上巻 第一段 出家学道

上巻 第一段 出家(しゅっけ)学道(がくどう)

聖運寺蔵『親鸞聖人御絵伝』


〈 御伝鈔 意訳 〉『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ-』東本願寺出版部より

 親鸞聖人は、その昔、栄華(えいが)をきわめた藤原氏の一門の流れをくむ、日野(ひの)有範(ありのり)の子として、承安(じょうあん)三年(一一七三)この世に生を受けたと伝えられています。したがって、順調に生活できたならば、当然朝廷に仕え、高い身分が保証され、権勢(けんせい)を思いのままに振る舞うこともできたにちがいありません。
 だが、幼少のころ、すでに親鸞さまの心には、自分一人が幸せになるだけでは満足せず、まわりのすべての人々を幸せにしたいという、すばらしい心の種子(しゅし)が深く根をおろし、思いがけないきびしい境遇が、親鸞さまに目さきの幸せを追うことを許さずに、その真実の芽を大きく育てていくことになりました。幼いうちに父母と離別するという悲しい目に出会った親鸞さまは、九歳の春のころ、当時、人々の尊敬を一身に集めていた前(さき)の大僧正(だいそうじょう)慈円(じえん)のもとで髪をおろし、出家者となり、範宴(はんねん)と呼ばれるようになりました。
 日常生活の見せかけの幸福のむなしさに気づいた親鸞さまは、ほんとうに明るい人生を求めて、奈良や比叡山の学場(がくば)を訪れ、広く仏教学の粋(すい)を学び、そのかたわら、『往生(おうじょう)要集(ようしゅう)』を著(あらわ)した横川(よかわ)の源信(げんしん)僧都(そうず)が歩まれた念仏の修行にも親しみ、博学(はくがく)をもって知られるようになりました。


〈 御伝鈔 原文 〉

本願寺(ほんがんじノ)聖人(しょうにん)●伝絵上(でんねノじょう)

それ、聖人の俗姓(ぞくしょう)は、藤原氏(うじ)●天児屋根(あまッこやねノ)尊(みこと)●二十一世(にじういッせ)の苗裔(びょうえい)、大織冠(たいしょかん)●(鎌子(かまこノ)内大臣(ないだいじん)の●)玄孫(けんそん)●近衛(こんねノ)大将(だいしょう)右(う)大臣(だいじん)●(贈(ぞう)、左大臣(さだいじん)●)従(じゅ)一位(いちい)内麿公(うちまろこう)●(後(ご)、長岡(ながおかノ)大臣(だいじんト)号(ごうシ)、或(いはある)閑院(かんにんノ)大臣(だいじんト)号(ごうス)、贈(ぞう)、正(じょう)一位(いちい)太政(だいじょう)大臣房前公(ふさざきこうノ)孫(まご)、大納言(だいなごん)式部卿(しきぶきょう)、真楯(またてノ)息(そくナリ)●)六代の後胤(こういん)●弼(ひッノ)宰相(さいしょう)有国(ありくにノ)卿(きょう)、五代の孫●皇太后宮(こうたいこぐうノ)大進(だいしん)有範(ありのり)の子(こ)なり●しかあ(カ)れば●朝廷に仕えて、霜雪(そうせッ)を(ト)も戴(いただ)き●射山(やさん)に趨(わしッ)って、栄花(えいが)をも発(ひら)くべかり(ッ)し人なれども●興法(こうぼう)の因(いん)、うちに萌(きざ)し●利生(りしょう)の縁(えん)、ほかに催(もよおし)いしにより(ッ)て●九歳(くさい)の春の比(ころ)●阿伯(あわく)従三位(じゅざんみ)範綱(のりつなノ)卿(きょう)●(時(とき)干(に)、従(じゅ)四位上(しいじょう)、前(さきノ)若狭(わかさノ)守(かみ)、後白河(ごしらかわノ)上皇(しょうこうノ)近臣(きんしんナリ)、聖人(しょうにんノ)養父(ようぶ)●)前(さきノ)大僧正(だいそうじょう) 慈円(じえん)●(慈鎮和尚(じちんかしょう)是(これ)也(なり)、法性寺殿(ほっしょうじどのノ)御息(ごそく)、月(つきノ)輪(わ)殿(どのノ)長兄(ちょうきょう)の●貴房(きぼう)へ相(あい)具(ぐ)したてまつり(ッ)て●鬢髪(びんばッ)を(ト)剃除(ていじょ)したまいき●範宴(はんねん)少納言(しょうなごんノ)公(きみ)と号(こう)す●爾(それ)自(より)以来(このかた)●しばしば、南岳(なんがく)天台(てんだい)の玄風(げんぷう)をとぶ(ム)らい(ッ)て●ひろく、三観(さんがん)仏乗(ぶッじょう)の理(り)を達(たッ)し●とこしなえに、楞厳(りょうごん)横河(よかわ)の余流(よりう)をたたえて●ふかく、四教(しきょう)円融(えんにう)の義(ぎ)に(↑)明らかなり●