上巻 第八段 入西鑑察

上巻 第八段 入西(にゅうさい)鑑察(かんざつ)

聖運寺蔵『親鸞聖人御絵伝』


〈 御伝鈔 意訳 〉『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ-』東本願寺出版部より

 親鸞さまはお弟子の入西房(にゅうさいぼう)が、何とかして親鸞さまのお姿をえがきたいという願いをいだいていましたが、あるとき親鸞さまが、その心をお察しになって、
「それでは定禅(じょうぜん)法橋(ほっきょう)に画(か)いてもらおうか」と話されました。
 入西房(にゅうさいぼう)はそれを聞いてとても喜び、ただちに法橋(ほっきょう)のもとに使いを走らせました。定禅(じょうぜん)はすぐにやってきましたが、親鸞さまの尊いお顔を見たとき、びっくりして、
「こんな不思議なことがあるのでしょうか。昨夜、私は夢を見ました。その夢の中で私が拝んだ尊いお坊さんのお姿が、今 私の前におられる親鸞さまと、うり二つなものですから」といって、感激にむせびながら、その夢の話をするのでした。
「二人の尊い お坊さんがおいでになり、その一人が、仏さまの生まれかわりの尊いお方のお姿を画いていただきたい。是非 筆をとっていただけませんか、
といわれました。そこで私は、
その仏さまの生まれかわりのお方とは、どなたさまでございましょうか、
とたずねますと、その方がいわれるには、
善光寺の本願の御房(おんぼう)ですよ、と。そこで私は、合掌して ひざまづき、夢の中で、さては、なま身の阿弥陀さまにちがいない、と思いました。そのときは、ほんとうに身の毛が逆立つように緊張して、つつしみ拝みました。そのとき また、お顔だけ画かれれば それで十分ですよ、ともいわれました。そんな話をしているうちに夢がさめたのです。今ここに来て拝ませていただいたこのお顔は、夢の中の尊いお姿と生き写しなのです」と、涙を流して喜ぶのでした。
 そこで、夢のとおりにいたしましょう、と、今度も、お顔だけを画きました。夢は、仁治(にんじ)三年(一二四二)九月二十日の夜のことでした。
 よくよくこの不思議なできごとについて考えてみると、親鸞さまは阿弥陀如来のなま身のご活躍をされたお方だということをあらわしているのでしょう。だからこそ、親鸞さまによって弘(ひろ)められた南無阿弥陀仏の教えは、どんな悲しい境遇を歎(なげ)く者でも、必ずよみがえらせずにはおかない、という、阿弥陀の親心のはたらきにほかならないのです。
 阿弥陀如来の本願は、あきらかに少しの野心の濁りもない智慧のともしびをかかげて、欲望の濁りに汚染された私たちの迷いのやみを照らし、すべての人々の上に、この上ない法の慈雨(じう)をそそいで、真実を見失って枯(か)れ朽(く)ちんとしている私たちの心を、あたたかくときほぐし、うるおそうとはたらきかけておられるのです。私たちは、今こそ その心を仰ぎ、その導きにすべてをまかせて、明るい人生の第一歩を踏みだそうではありませんか。


〈 御伝鈔 原文 〉

御(おん)弟子入西房(にゅうさいぼう)●聖人、親鸞の、真影(しんねい)をうつしたてまつらんと、おもうこころざしあり(ッ)て●日来(ひごろ)をふるところに●聖人そのこころざしあることを鑑(かんが)みて●おおせられてのたまわく●「定禅(じょうぜん)法橋(ほッきょう)にうつさしむべし」と●(七条(しちじょう)辺(へん)に居住(きょじゅう)●)入西房(にゅうさいぼう)鑑察(かんさッ)のむねを随喜(ずいき)して●すなわち、かの法橋(ほッきょう)を召請(ちょうしょう)す●定禅(じょうぜん)左右(そお)なくまいりぬ●すなわち、尊顔(そんげん)にむかいたてまつり(ッ)て申(もう)していわく●「去夜(きょや)、奇特(きどく)の霊夢(れいむ)をなん、感(かん)ずるところなり●その夢中(ゆめノうち)に拝(はい)したてまつるところの、聖僧(しょうそう)の面像(めんぞう)●いまむかいたてまつる容貌(ようぼう)●すこしもたがう(ゴオ)ところなし」といい(ッ)て●たちまちに、随喜(ずいき)感歎(かんたん)の色(いろ)ふかくして●みずからその夢(ゆめ)をかたる●「貴僧(きそう)二人(ににん)来入(らいじゅう)す●一人(いちにん)の僧、のたまわく●「この化僧(けそう)の真影(しんねい)をうつさしめんとおもうこころざしあり●ねがわくは、禅下(ぜんか)筆(ふで)をくだすべし」と●定禅(じょうぜん)、問い(とッ)ていわく●「かの化僧(けそう)たれ人(びと)ぞや●」くだんの僧(そう)いわく●「善光寺の本願(ほんがんノ)御房(おんぼう)これなり」と●ここに定禅(じょうぜん)たなごころをあわせ●ひざまずきて●夢のうちにおもう様(よう)●さては、生身(しょうじん)の弥陀如来にこそと●身(み)の毛(け)いよだち(ッ)て●恭敬(くぎょう)尊重(そんじゅう)をいたす●また「御(み)くしばかりをうつされんに、たんぬべし」と云々(うんぬん)●かくのごとく、問答(もんどう)往復(おうふく)して、夢(ゆめ)、さめおわり(ン)ぬ●しかるにいま、この貴坊(きぼう)にまいりて●みたてまつる尊容(そんにょう)●夢中(ゆめノうち)の聖僧(しょうそう)に●すこしもたがわず」とて●随喜(ずいき)のあまり、涙(なんだ)をながす●「しかれば、夢にまかすべし」とて●いまも、御(み)くしばかりをうつしたてまつりけり●夢想(むそう)は●仁治(にんじ)三年九月(くがッ)廿日(はつか)の夜(よ)なり●つらつら、この奇瑞(きずい)をおもうに●聖人、弥陀如来の来現(らいげん)ということ炳焉(へいえん)なり●しかれば、すなわち●弘通(ぐずう)したまう(モオ)、教(きょう)、行(ぎょう)●おそらくは、弥陀の直説(じきせッ)といい(ッ)つべし●
《 上ゲテ 三拍休む》
あきらかに●無漏(むろ)の恵燈(えとう)をかかげて●とおく濁世(じょくせ)の迷闇(めいあん)を(ノ)はらし●あまねく、甘露(かんろ)の法雨(ほうう)をそそきて●はるかに、枯渇(こかッ)の凡悪(ぼんなく)を●う(↑)るおさんとなり●あ(←オ)おぐべし、信ずべし●