2021年 6月号 古シ 泉ハ 新シ 水ハ

柳(やなぎ)宗悦(むねよし) 「心偈(こころうた)」
(「泉(せん)古(こ)新(しん)水(すい)」 正親(おおぎ)含英(がんえい)師揮毫(きごう)  松任(まつとう)本誓寺蔵)

 白山市(松任(まつとう))の本誓寺さんは北陸で最も歴史ある真宗寺院です。親鸞聖人が越後に流罪になられる途中で椋部川(むくぶかわ)(倉部(くらぶ)川)が増水(ぞうすい)のため渡ることが出来ず、3日間このお寺の前身に滞在されたのです。当時は天台宗末で「歓喜院無量寺」でした。当時の主僧(しゅそう)は「円政(えんせい)」という方だったのですが、3日間の語り合いで親鸞聖人から念仏の教えを受けとられたのです。したがって真宗史上最も早い時期の聖人の門呂(もんりょ)と言うことが出来るのです。親鸞聖人と円政師は比叡山で すでに顔見知りであったので無量寺に逗留(とうりゅう)されたと言われています。

 当寺に御縁の深かった松本梶丸(かじまる)先生は本誓寺第30代の御住職でした。現在はご子息が31代目を継承しておられます。梶丸先生は著書も沢山残されましたが、その法話はともすれぬば固定化してしまいがちな「本願とは なんぞや」とか「念仏とは」とかを語られることはありませんでした。私たち庶民の生活の中におこる驚きや頷(うなず)きを具体的な人をとおして、生き生きとした真宗の教えの働きを語ってくださいました。まさに人間の生活を通して語られる真宗の教えでした。沢山の方が本誓寺に師の法話を求めて足を運んでおられました。

 その本誓寺さんのお座敷で「泉(せん)古(こ)新(しん)水(すい)」という正親(おおぎ)含英(がんえい)先生の御軸を拝見してまいりました。本誓寺さんの報恩講に御縁をいただくたびに拝見させていただいております。私なりに「泉は古いのであるが、そこに湧き出ている水は、生まれたばかりの新鮮な水である」と いただいてまいりました。

 正親(おおぎ)含英(がんえい)先生は大谷大学の学長を務められましたが論文集を出しておられません。そのことは、真宗学の学者で有るということを拒否しておられるのだといただいております。真宗寺院の末寺の住職というところにたって終生(しゅうせい)親鸞聖人の教えを聞き続けられた先生だったと思います。同じことを松原祐善(ゆうぜん)先生のお姿に感じさせていただいております。大谷大学の学長を務めておられていても、本当に身を置いておられたのは大野市の円徳寺の住職の座でした。そのような正親先生が松本梶丸さんの求めによって「泉古新水」という言葉を揮毫(きごう)されたとき、その胸の中に持っておられたイメージはどのようなことだったのだろうかと20年間ほど年に一度この書の前に座らせていただくときに思って参りました。いま80歳になろうとしている身に感じられておりますのは、たとえ老耄(ろうもう)の身になった私たちの身から出てきてくださるお念仏であろうと、決して古いお念仏では無いということです。たった今この身に働いていてくださる本願が、「南無阿弥陀仏」と出てきてくださっているのです。福光の高徳寺というお寺の大坊守さまのご臨終の言葉ですが「昨日までのことはみんな忘れました。みんな忘れたから新鮮です」だったそうです。自分の年さえ忘れるようになっても大丈夫なんです。そうなった私から湧き出てくださるお念仏は仏様のたった今の働きなんです。ただの一瞬も休むことのない仏さまの働きが この身のうえに起こっている事実なのです。苔むした古い泉ですが湧き出ている水は真(ま)っ新(さら)なのです。

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