおす いとなみ に おいて 存在した。

下田正弘 『パリニッバーナ 終わりからの始まり』

 富山県南砺市は医王山を間に挟んで 加賀の国 石川県と接しています。この地理的条件が京都から離れた吉崎の地で蓮如上人を中心に生まれた念仏の教団が 加賀から越中に伸びていこうとする時の道筋 に自然になっていったのでしょう。もちろん それ以前に 綽如上人が 既に井波の地に瑞泉寺を開いていたからでもあります。

 今月の言葉は東京大学の下田正弘教授の『パリニッパーナ 終わりからの始まり』 (NHK出版 2007年)からです。書名の前のカナ部分「パリニッパーナ」はパリー語です。 パリー語とは「二千五百年前のインドにおいて釈尊が使用した言葉に最も近いもの とみなされています」(同書 9p) そして「パリ」は 完全な。「ニッパーナ」は「涅槃」という意味だそうです。したがって漢訳では「般涅槃」となりますが、これは「歴史的には釈尊の〈無上の目覚め〉と〈入滅〉という二つの出来事に対応します」(10p) と説明されています。

 なぜ 今月の言葉に「仏 は 語り継ぎ、語りなおす いとなみ に おいて 存在した」という下田先生の言葉を選んだのか ということを書かせてもらわなければならないでしょう。

 実は今年の二月頃から北陸の地に受け継がれてきた浄土真宗は、ダレによってどのようにして受け継がれてきたのか?という問いを持つ機会が与えられました。それは八十歳になられる九州の先輩が、「私が得度して最初に法話をさせてもらったのが、アナタのお父さんに連れて行ってもらった城端別院の婦人会だった。その時に聞いて下さっていたご婦人方の私を受け入れてくださっていた まなざし と 笑顔 が忘れられないのだ」と これまで何度か聞かしてもらっていた言葉なのですが 八十歳になるという感慨とともに聞かせていただいたときに、北陸門徒に伝統されてきたという、その伝統とは何だったのだろうか?という問いがおこってきたのです。その先輩は「土徳」という言葉で初めて法話をする若いお坊さんを笑顔で受け入れていた方達の徳を表現されました。

 綽如上人、蓮如上人、そして道宗さんが北陸に浄土真宗をもたらした具体的な方々ですが、 それらの諸師の語りを「なるほど。なるほど」(曽我量深師)「おっしゃるとおりです」(金子大栄師)と聞き取り、受け止めることができた沢山の人を誕生させてきた背景には、人々が生きてきた自然環境が持っている徳と、その徳に包まれて育った人間の生死した歴史がある と言えるのではないかと思えてきたのです。そして下田先生のこんな言葉を思い出したのです。
 「歴史的事実は〈語り〉という いとなみをとおして ようやく その命脈をたもってゆきます。」(32p) 北陸における真宗の歴史とは、先にあげた綽如上人・蓮如上人・道宗様などが語られた言葉を聞き取った人たちが、それを自分の言葉で語りなおした歴史 ではないのでしょうか。また「語りなおしは、語られた事実を受け取った人が、自己の体験をとおして、その事実を再度あらわしだす こころみ です」(32p)。つまり 北陸の念仏者 は 聞きとった言葉をさらに自分の言葉にして語り直し、語り継いできた歴史があったのではないか と思えてきたのです。また「変わりゆく歴史のなかに ひとつのできごとが存在しつづけるためには、それは途絶えぬように語り継がれなければなりません」(32p)とありますが、いま現に私たちが出会うことが出来た「教え」は出会えた人 の 語り が もたらしてくれたものなのです。

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