2020年 12月号 生まるれば必ず死ありといふことを。死ぬことを若し欲はずは生まれぬにしかず。

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一茶(七番日記)

 新しい年を迎えました。昨年末はコロナ感染者が激増していました。正月休みを自宅に籠(こ)もって過ごすことで感染の蔓延を少しでも減らす が できたでしょうか。「ゴーツートラベル」推進派はコロナ感染増と政府が推進する事業と因果関係があるという「エビデンス」はないと11月に政治討論会で発言していましたが、コロナウイルスは人の動きに ともなって拡散する という単純な事実を無視した極めて意図的な発言でした。「エビデンス」とはevidence証拠という意味ですが、なぜに、わざわざ英語を使うのか 理解に苦しみます。大晦日の東京の感染者数は1300人を超えました。しかし、その発言者たちは謝罪もしなければ責任もとらないのですから呆(あき)れます。

 年末に1月の「今月の言葉」を選ぼうとして何冊かの本を広げました。正月にふさわしい言葉を選ぼうとしたのですが、小林一茶の「長き夜や心の鬼が身を責める」岩波文庫「一茶俳句集」丸山一彦校訂 を選びました。昨年桜のころに「死に支度(したく) 致(いた)せヘと 桜(さくら)哉(かな)」を選びましたが それ以来2度目です。今回、一茶に注目したのは昨年、英国のジョン・ホワイト先生という方が(ロンドン大学元副総長)数年前から俳句の英訳をしておられ「朝露(あさつゆ)に 浄土参りの けいこ哉(かな)」という句に注目しておられることを先生と ご縁の深い方 から教えていただいたので 一茶の句集を開いてみたのです。他にこんな句がありました。「死に神により残されて秋の暮れ」(七番問答)「死にこぢれへつゝ寒さかな」昨夏から高齢なのだということを身体が強く感じるようになっていますが、こんな句が目にとまりました。「かな釘(くぎ)のやうな手足を秋の風」これも我が身のことのように感じるのであります。今年の誕生日が来れば私も79歳という、呆れるような年齢になるのです。

 寝付きが悪く、朝の早くに目が覚めてしまうのは、私ばかりでなく高齢者の睡眠というものでしょう。寝(ね)ようと思っても、足腰が痛む、内臓の具合が良くなくてストンと眠りに落ちることができず、まだ暗いうちに目が覚めて、寝ようとしても眠れないのです。いろいろな思いが湧いてきますが、まさに「こころの鬼が身を責める」のです。「一茶俳句集」の校注者 丸山氏 は「良心の呵責(かしゃく)」としていますが、私には「あいつが、こいつが」と他を咎(とが)める こころ のように思えるのです。金沢の高光(たかみつ)一也(かずや)先生は、仏法に遇(あ)わない限り一生言い続けるのは「あいつが、こいつが、そんでも、そやけど」だ と言っておられますが、私達を苦しめるのは他のだれかではなくて、私のこころの中にすむ鬼 が 私の心の中で暴れて 私自身を苦しめているのだ。と 一茶は言っているように思えるのです。一茶は苦労多き一生でした。継母(ままはは)との軋轢(あつれき)や、最初の妻と三男一女を次々に失い、二度目の妻とは離婚、晩年は中風(ちゅうぶう)を やんでいますが 夜ごと「心の鬼」が暴れることを もてあましていたのでないでしょうか。「煩悩具足の凡夫」という私達の身ですが『歎異抄(たんにしょう)』では「煩悩具足のわれら」(三章)だれも例外がない私達である。という「われら」の語で この身 が おさえられています。

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